水たまりの哀舞曲(タンゴ) その五

 一九二〇年六月二三日 帝都丸の内 帝都劇場屋上





『ダン!』


 ウィンチェスターM1912標準タイプの咆哮がとどろく。

 この雨の中でも爆裂弾が機能したのか、女王白蟻様の〈イ婦人〉下半分を吹き飛ばす。

 ……いや、消し飛ばした。


「貴方が出した腕(造腕マルチアーム)はとっくに切り落としていたはず!

 現に先程も……」


〈イ婦人〉が床に転がっている造腕マルチアーム二臂を再度確認すると、今まで機能を停止していた二臂が人差し指と中指でV字形を作っているではないか。


 ダブルブイサインを目の当たりにした〈イ婦人〉は、宮森の仕掛けた詭計トリックを見破るため直ぐさま広範囲精査ワイドレンジ・スキャンを試みる。

 着物の袋帯ふくろおびの中で揺蕩たゆたっていた眼球群が一斉にはしり出すと、〈イ婦人〉の脳裏に自身を狙撃した銃器が映し出された。


又隣またどなりのビルディング屋上に、散弾銃を構えた腕が二本と弾込め役の腕が一本……。

 銃を構えている二本はつな(ロープ)で雨樋あまどいに固定されている。

 弾込め役の一本を使ってやったのでしょう。

 それに損傷箇所も修復されているわ。

 今は雨だから水分には困らない。

 恐らく背嚢には食料が入っていて、それで〈ミ゠ゴ〉を増殖させたのね。

 本当に器用なこと。

 他の腕三本もどこかに潜んでいるはず。

 最優先で探さなくては……⦆


 腕だけの奇妙な射手シューター排莢はいきょうするのを認識した〈イ婦人〉。

 現状況では触手を再生させている暇は無いと判断したらしく、時間稼ぎの会話と共に広範囲精査ワイドレンジ・スキャンを続行する。


「……貴方は切り落とされた腕も問題なく操作できたのですね。

 でも、直ぐにはそれをやらず温存していた。

 風景に紛れる術(光学迷彩)や〈ミ゠ゴ〉による精神侵食はおとり

 攻め手を無くしたと見せ掛け、私の油断を誘った……」


『バスーーーーン!』


 予期せぬ雄叫びを上げたのはスプリングフィールドM1903。

 射手シューターを統率する狙撃手スナイパーは、〈イ婦人〉の攻撃だけでなく時間稼ぎも許さない主義らしい。


〈イ婦人〉は、宮森の右腕を縛り上げていた血管針ごと胴体を撃ち抜かれる。

 宮森はここぞとばかりに念動術サイコキネシスを発動。

 再度手にした西洋両刃長剣ロングソードで、自身をいましめている彼女の両腕、妖髪、血管針を斬り払った。


 宮森を逃がした事で、自身の置かれている状態にようやく気付いた〈イ婦人〉。


「撃たれた部分が……き、消えている⁉

 まさか、あの剣と同じ物がどこかに隠してあるというの?

