日記

 蓬莱ほうらいの提案で作戦会議後、有村ありむらは家にあるアルバム類を片っ端から探していた。


 (父さんと暮らしていたときのものは家の適当な場所にしまって置いたはず……)


 葬儀後すぐに引っ越して、さらに祖母の介護も重なったためまともに荷物を整理する時間などなく、どこに何をしまったかすっかり忘れてしまっていた。


 この家の中で自分が置きそうな場所を思い出す。

 家の一階には居間と祖母の部屋が、二階には父と叔父の部屋がある。


 叔父の部屋は定期的に掃除しているものの、殆どは亡くなった当時のままになっている。

 祖母と父がそう望んだのだ。

 前はなぜその状態にしていたのか分からなかったが、今はそうする理由もなんとなく分かる気がした。

 もし、父と暮らした家を離れることがなかったら、父のものはそのままにしたいと思う。父がそこに居なくても、居たことを忘れたくないからだ。

 そんな叔父の部屋だからこそ、足を踏み入れること自体なんとなく億劫で、極力立ち入らないようにしていた。


「とりあえず、一階から探すか……」


 ★

 一階にありそうなのは居間の押し入れだった。

 二段になっている押し入れは、上に布団、下に工具や扇風機などの季節のもの、父と叔父が昔遊んだおもちゃなんかがしまってあった。


「わぁ……」

 押入れの奥からおもちゃと共に出て来たのは古いアルバムだった。思わず手に取り開いてみる。そこには父達や祖母の若いころの写真が貼ってあった。

 祖母とは離れて暮らしていたので、昔の写真を目にするのは初めてだった。


 カブトムシを捕まえてピースをしている叔父。

 デパートの屋上にあるパンダの遊具に乗ってる父。

 誕生日ケーキを頬張る父。

 叔父の中学の入学式の写真。

 

「自分の親にも子供の頃があった」なんて至極しごく当たり前のことなのに、幼い父の姿を見るとなんだか不思議な気分になる。

 

「そうだ……」


 アルバムを一旦閉じて、仏壇のところまで行く。仏壇には叔父の亡くなる直前の写真が飾ってある。その隣には父の写真も。

 

(どうせなら二人が写ってる写真がいいな)


 叔父と自分の顔がひどく似ていることは仏壇の写真を見て知った。学ラン姿に笑顔の写真はいつも自分が写っているようで、正直気分が良くなかった。さらに、祖母も自分のことを見て亡くなった息子と勘違いし(その上名前も同じ)、ひどく混乱してしまうため祖母と接するときは大体眼鏡をかけて、髪をかき上げ、名前も少し変えて(由紀治ゆきじさんと名乗っていた)過ごしていた。


 有村はアルバムから叔父と父が公園で遊んでいる写真を抜き取ると、叔父の写真立てに入れ替えた。


「よし!」


 ★

 一旦取り出したものをまた戻すのは一苦労だった。

 うまい具合に詰められていたものをいざ戻すとなると上手くいかない。旅行用のトランクみたいだとなんとなく思う。

 試行錯誤してなんとか押し入れにおさめてふと時計を見ると、探し始めてから三時間は経過していた。

 

(今日はとりあえず納戸までにしよう……)


 休憩を挟んで庭に出る。納戸は庭の隅に置いてあるプラスチック製で出来たタンスサイズのもの。

 しばらく開けていなかったこともあり、引き戸は硬くなっていた。

 やっとの思いで引き戸を開けて確認すると、中には軍手やホース、植木鉢など、庭関連のものが入っていた。そのほとんどが放置されていたため、ほこりまみれになっていた。


「あちゃー」

 

 思わず雑草まみれの庭を見る。

 父と暮らしていた家は貸家で庭はなかった。

 ここに来てから家事の他に庭掃除も必要なことに気づいたが、慣れていない作業は面倒くさいと思ってしまい、ついサボってしまった。


(天気のいい日にやろう……)


 普段しないことをすると酷く疲れるものだ。

 その上重いものも動かしたりして既に肩や腕が痛み出していた。


 その日は泥のように眠った。


 ★

「さて、続きをやりますか」


 翌日、筋肉痛でつらい体を無理やり起こし、有村はアルバム探しを再開した。


 一階にはなかったため、思い当たるのはもう父の部屋しかない。

 

 二階に上がり父の部屋に入る。これで見つからなかったらどうしようかと思っていたが、案の定目的のものは父の部屋の押し入れの中にあった。

 

