過去

 ――初めて会った典孝のりたか君は、背が高くほっそりとしたとても賢そうな子だった。比較的小柄で、成績が後ろから数えた方が早い由紀雄ゆきおとは正反対のタイプに見えた。

 玄関先で迎えたとき、彼はまるで何か悪いことをしてしまったかのようにひどく怯えていて、青白い顔で僕らを見た。


 彼は由紀雄の写真が飾られた仏壇の前まで行くと、招き入れた僕と母さんに向かって土下座して言った。


「ごめんなさい……。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっっ……!」

 頭を下げたまま、拳を硬く握りしめたまま、身体を小刻みに震えさせたまま、彼は謝り続ける。

 

 もういいと、顔を上げるようにこちらがいくら言っても、彼は首を横に振るばかりで顔を上げようとはしなかった。


 なぜそこまでして謝る必要があるのか、僕は彼に聞いた。


「……僕が、僕が有村ありむら君を、由紀雄を追い詰めたんです…。全部、全部僕のせいなんです!」


 由紀雄が死んだのは典孝君のせい……?


 僕が理由を説明してほしいと言うと典孝君は、しゃっくりをあげながら少しずつ話し出した。


 典孝君と由紀雄は一年のときに知り合って毎日話し、遊ぶ仲になった。二年になってクラスが離れてしまっても二人はよく会っていたそうだ。


 典孝君は演劇部、由紀雄は文芸部だった。由紀雄から部活の話はあまり聞かなかったから、文芸部だったことも僕は知らなかった。事実、実際に何か書いていたかといえばそうではなかったと思う。


 時期部長が約束されていた典孝君は、役職の引き継ぎとなる文化祭で、ある計画を立てていた。それは、由紀雄が書いた台本で芝居をするというものだった。


 演劇部の芝居は大抵はオリジナルの作品で、文芸部員もよく台本作りに参加していたらしい。

 元々仲の良かった二人は、いつか自分達で作ったものを披露したいと考えていたらしい。

 それを聞いて僕は、弟も青春らしいことをしていたのだと思い安心した。葬儀にはクラスメイトの代表は来ていたものの、友人らしい友人は見かけなかったからだ。


 僕は、弟と仲良くしてくれたことに礼を言った。

 けれど典孝君は泣きながら首を横に振り続ける。


「由紀雄から、もう少しで台本が完成するって聞いていたんです。でも――」


 由紀雄はなかなか台本を渡しに来ない。由紀雄のところの文化祭は、修学旅行の兼ね合いもあり毎年九月に開催される。夏休みを挟むとはいえ、演劇部の部員も台本をそろそろ確認したいと言い始めていた頃だった。

 台本は出来たのか、いつ出来るのか、典孝君が由紀雄に尋ねると、返ってきた言葉が「なくしてしまった」だったそうだ。


 部員たちのことも勿論もちろんあった。けれど芝居を作るというのはずっと前から二人で考えてきたことだった。

 自分達で大事にしていたもの、大事にしてきた約束。

 それを、完成間近で無くしたと聞いてついカッとなってしまったと言う。


「――約束を守れないやつなんか、お前なんか友達じゃないって、そう言ってしまいました……」


 その時、由紀雄がショックを受けていたのは知っていたが、その場で謝るのもバツが悪く、以降由紀雄と口も聞かなくなったと言う。


 そして、六月十日を迎えた。


「僕があいつを責めたんです。ひどいことを言って、その後向こうから声をかけても意地を張って謝ることもしなかった。あれは、あれは……」


 自殺だと思う――、と典孝君は言った。だから由紀雄が死んだのは自分のせいなのだと。


 彼は通夜や葬式には顔を出してしなかった。いや、きっと自分が出てもいいものかずっと思い悩んでいたのだろう。

 今日、ここに来るのだって余程の覚悟を決めてきたはずだ。

 初めて会った時のあの表情は全てを語っていたのだ。


 僕は彼の話を聞いている頭の片隅で、由紀雄の死にに落ちない部分があったことを思い出した。


 由紀雄はなぜあの日の朝早くに出かけたのか。

 由紀雄は元々朝が苦手で、母さんがよく起こしていた。それがあの日はご飯も食べずに家を出て行ったらしいのだ。

 わざわざ早朝の学校で何かすることがあったのだろうか。

 そしてなぜ非常階段なんかにいたのだろう。仮に台本を探していたとして、そんな場所には普通行かない。


 思い詰めて自殺、という思わぬ話を聞いたが、わざわざ学校に登校して死ぬ必要があったのだろう。

 典孝君への当てつけにしてはあまりにもむごすぎるではないか。


 しかし今更事故が自殺か、いろいろ考えても仕方ない。


 もう弟はいない。


 僕らの日常は戻ってこない。

 

 真相を知っても僕たちに出来ることはない。


 声が枯れるまで泣き、謝り続ける典孝君に僕は言った。

 

「由紀雄はもうこの世にいないし、戻ってもこないけど、君には未来がある。

 君は由紀雄の分まで生きてほしい」


 これが彼にかけられる精一杯の言葉だった。


 自身を責め続け十分衰弱しきっている彼に、これ以上は何も言えなかった。


 典孝君はフラフラと帰っていった。それがあまりにも心配だったので、送ろうかと何度も言ったが断られてしまった。


 由紀雄に元気がないと感じたあのとき、自分に何かできなかっただろうか。

 もっと弟が相談しやすい兄貴だったら、台本を一緒に探せたのだろうか。


 家族という近い存在でありながら、何も出来なかった自分が本当は責められるべきではないのか。


 ★

 日記はそこで終わっていた。


 最後に書かれた父の後悔は読んでいて痛々しいものだった。

 父が叔父の話をほとんどしなかった理由がやっと分かった気がした。


 父が自分に叔父の名前をつけたのは、叔父への後悔がきっかけで、きっと罪滅ぼしなんだろう。

 

『由紀雄、おはよ〜』

『由紀雄、早くはやく!』

『由紀雄~』

『おやすみ、由紀雄』


 何度も呼んでもらった名前。

 人生で一番大切なものを貰ったはずなのに。

 これではまるで自分という存在は、父にとってただの――、

 

「スペアじゃんか……」

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