 でも、遠隔操作用の信号などは一向に検知されない……」


「信号などはなから出していませんよ。

 仮に、魔術の心得を持った者達が視たとしても信じないでしょうね」


「比星の一族でもない貴方に、何故そのような真似が……」


「自分の能力ではありません。

 友人に頼んだのです。

 比星 一族の、友人にね」


 そう、造腕マルチアーム遠隔操作リモートコントロールしているのは宮森ではない。

 彼は幻魔誅滅の弾丸を放ってくれた友人に思念で礼を言う。


『さすが明日二郎、いい腕だ。

 お前に任せて正解だったよ』


『オイラは依頼に対し全力を尽くして遂行する。

 そして、結果に生じる全ての責任を負うのもオイラのルールだ……』


『はいはい。

 お前が渋くて洗練されてるダンディーってのは充分解ったよ』


『最後までチャンスを待つのが本当のプロフェッショナル……』


 極太眉毛に角刈り揉み上げコンボの明日二郎。

 まだまだなりきりタイムを続けたいらしい。


『だからもういいって』


『この場を逆転できる手段があるのなら、余計な口を利いてないで行動するコトだ……』


『おい明日二郎。

 あんまりくどかったら、食事の感覚共有を暫く停止させるぞ』


『そんな御無体ごむたいな~』


 仕事人プロフェッショナルから普通人パンピーに態度を早変わりさせた明日二郎に、宮森が抱えた重苦しさも僅かに和む。


 これから宮森に起こる、又は彼が起こす行動は、傷痕きずあととして彼の心に残り続けるだろう。

 明日二郎は、それを少しでも和らげようと気をつかったのかも知れない――。





 今日一郎から幻夢結界を中和する能力を与えられた明日二郎。

 彼は宮森が放逐パージした造腕マルチアームを操作し、幻魔誅滅弾を見事に命中させた。


 今の明日二郎は、幻夢結界を打ち破る権能を今日一郎から付与されている。

 その為、彼の行動はおろか、その存在すら幻魔側からは探知できないのだ。


 先述の様子は、周辺に展開している瑠璃家宮 派の魔術師達にも観えていただろう。

 だが宮森は、幽体である明日二郎を認識させないよう偽装工作カモフラージュしている。

 その効果により、下級魔術師程度では明日二郎を認識できない筈だ。


 捕縛から脱した宮森は、幻魔誅滅の力を有する西洋両刃長剣ロングソードで〈イ婦人〉の女王白蟻様胴体から女形部分を斬り離す。

 程無くして、女王白蟻様胴体がまるまる消失した。


 機動力と武装を同時に失った〈イ婦人〉は、死なば諸共の博打ばくち戦法を取る。

 宮森に斬り落とされた両腕を始めとする損傷箇所から有りったけの血管針を生成し、その全てを宮森にぶつける積もりなのだ。


 身体を構成する霊力すらも動員した行為で、〈イ婦人〉の存在自体が揺らぐ。

 その証拠に、彼女の身体は透け始めていた。


 もしこのまま消失してしまえば寅井 ふじ は死亡。

 彼女に定着している〈イドラ〉と呼ばれる邪霊は、魔空界へ出戻りとなるだろう。


 只、宮森の捕食に成功した場合は話が変わる。

 彼の霊力を吸収し幻魔としての命を長らえるばかりか、更なる存在へと進化する事が可能らしい。


 進化を求める〈イ婦人〉は、淡藤色あわふじいろ霊色オーラを放出させ起死回生の一手に出た。


[註*淡藤色あわふじいろ=淡い青紫色。

 似た色に薄藤色うすふじいろがあるが、淡藤色よりも若干濃い]


〈イ婦人〉は瞬く間に血管針群を伸び広げ、宮森を囲みに掛かる。

 血管針の本数が余りに多い為、彼にはさばき切る事が出来ない。

 仕舞いには両腕を縛られ、剣を振るえなくなってしまった。

 頼みの狙撃手明日二郎も次弾の装填で忙しいらしく、咄嗟とっさの救助は期待できない。


 恋しい相方パートナーは再び〈イ婦人〉の腕の中へ。


「これで終わりではありませんよ。

 貴方は私の一部として生き続けるのです……」


 ここで宮森の左腿さたい部装甲が展開した。


 生体装甲バイオアーマーの腿部内部には空間がもうけてあり、宮森は普段拳銃や弾倉マガジンを収納している。


〈イ婦人〉が警戒した隙に念動術サイコキネシスを使った宮森は、品物を〈イ婦人〉に視認させるよう浮遊させた。


「そんなガラクタが今さら何の役に立つというのです!」


〈イ婦人〉は宮森の行動を最期の足掻あがきと断じ、無数の血管針を突き立る。

 彼は障壁バリアを展開するも、攻撃密度が高過ぎてえ無く破られてしまった。

 その衝撃で頭部装甲は破壊され、彼の素顔が雨曝あまざらしになる。


 後は血管針で宮森の全てを吸い取るだけの〈イ婦人〉。

 だが、彼の取り出した品物が妙に気に掛かるらしい。


「その行動に何の意味が……⁈」


 ガラクタを、そして宮森の素顔を視るなり、着物の袋帯に漂っていた目玉探知器が一斉に消失する。

 恐らくは、〈イ夫人〉の認識能力がいちじるしく減衰げんすいしたのだろう。


 当然、〈イ婦人〉本体も強烈な眠気に襲われる。


迂闊うかつ……でした。

 既に術を仕掛けられていたとは思いもよらず……。

 でも……貴方は今まで術を発動させなかった。

 ふふふ、甘い、ひと、ね……」


 宮森は ふじ との初デエトの際、彼女の様子や不可解な振る舞いに疑念を覚える。

 そして万媚と初めて相対した夜、彼の疑念は確信へと変わった。

 その後 宮森は帝劇の楽屋へとおもむき、ふじ に後催眠暗示を掛けたのである。


 術式の効果は、宮森の霊力が許す限り眠り続ける事――。


 術式発動の合図は、ひしゃげたオペラグラスを視る事――。


 万媚と二度目の邂逅かいこう時、宮森には後催眠暗示を発動させる機会チャンスが有った。

 しかし彼は ふじ が怪物になり果てたとの現実を受け入れられず、術式発動を躊躇ちゅちょしてしまう。

 結果として、万媚や〈イサナ〉の餌食が増える事となってしまった。


⦅自分の所為で……⦆と宮森は悔い、⦅もう犠牲者は出せない……⦆と心に誓う。

 そんな思いから、彼は術式発動に踏み切ったのだ――。





 これから彼女を手に掛けねばならない。


 愛ゆえに絶望する彼の精神こころ


 なるだけ苦しまぬよう送ってやりたい。


 その為の、眠り――。


 罪悪感で押し潰される彼の倫理感。


 綾の胎盤を喰らった事で取り込んだ〈ショゴス〉。


 彼自身に据え付けらインストールされた〈死霊秘法ネクロノミコン〉。


 それゆえの、目覚め――。





 雨を通じて空と海が混じり合う。


 あぶくになって沈み込む。


 殺し合いダンスを通してふたりが交じり合う。


 阿吽あうんの呼吸で足譜ステップを交わす――。





 水たまりの哀舞曲(タンゴ) その五 了

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