疑惑

『暫く私に話しかけないで』


 奈緒なおはあずさから言われた言葉が頭から離れなかった。

 

 LUINEは今も既読がつかないままだ。


 ベットに仰向けになったまま、ぼんやりと天井を見つめて思い出す。


 あずさとは幼稚園の頃からよく喧嘩をした。

 好きなぬいぐるみをあずさが汚したり、あずさの鉛筆を誤って折っってしまったことやびっくりさせようとして驚かして泣かせてしまったことも。そのどれもに絶対的な原因があった。


 でも、今回は理由がはっきりと分からない。


「私、何かしたかな……」


 ☆

 学校に着くと早速友美ともみが声をかけてきた。

「ねぇ、聞いた?」

「何が?」

ふじセンのこと」

「いや、何も。藤井先生がどうかしたの?」

「暫く謹慎きんしんらしいよ」

「え!?」


「え、でもでも、火事は別に先生が起こしたんじゃないでしょ?」

「そうだと思うけど……。でも藤センはあの教室の火元責任者だったし、管理が悪かったって言ってたらしいよ」


 なんだか腑に落ちない気がした。

 

「責任者ってだけで、なんかそれ押し付けみたいじゃない?」

「それだけじゃないみたいよ」

 今度は由香里ゆかりが言った。

「火事のあった日、最後にあの教室を使ったのが、科学同好会ってとこなんだけど、そこの顧問だったみたいだし」

「あー、一部で科学同好会の不始末じゃないかって言われてるよね」

「……」


(科学同好会が疑われている……?)

 

 奈緒はあの時の放送を思い出していた。

 今思えばあの放送による呼出よびだしは科学同好会の呼出だったのかもしれない。

 しかし、科学とは名ばかりに化学実験室を利用しているが、実際に実験なんてしてないのを随分前から知っていた。

 

「奈緒?」

「また頭痛むの?」

「ううん、なんでもない」

 二人はあずさが科学同好会ということを知らない。


「ごめん、ちょっとトイレ」


 奈緒は少しだけ気持ちを整理したいと思って二人と離れた。


「——てかさ~、この間の火事、科学同好会なんじゃねって噂になってるよね」


“科学同好会”と聞いて奈緒は思わずトイレの中で耳をそばだてた。

 声は知らない女子生徒のものだった。


「つーか、科学同好会って何?」

 女子の仲間が答えた。

「分からん」

「活動内容がいまいち謎」

「こっそり怪しい実験でもしてるんじゃない??」

「してそう〜」


 ケラケラと笑う声が遠ざかっていった。


(そうか……。そういうことか)

 

 そこでようやっと奈緒はしっくりきた。

 あずさが自分を遠ざけた理由が。


 それと同時に、なぜこの場であの女子達に「違う」とはっきり言えなかったのか、己の無力さと虚しさを感じていた。


 ☆

「ただいまー」

「おかえり」

 奈緒が帰宅すると、ちょうど母が洗濯物を畳んでいたところだった。

 デパート店員として働く母は、土日祝日も働く代わりにこうして平日に休みなるのだ。


「はぁ……」

 ソファーに座ってため息をつく。

「なんだか元気ないじゃない。学校で何かあった?」

「ううん、別に」

「そう、ならいいわ。……あ、そうそう、この間、メール来てたけど奈緒の学校で火事があったんだってね。誰も怪我とかなくて良かった〜」

「……うん」

「……そういえば、あずさちゃん、元気?」

 

 ギクリとした。あずさの話が急に出てくるとは思わなかった。

 

「ほら最近、家来てないでしょ?」

「あぁ、うん。あずさなら、元気だよ。最近忙しいみたい」

「あぁ、そう。なら、良かった」


「勉強してくるっ」

 奈緒は逃げるように部屋に向かった。


 ☆

 翌日、学校であずさを見かけた。


 声を掛けようとしたけれど、やめてしまった。


(あずさが決めたことだ。私がどうこうできることじゃない)


(でも、これで本当にいいのかな……)