「よかった、あった……」

 あとはこの中から自分のアルバムを見つけ出せばいい。

 荷物をまとめた段ボールは二つ。適当に詰めていただけだったので、どちらも蓋は開けっ放しになっていて中のものが飛び出している状態だ。


「よっと」

 段ボールを手前にずらしたとき、上の物が雪崩なだれのように滑り落ちた。

「あー……」

 押し入れの奥に手を入れて適当に引っ張り出すと、手に取ったものは古い大学ノートだった。


「何だこれ……」

 パラパラとめくると日付と数行程度の文章が書かれていた。

 表紙を見ると「1996~」とマーカーペンで書いてある。


「日記??」


 段ボールをとりあえず外に出してから、もう一度押し入れの中を見る。段ボールがあった後ろにノートが数冊重なって置いてあった。


(見ちゃまずいかな……)

 誰も見てなんかいないのに有村は思わず周囲を確認した。

 もちろん誰もいない。


 ノートをめくる。

 日記の字は父のものだった。

 父は割と大雑把な方だし、何かを記録するようなマメなタイプではないので驚いた。

 見たところ一日あたり五、六行程度書いている。数冊書いていたとすると三年くらいは確実に書き続けていたことになる。

 

 日記の始まりは高校生の頃からだった。父は頭は悪くないものの、文を書くのがとても下手だったらしい。それが勿体もったいないと思ったのか、父の当時の担任が日記を書くことを勧めたのがきっかけのようだった。


『5月24日(金) 

 日記を書くようにしてから4日目が経つ。母さんは俺が三日坊主だと知っているから、もし俺が3日も続かなかったらケーキを買おうかと由紀雄ゆきおと話していた。むかついたから無理やりでも書き続けてやる。ケーキなんか由紀雄に食わせるか』


「……」

 父は甘いものが好きだった。二人で暮らしていたときもよくプリンやアイスを買って食べていた。

 そして馬鹿にされたりすると根に持つタイプだから、いくら家族でも物を賭けられていたのは悔しかったのだろう。

 高校生の頃から父は父のままだったと思うと、なんだかホッとした。


『8月10日(土)

 柚原ゆはらに買い物中偶然会った。学校では元気で活発な感じだったから、スーパーで野菜を真剣に吟味ぎんみしている姿はちょっと意外だった』


『柚原の家は母親がいないらしい。家では自分が料理を作っていると言っていた』


『柚原の得意料理はシチューらしい』


『柚原を花火大会に誘った』


 柚原という、おそらく女子生徒の名前が、途中から何度も出てきている。好きだったのだろうか。父の甘酸っぱい青春を読んでいるとなんだかこっちが恥ずかしい気持ちになってしまった。


 日記は続き、他にも友人のこと、家族のこと、学校のこと、日々の日常がそこにつづられていた。


(いつまで続いていたんだろう……)


 ふと気になって日記を全部引っ張り出す。

 最後のノートには1999~と記されていた。


 その時の父はもう大学生で、一人暮らしをしていた。バイトもしていたようで、バイト代で祖母をレストランに連れて行ったり、叔父が欲しがっていたCDを買ったことが書いてあった。

 

 適当にパラパラとめくっていくと途中から空白になっていた。空白の直前は叔父が亡くなる前日だった。


『6月9日(木)

 久しぶりに実家に帰った。由紀雄は元気が無さそうに見えた。母さんは気づいていないようだ。俺も高校の時はなんだかんだで落ち込むこともあったのを思い出した。時がてば解決してくれることもあるだろう。そっとしておくのが一番だ』

 

 六月十日。それが叔父の亡くなった日だった。

 事故とはいえ突然の死だ。

 亡くなる直前の様子から見ると、父に不安を残したままこの世を去ったのだろう。

 気持ちの整理がつかないまま日記など書く気にはなれない。

 日記の終了は叔父の死がきっかけだったんだと思って最後までめくっていくと、終わりの数ページにまた文が綴られていた。

 

「え……?」


『7月20日(火)

 由紀雄の四十九日が終わった。暫くは実家で過ごすことにする。学校の関係者も由紀雄のクラスメイトももう来ないだろう。そう思っていた。けれど、今日彼がやって来た。由紀雄や母さんのとの話の中で名前だけしか聞いたことがなかった――、典孝のりたか君が』

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