水たまりの哀舞曲(タンゴ) その四

 一九二〇年六月二三日 帝都丸の内 帝都劇場屋上





 夜明け前。

 悲しき踊り子たちダンスペアが丸の内に移る頃には小雨が本降りへと変わり、帝都を覆う〈ザイトル・クァエ〉の花粉霞をすっかり洗い流していた。


 朝の早い一部の民間人がぽつぽつと通りに出始めるも、彼らは出たそばから屋内へと戻って行く。

 ふたりの邪魔をさせない為、瑠璃家宮 派の魔術師達が催眠暗示を掛けまわっているのだ。


 回転木馬メリーゴーランドのように帝都を巡り巡ったふたり。

 最後に選んだ舞踏場ダンスホールは、帝都劇場の屋上。


 もつれ合う宮森と〈イ婦人〉。

 ふたりの哀舞曲タンゴは、遂に最高潮クライマックスを迎える――。





 コルトM1911を取り出し射撃を続ける宮森だったが、拳銃一丁では牽制にもならず〈イ婦人〉に反撃の機会を与えてしまった。


〈イ婦人〉が女王白蟻様胴体をらすと、幾本かの触脚が地を離れ自由になる。

 今迄〈イ婦人〉を支えていた触脚達は変容を開始し、一瞬で触手となった。


 変容した触手は長い胴体の両側に沿って左腕、右腕、左腕……と、交互に並ぶ。

 触手が出揃うと胴体がぶるぶるとうごめき、触手の隣から新たに骨質こっしつくいが伸び出た。


 杭は三日月形に湾曲しており、その両端を細い繊維が繋いでいる。

 この形状を観れば一目瞭然だろう。


「私も貴方のように学習してみました。

 その成果を御覧ください」


⦅弓矢だとっ⁉⦆


 準備が完了しだい次々と射られる骨質の杭。

 宮森は払い落とすのに精一杯で、冷や汗をかく暇も無かった。


 しかし、幻魔の攻撃を無効化する西洋両刃長剣ロングソードの御蔭で彼自身に被弾は無い。

 只、展開していた左後背部の造腕マルチアーム二臂を射貫いぬかれてしまう。

 それにともない、最後の背嚢バックパックとコルトM1911は帝劇屋上の床に投げ出されてしまった……。


 おまけに、〈イ婦人〉の鉤爪攻撃で背嚢バックパックの中身がぶちまけられる。

 それだけでは終わらない。

 彼女は念には念を入れ、背嚢バックパックから飛び出た弾薬すべてに爪を立て使用不能にした。


 だが宮森も負けてはいない。

 蜘蛛糸射出孔ウェブシューターから蜘蛛糸玉ウェブボールを乱射し反撃を試みる。


 対する〈イ婦人〉は保留していた触手を展開。

 迫る蜘蛛糸玉ウェブボールことごとく払い落とした。


 潰された蜘蛛糸玉ウェブボールは蛋白質の割合が低かったのか、雨粒に溶け込むかのように細かく消散する……。


〈イ婦人〉に命中こそしなかったものの、蜘蛛糸玉ウェブボールでの牽制は充分効果を発揮。

 触手弓しょくしゅきゅうによる斉射をしのげた宮森は、ここぞとばかりに接近戦を仕掛ける。


「銃器が使えなくともっ!」


 元より、幻魔誅滅の権能を持つ斬撃は防御不能。

 それに加え、体躯の大きい〈イ婦人〉は回避も不能。


〈イ婦人〉は射終いおわわった触手弓を防御に振り分け、女形部分へ斬撃が来ないよう誘導した。

 宮森も彼女の動きを観察し、触手や血管針が生える機会タイミングを見極めようとする。


 霊力を消費し触手の急速再生を図る〈イ婦人〉だったが、生やしたそばから刈り獲って行く宮森。

 それが可能なのも、〈イ婦人〉が触脚を触手弓に変容させていたからだ。


〈イ婦人〉としては、敏捷性を犠牲にして武装の充実を図った事が裏目に出た形。

 宮森はそれに乗じ、〈イ婦人〉周囲を走り回り乍ら攻撃の機会チャンスを窺う。


 その最中も宮森は蜘蛛糸射出孔ウェブシューターを稼働させ、極細の蜘蛛糸を帝劇屋上は言うに及ばず、〈イ婦人〉全周囲にも張り巡らして行った……。


 一方で宮森の動きに付いて行けない〈イ婦人〉は、着物の袋帯ふくろおび内にただよっている目玉模様を盛んに動かし用心する……。


 両者が互いの動きを注視する中、事態は動いた。


〈イ婦人〉の左側面から猛然と間合いを詰める宮森。

 反応した〈イ婦人〉は、触手による殺線キリングラインを全周水平放射し防衛を試みる。


 一条の殺線キリングライン生体装甲バイオアーマー頭部を貫いた。

 しかし、宮森は何故か走る事を止めない……。


 疑問を感じた〈イ婦人〉は、女王白蟻様胴体を不気味に蠕動ぜんどうさせ警戒する。


⦅手応えが無い。

 という事は……⦆


 宮森は頭部を貫かれたままで走り続け、遂に〈イ婦人〉へと接触する。


 接触していなかった。


〈イ婦人〉に迫るかに見えた生体装甲バイオアーマーは、光学迷彩映写幕オプティカル・カモフラージュ・スクリーンに投影されし虚像。