 あずさの後ろ姿はなんだか弱々しく見えた。


 ☆

 家に帰って、アルバムを開く。

 そこに写るのはあずさと自分。

 同じ制服を着て並んでピースをしている。


 あずさとは幼稚園からの付き合いだ。


 出会ったのはそう、おままごとで奈緒が意地悪されていた時だった。


『ねぇ、名前、なんていうの?』


『一緒に遊ぼ!』

 

 苦しかったところから連れ出してくれたのはあずさだった。

 

 そこからはいつも一緒だった。

 喧嘩もするけど翌日には大体仲直りしていた。


 噂はいつ収まるんだろうか。


 一度向けられた疑いをはどうやって晴らせばいいんだろうか。


『私はあずさ』


『“あずさ”でいいよ』


「疑う」のは簡単だ。


「本当のこと」はとりあえずいい。


 (あの頃とは違う。今度は私の番だ……)


 奈緒は自転車の鍵を握りしめて、急いで階段を降りた。


「ごめん、でかけてくる!」

「えっ今から!?…もうっ!ご飯できたのに~!」


「帰ってから食べるー!」


 自転車を飛ばしてあずさの家に向かった。


 ☆

 インターホンを押すとあずさの母が出た。

「お久しぶりです」

「あら~、奈緒ちゃん、久しぶり~!」

「あの、あずさは…?」

「いるわよ。でも部屋に閉じこもってて、なんだかずっと考えこんでいるみたいだったけど…」


「上がっても、いいですか……?」

 

 二階にあるあずさの部屋に向かう。


 ノックする。けれど返事はない。

「入るよ」


 そっと部屋に入ると、あずさはベッドの上でオカルト雑誌を読んでいた。


「二日ぶり、かな」

「……噂のこと、もう知ってるんでしょ?」

「うん、だから来た」

 

「一緒にいたら、あたしも疑われるから?」

「……」

「あたしはあずさ達がやったなんて思ってない」

「……うちらじゃないって分かるまで、それまでは学校で話かけてほしくなかった」

「やっぱり」


 いつもそうだ。あずさは本当のことを素直に言ってくれない。

 けれど、それが優しさ故だということを奈緒はもう知っている。


「先生達も同好会を疑ったの?」

藤井ふじい先生も高山たかやま先生も違うって言ってくれた」


 暫くして

「薬品が—―」

 あずさがポツリと言った。

「薬品が無かったんだって」

「薬品?」

「しかもその薬品、使い方次第では火を起こせるものなんだって」

「……え」

「だから、一部の先生からも疑われた」

「でも、同好会はそんなの使わないじゃん」

「活動内容知らない人なんていっぱいいるよ」

「うーん……」


「オカルト研究をしてます」なんて言ったら即廃部だ。だから表向きは「科学について話してます」みたいにしないといけない。


「薬品かぁ〜」

「うちら以外に使った人とかいないのかなぁ」


 頭の片隅であの日のことが思い出される。


『あれ、有村ありむらくんは?』

『あぁ、もうちょっと時間かかるからって』

『何してるの?』

『薬品の片付けだったかな』


 日付から考えると同好会以外で火事の前に実験室を使っていたのは奈緒のクラスになる。


 そして、最後に薬品を手をとれた人物は———。


「――あずさ、ちょっとあたしの話聞いてもらっていい?」


 ☆

「——なるほど。その転校生が怪しいと」

「うん、生徒で最後に薬品に触ることができたのは有村君だと思う」

「仮面のことも考えるとクロかなぁ〜って思いたいけど、いまいち動機が分かんないな」


 動機。そうだ、仮に彼が犯人だとして、なぜわざわざ来たばかりの学校でそんなことをする必要があるのだろう。


「奈緒は有村ってやつと話をしたの?」

「いや、話すきっかけが掴めなくて……」


 放課後は気づくといない。一体彼は何を急いで帰る必要があるんだろうか。


「直接話すのが無理なら、何か証拠を掴まなくちゃね」

「でも、何をしたらいい?」

「そうだな……」


 あずさは暫く考えから言った。


「尾行してみるってのは?」


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