ナゾの転校生

篠崎 時博

第一部

六月の転校生 前編

 それは、季節外れの転校生だった。

 

 六月に入ってから、曇り空と蒸し暑い天気ばかりが続いている。

 今日は今年初めて三十度を超えるらしい。まだ六月のはじめだというのに。


「ねぇ、クーラーってまだつかないの?」

 ヒーヒー言いながら教室に着いて早々、桐本きりもと 奈緒なおはクラスメイトであり友人の由香里ゆかりに言った。

「今日と明日は点検で使用できないんだって」

「嘘でしょ……」

「マジマジ。ってか奈緒、汗やっばっっ」

「だって、こんなに暑くなるなんて思ってなかったんだもん」

 首や背中からは汗がとめどなく流れてくる。


 この学校は坂の上にある。この蒸し暑さの中、生徒たちは息を切らしながら坂道を上って学校に向かう。


「ねぇねぇ、聞いた?今日さ、転校生がやってくるんだって」

 タオルで汗を拭いていると由香里の隣の席の友美ともみが興奮気味に言った。

「転校生?こんな時期に?」

 奈緒は耳を疑った。

「ホント~?誰情報よ、それ」

 由香里も聞き返した。

 普通、転校生というと、四月か九月の始めに来ることが多いものだ。

「親の都合でズレたのかな……」


「はーい、みんな席に着いて〜」

 教室の扉が開く音と同時に担任である月乃つきのの声がした。

 慌てて自分たちの席に座る。

「今日は最初にみんなに伝えることがあります」

「知ってるー!転校生でしょ〜」

 後ろの方から声が聞こえた。クラスのムードメーカーである輪島わじまが手を挙げながら言った。

「輪島君、なんで知ってるの?」

 少し驚いた顔で月乃は言った。

「職員室通ったときに、見たことない人いたんで」

 女なのか、男なのか。輪島の周囲がざわついた。

「はいはい、静かに。それなら話は早いわね。さぁ、入って」

 月乃の声を合図に教室の扉が開いた。

 呼ばれて教壇の前まで来た転校生は男子生徒だった。


「東京から来ました。有村ありむら 由紀雄ゆきおです」


 転校生の見た目は、特別美形という感じではない。背も体格も平均的だ。鼻筋が通っていて、一重の目、落ち着いた雰囲気からは自分たちより大人びた印象を受けた。

 

「まあまあイケメンじゃん?」

 後ろの席にいる由香里がコソッと言った。

「そうかな?」

「このメンクイが!」

「それよりちょっと古風こふうな名前じゃない?」

「話、逸らしたな〜?」


 奈緒は、彼の名前から、両親と同じかそれよりも上の世代の人にありそうな、少し古臭いイメージを受けた。


「じゃあ、席は――」

 有村は月乃が案内した席に座った。

「よろしくっ!」

 有村の席の近くの輪島が言った。

「……どうも」

 軽いお辞儀をして有村は言った。


 ☆

 ホームルーム後、早くも彼の周りには人だかりが出来ていた。

「東京ってどこらへん?都会の方?」

「えーと……」

「家ってここの近くなの?」

「それは……」

「前の学校でどんな感じ?」

「どうって……」

「有村君は部活入らないの?」

「特には……」

「えー、勿体もったいない。なんでも出来そうなのにねー」

 女子男子問わず質問攻めである。


「なんか早速大変そうだねー、転校生」

「確かに」

 奈緒たちは少し離れたところから有村を見ていた。

「なんだか有名人が来たみたい……」


 それもそのはず。そもそもこの学校、転校生は珍しい。

 この私立佐羽山さわやま高校は、名門校というわけでもなく、建てられて二十年くらいの、しかも偏差値もそこそこの学校だ。

 名物らしいものもなく、駅からも離れており、公立の学校に落ちただとか、家から近いから、という理由で来た人もそれなりにいる。


 有名高校なら、例えばスポーツの特待生とかが編入してくることがあると聞く。

 それに同じくらいの偏差値なら、県立高校の方が駅から近いし人気もある。


「なんでうちみたいな高校来たんだろ……」

 由香里が呟いた。

「やっぱり親の都合だよ。でなきゃこんな私立高校こないっしょ!」

 笑いながら友美が言った。


 そこでチャイムが鳴った。

 みんなバラバラとそれぞれの席に戻る。


 質問攻めでぐったりしている有村に目を向けると、彼の鞄からキラリと何か光るものが見えた。


(なんだろう、あれ……)


 ちょうどそこで国語の真壁まかべが入ってきたので、奈緒は慌てて教科書を開いた。


 ☆

「——今日はここまで。来週はここの範囲までをテストに出しますよ」

 化学の藤井ふじいが黒板に書いた化学式に印を付けて言った。

 え~、と声があがる。金曜の最後は化学の授業で終わる。よりにもよって一番苦手な化学で終わるので、奈緒はこの時間はいつもブルーな気持ちになる。


「藤センの小テスト、マジでムズイんだよな~」

「あたし、この間十点だったんだけど」

「奈緒はホント化学苦手だよね~」

「友美に教えてもらお」


「よし、この友美様が教えてあげよう!」

 横で聞いていた友美がすかさず言った。

「なんだよ、“様”って」

「友美様、教えてください!!」

「ふふ、でもただじゃダメ~」

「……『グラッド』のティラミス?」

「正解!」

「じゃあ、そのまま『グラッド』行こ」

「オッケー」


『グラッド』は学校の近くにある洋食屋である。カフェメニューもあり、中でもティラミスは絶品だと評判だ。また、洋食屋にしては価格が少し安めなだけあって、ここの生徒たちはよく『グラッド』に行く。


 昇降口に行くと外は雨が降っていた。

「折りたたみ傘持ってきて良かった~」

「ねー、ほんと。……あ、そういや今何時だっけ?」

 思い出したかのように由香里が言った。

「あ、あたし見てくる」

 昇降口の屋根の上の方に大きな時計がある。

 急いで靴を履いて時計の見える位置までに行く。

 そこで意外な人物の姿を見た。例の転校生だ。


 時計は二階と同じ高さでちょうど渡り廊下の途中に位置している。その渡り廊下の窓から有村の顔が見えた。彼の視線は自分の方を向いていた。


(え、なんで?)


 そのとき、急に辺りが白い光りに包まれた。


(隕石?爆弾??)


 思わずしゃがんで頭を抱えた。

 しばらくして「バリバリ」と音がした。

 近くにいた他の生徒の「雷だー」と叫ぶ声が聞こえた。

 

(雷だったのか……)


 ホッとしてゆっくりと目を開けて立ち上がると

「奈緒、大丈夫!?」

 二人が慌てて駆け寄って来た。

 周囲に焦げ臭い匂いが漂っている。ふと後ろを見ると、校門に植えてあった木から煙が出ていた。

「ひぇ……」

 離れていたとはいえ、こんなに近くに雷が落ちたのを奈緒は初めて見た。当たらなかったのはある意味奇跡だ。


 ハッと思い出して、さっきまで彼がいた渡り廊下の方を見た。有村はいなかった。


「おい、大丈夫か!怪我をした生徒はいるか!」

 すぐに生活指導の尾崎おざきが周囲の安全を確認しにやってきた。

 奈緒を含め怪我をした生徒は幸い一人もいなかった。


「危なかったね」

「奈緒が無事で良かった」

「う、うん……」


 雷が落ちる前の有村を思い出す。

 

(ちょうど雷が落ちたあたりをみていたような……?)


『グラッド』からの帰りも雨は止まなかった。


 

 その日関東は梅雨入りした。

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