六月の転校生 後編

 火曜日。雷が落ちた日から今日までずっと雨が続いている。


 雨が降っていても蒸し暑さは変わらない。雨と汗とでせっかくセットした髪も台無しだ。


「おー、有村ありむら君、半袖じゃん」

 輪島わじまの大きな声が聞こえた。

「さすがに暑かったから」


 転校初日から上着である学ランを着ていた彼だが、今日はみんなと同じ半袖のシャツを着ていた。その腕から見える色の白さに奈緒なお愕然がくぜんとした。

 

(私よりも白い……!)


「奈緒~、もしや有村君のこと気になってる??」

 にやにやした顔で由香里ゆかりが言ってきた。

「ち、違うよ」

「さっきからチラチラ見てんじゃん」


(あの雷のことがあってから確かに少し気にはなるけど……)


「奈緒ってああいう大人しそうなのがタイプ?」

 横から友美ともみも言った。

「いつもカッコいいって言ってるのとは違うよね。あ、好きになった人がタイプってやつだ〜?」

「だから、違うって」


 奈緒がよく二人に話す好きな俳優は、キリッとした太い眉にくっきりとした二重、色が少し黒くて健康そうなタイプだ。

 しかし、それはあくまでも目の保養という感じ。


 ガラっと教室の扉が開いたのと同時にその場の会話が止まった。


「え、遠藤えんどう君!?」


 クラスメイトの目線の先には遠藤と呼ばれた野球部所属の生徒が松葉杖をついて立っていた。


「遠藤、足怪我したの!?大丈夫?」

 みな口々に心配の声を上げた。


「この間階段で転んじゃって……」

 彼は気まずそうに答えた。


「あちゃー、遠藤君これから地区大会なのにね」

 由香里が言った。

「あれ、確かレギュラーじゃなかったっけ?」

 そう聞くと

「暫く練習なんて出来ないだろうね」

 今度は友美が言った。

「一生懸命練習していたのにね、かわいそう」

「でも、“うっかり”なんでしょ?」

「ちょっと由香里!」


 そこで月乃つきのが入ってきた。さっそく遠藤に話しかけている。

「遠藤君、聞いたよ。大丈夫?」

「ひびが入っているって言われました……」

「そう、お大事にね」

 気の毒そうに眉毛を下げて月乃は言った。


(この時期に怪我は精神的にも辛いだろうな……)


 ギブスを付けている遠藤の右足は遠目で見ていてもとても痛々しかった。


 ☆

 木曜日。


「ねぇ、聞いた?」

「何が?」


 学校からの帰り道、幼馴染のあずさが言った。

 あずさ――、羽金はがね あずさは小さい頃からの友達であり親友だ。

 あずさが引っ越ししたために、中学時代は離ればなれになったが、高校になって再び再会した(二人ともそろって公立の志望校に落ちた)。去年まで同じクラスだったのだが、二年では別のクラスになってしまった。だけどこうして会えるときは一緒に帰ったりもしている。

 由香里や友美ももちろん大事な友達であることに変わりはないが、あずさといるときの方が気が楽なことが多い。


「うちの部の後輩がね」

「ん?あれ、あずさのとこ、同好会じゃなかったっけ?」

 あずさは科学同好会に所属している。科学っていっても実際の活動はオカルト研究会に近い。ちなみに人数は三人。

の後輩がね」

 少し荒々しい声であずさは言った。

「ごめん、“部”であってほしいよね〜」

「当たり前でしょ。奈緒が入ってくれたらよかったのに~」

 ふくれっ面であずさは言った。

 

(それでも人数は足りないのでは……)


「ごめん。それで?後輩がどうしたの?」

「あぁ、そうそう。後輩のクラスメイトが怪我したんだって」

「怪我?」

「階段から落ちて転んだっていうの」


 なんだが最近聞いたような内容だった。


「ヘ、へぇ〜。聞いてるだけでもなんか痛そうだね」

「幸い大きな怪我にはならなかったみたいだけど、それから暫く学校に来てないんだって」

「なんで?」

「……誰かに押されたって言ってて、その子」

「……」

「奈緒のクラスの子もさ、階段から落ちたんでしょ?」


 暫くの間が空いてあずさは言った。


「押されたんじゃない?」

「……え?」


(押された?誰かがあえて遠藤君を狙ったってこと?)