 仕掛けた宮森 本体は、光学迷彩機能で生体装甲バイオアーマーの表皮を透明化。

 既に跳躍している。


⦅いま狙える最も効果的な攻撃可能箇所は……奴の真上!⦆


 上空からの攻撃を読んでいた〈イ婦人〉。

 彼女は前もって女王白蟻様胴体内に準備していた矢……骨杭ほねくいを、垂直方向へ扇状発射。

 直上からの急襲を迎撃しに掛かる。


 案の定、跳躍した生体装甲バイオアーマーを貫く骨杭。

 無惨にも串刺しになった宮森……


⦅これで奴は武装を出し尽くした……⦆


 は二体目の虚像で、当の本人は正面から奇襲を掛ける。


⦅接近できさえすれば自分にが有る。

 あと二、三回やいばを交えれば……⦆


「甘いですね」


〈イ婦人〉の袋帯ふくろおび内にただよっている目玉模様が一斉に正面を睨む。

 そう、宮森の奇襲は読まれていたのだ。


 光学迷彩で景色とほぼ同化している宮森を、自慢の目玉探知器で正確に把握した〈イ婦人〉。

 彼女は何を思ったのか、女形部分の両腕を宮森の蜘蛛糸射出孔ウェブシューターに突っ込む。

 これでは蜘蛛糸を発射できず、宮森は鞦韆移動スイングムーブを始めとした行動が取れない。


 宮森の機動力と攻撃手札を大きく削ぐ事に成功した〈イ婦人〉。

 彼女は目前の宮森を見詰め、してやったりと北叟笑ほくそえむ。


「あんな単調な動きで私を出し抜こうなんて、見込み違いにも程があるのでは?」


〈イ婦人〉は両腕を蜘蛛糸射出孔ウェブシューターに突っ込んだまま、妖髪ようはつで宮森の胴体を、血管針で四肢を縛り上げる。

 彼女自身は西洋両刃長剣ロングソードに一切触れる事が出来ない為、彼が剣を振るえないようはりつけにした。


「くそっ、このままでは動けない……。

 しまった⁉」


〈イ婦人〉からの締め付けが強まった事で、宮森は剣を取り落としてしまう。


 勝ちを確信した〈イ婦人〉は、着物の裾下に覗く巨大な獣口じゅうこうを開き密接抱擁みっせつほうよう(クローズ・ホールド)へと持って行った。


[註*密接抱擁クローズ・ホールド=社交ダンス用語。

 男女が密着に近い状態で正対する基本的な組み方。

〘クローズド・ポジション〙とも呼ばれる。

 密接抱擁みっせつほうようとの漢字表記は作者の造語]


 密接抱擁クローズ・ホールドを解かない限り、宮森は程なくして〈イ婦人〉の一部となってしまうだろう。


「シュアアアアァグルルウゥ……」


 宮森の悪寒を余所に、〈イ婦人〉は獣口から熱い吐息を漏らした。

 彼女に定着した〈イドラ〉とって、男性オトコを喰らう事は本能に刻まれたこの上ない喜悦である。


 獣口がよだれを垂れ流すその様は、これから来るだろう快感を想像して愛液を分泌する巨大な女性器。


 その凶暴な女陰〈イ婦人〉男陽宮森を味わおうとした正にその瞬間……


「これは何?……ヰェルクェニッキ…………思考が乗っとられる……ヰェルクェニッキ……早く対処しないと。

 取り返しの……つかない、ヰェルクェニッキ……事に」


〈ミ゠ゴ〉菌糸が急成長。

 瞬く間に〈イ婦人〉を覆い尽くす。


〈ミ゠ゴ〉による精神侵食が効力を発揮したようで、宮森の四肢を縛り上げている妖髪と血管針の締め付けが緩んだ。

 後は、蜘蛛糸射出孔ウェブシューターに突っ込まれている〈イ夫人〉の両腕さえ外せれば脱出が叶う。


⦅良し!

 これで逃げられ……ぐあああぁっ⁈⦆


 叶わなかった。


 宮森への締め付けは今まで以上に強まり、自力での解放は絶望的となる。


 何故〈ミ゠ゴ〉による精神侵食が破られたのか、〈イ夫人〉を精査スキャンする宮森。


⦅まさか、喰っているのか?

〈ミ゠ゴ〉の胞子を……細胞ごと!⦆


 宮森の脳裏には、〈イ夫人〉の細胞一つ一つが〈ミ゠ゴ〉胞子を捕食する姿が映し出されていた。


〈イ夫人〉は細胞レベルで〈ミ゠ゴ〉を喰い散らかし、精神侵食から脱したのである。


「くそ……」


 光学迷彩に〈ミ゠ゴ〉による精神侵食。

 全ての策を封じられた宮森は万事休す。


「残念でしたね。

 では、頂きます」


「シュアアアアァグルルウゥ……」とうなりを上げた〈イ夫人〉の獣口。

 その唸りが咆哮に変わらんとしたまさにその時……





 よそ見もせずに互いと向き合う。


 前へ前へと水の輪をくぐる。


 しなやかに手を取り合う。


 目と眼で強く描き出す――。





 水たまりの哀舞曲(タンゴ) その四 了

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