 

「やだ、怖いこと言わないでよ。ただの偶然じゃない?」


 あまりにも彼がかわいそうに思えて、信じたくなかった。


「そうかな」

「そうだよ、きっと」


 そうであってほしいと思った。


 でも、それは始まりにすぎなかった。


 ☆

「次は四組の仁科にしな君だって」

「マジで?ねぇ、次は誰なんだろ」

「誰かから押されたって言ってたらしいよ」

「こわ~」


 その事件の噂はまたたく間に広がった。


「みんな、あの話ばっかりだね」

 隣にいる由香里に言うと

「まぁ、実際に被害にってる人いるんだし」

「でも、全員身に覚えがないって言ってるし、やった人は何が目的なんだろ」

 首を傾げながら友美が言った。


『押されたんじゃない?』


(あの日あずさの言ったことは当たってたかもしれない)


 としたら——。

 のだとしたら——。


「奈緒?」

 呼ばれてハッと我にかえる。

「大丈夫?呼んでも返事なかったけど」

「大丈夫、大丈夫。早く犯人捕まるといいね」


 次は自分かもしれないと思うと、正直恐ろしくなる。

 

(犯人は今度、誰を狙ってくるんだろう……)

 

 ☆

「急ですが、持ち物検査をします」

 授業終わりのホームルームで月乃が言った。


 え〜、と周囲が騒めきだした。

「先生ー、何で今ー?」

 気怠そうに輪島が聞いた。

「タバコを持ってきた人がいるって今日話があったからです。悪いけど、みんな、鞄の中を見せてくれるかしら」


「タバコかよ」

「マジ、いい迷惑」

「犯罪じゃん」

 ぶつくさと言いながらも生徒たちは鞄を机の上に出した。

 それを月乃が一人一人確認していく。

「うん、うん。うん……、大丈夫ね、よし!」


 全員を確認し終えた月乃は教壇のところに戻って言った。

「うちのクラスにはいないみたいなので、良かったですが――、タバコはそもそも吸っちゃいけませんからね!持ち込みなんてもってのほか」


 はーい、とぽつりぽつりと返事が聞こえた。


「あと——、学校に関係ないものも持ってきてはいけないからね」


 月乃が一瞬険しい顔つきになったので、奈緒は少し気になった。


 ☆

 その日は友美に誘われて駅まで一緒に帰ることにした。


「急に持ち物検査とか焦った~」

「何、奈緒。やましいもんでも入ってたか」

「ちがうって。ただ急に鞄見せろとか言うからなんか嫌だっただけ」

「分かるな~」


「—―ねぇ、奈緒は知ってる?」

 急に声を小さくして友美は言った。

「何が?」

「今日の持ち物検査をした本当の理由」

「タバコじゃないの?」

「それは表向きらしいよ」

「え、じゃあ、何?」

「仮面」

「は?仮面?」


「仁科君って四組のいるじゃん」

「あぁ、三人目の被害者」

「その仁科君が、押されて転んだときに一瞬だったけど犯人の顔を見たって言ってて」

「はぁ……」

「犯人は仮面を付けてたんだって」

「え、その一言であんな総出で検査なの?」

「既に怪我した生徒が三人もいて、もうこれ以上出たらヤバいと思ったんじゃない?先生達もさ」

「あ、でも待って、遠藤君は違うかもじゃん?」

 確か彼は、押されたなんて言ってなかったはずだ。

「いや、彼も押されたかもって言い始めてるよ」

「マジか……」


「……本当なの?」

「さっき、トイレで別のクラスの女子が話しているの聞いたの。先生達が昼休みに集まって決めたみたい」

「確かに先生達、昼に緊急会議で呼び出されていたけど」

「先生達も大変だね~。ご飯食べる時間もなくて」


 そこで奈緒は思い出した。


「……あぁ!」

「え、何どうした?急に大きな声を出して」

「財布忘れた」

「あーあ」

「帰りにジュース買おうと思って机の上に置きっぱなしだ」

「すぐ行っておいで」

 呆れ顔で友美が言った。

「ごめん!」

「塾あるから私、先帰ってるよー!」

 離れたところで友美の声がした。

「ごめんー、また明日ねー」

 急いで走りながら答えた。


 ☆

「あった〜」

 やはり財布は机の上にあった。

「中も盗られてない、よかった……」

 財布を鞄にしまい帰ろうとしたとき、すぐそこの廊下を誰かが通った。


「あれ……?」

 後ろ姿は、有村だった。


(忘れ物?)

 

 そのまま気になって後をついていくことにした。


 有村はそのまま校舎の裏まで進んでいく。

 

(どこに行くんだろう)

 

 彼が行きついた先は焼却炉の前だった。


 学校では用務員が掃除やゴミ出しをしてくれている。だから焼却炉のところなんて普段生徒は立ち入らない。いや、立ち入る必要もないのだ。


 彼は焼却炉の近くの茂みから袋に包まれた「何か」を取り出した。

 その後で彼がふいに周囲を見回したので、奈緒は近くにあった用具入れの後ろにとっさに身を隠した。

 焼却炉の扉が開く音がして、そして閉じた。


(こっちに向かってくる!)

 足音は自分の方に近づいて来た。

 用具入れの後ろに隠れたまま、彼が去るのをひたすら待った。


「はぁ、はぁ。やっと、去った」

 足音が遠のいたのを確認して、用具入れから離れた。

 息をするのも忘れていた。汗もかいていた。


「一体何を捨てたんだろ……」

 誰も来ないことを確認して、焼却炉の扉を開ける。そして彼が捨てたであろうビニール袋をそっと開けた。


「なんで……?」

 そこに入っていたのは、白いプラスチックでできた——だった。

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