水たまりの哀舞曲(タンゴ) その三

 一九二〇年六月二三日 帝都神保町じんぼうちょう





 闘いの舞台が神保町へ移り変わると、もはや小雨とは云えない雨量になっていた。


 相変わらず人家の多い方へと逃げ続けていた〈イ夫人〉に好機が訪れる。

〈ザイトル・クァエ〉の花粉が雨で流された為、一部民間人の催眠が解けてしまっていたのだ。


 宮森と〈イ婦人〉との戦闘音で眠りをまされたのだろう。

 ひとりの男性が民家から出て来る。


「なんだかうるせえなあ……むにゃむにゃ……。

 いま何時だと思ってんだぁ、こらあぁ。

 ん?

 あの姿はどっかで……」


 この男性は以前 伊藤が〘ガヤイチの怪〙を調査した際に遭遇した民間人で、生体装甲バイオアーマーを纏っていた伊藤と〈イブン・ガジの粉〉の効力で視認可能状態だった〈イサナ〉を目撃している。

 どうやら彼のねぐらはここ陣保町らしい。


 この男性にとって、怪人と異形との触れ合いは衝撃ショックが大き過ぎた。

 暴れた彼は伊藤から気絶させられ、その御礼に失禁を進物プレゼントしてしまう。


 以前視た場景との相違点を見いだし、感情を乗せて叫ぶ男性。


「前とは色と形が違って視えるが、ありゃ帝劇の怪人だ!

 そんで怪人と闘ってんのは……ば、化けもんだって⁈

 なんで市谷じゃなくここに居るんだよ。

 しかも今度は子供の顔じゃなくて……お、女の身体が生えてる?

 も、もしかして市谷のヤツの親戚かなんかか⁈」


 時代が時代なら競技の実況で活躍できただろうに、彼の命は〈イ婦人〉によって刈り取られようとしている。


「な、なんでこっちくんのぉーーーーーー⁈」


 堪らず逃げ出した男性に迫る〈イ婦人〉。

 男性を殺害し、邪念を補給する積もりなのだ。


⦅まずい。

 近所の人々が目を醒まし始めている……⦆


〈イ婦人〉が殺線キリングラインを繰り出すと、男性を守るため間に割って入る宮森。

 鉤爪を西洋両刃長剣ロングソードで無効化すると、男性を突き飛ばし安全確保に努めた。


 何とか男性を助ける事が出来た宮森は、剣を振るい〈イ婦人〉を牽制けんせいする。

 だが宮森にも損害が無かった訳ではない。

 殺線キリングラインの一条に背嚢バックパック肩紐かたひも(ショルダーハーネス)を切られたのだ。


 幸か不幸か、左後背部の一臂でぶら下げていた背嚢バックパックは宮森自身の物。

 散弾銃用の弾薬は入っていないので、ウィンチェスターM1912二丁はまだ使える。


 只、宮森にとってこの戦闘は恐ろしく不利だ。

 彼は一般人を犠牲にしたくはないだろうし、生体装甲を纏い続けるにも限界が有る。

 一方〈イ婦人〉が纏う幻夢結界の制限時間は不明だが、今のところ切羽せっぱ詰まっている様子はない。


 それに、〈イ夫人〉は民間人の犠牲など毛程もいとわないだろう。

 民間人を傷付けたり殺害する事により、活力となる邪念を補給できるのがその理由だ。


 高らかに宮森の弱点を指摘する〈イ婦人〉。


市井しせいの方々を巻き込まないよう、最大限の注意を払っていらっしゃいますね。

 だから行動を読まれるのです。

 ほらほら、このままだと自慢の御手々おててが無くなってしまいますよ」


〈イ夫人〉が余裕を見せ始める中、彼女の内部を精査スキャンする宮森。

 その結果、触手が復元した機構メカニズムを知る事となる。


⦅万媚は触手先端を故意に壊死えしさせ、ふじ さんの霊力を使って再成長させたのか。

 その証拠に、奴の体躯が縮んでいるぞ……⦆


 民間人の捕食を断念した〈イ夫人〉は、宮森を翻弄するかの如く足踏ステップを踏む。


 宮森は彼女の蛮行をとめる為、全力で追い縋る他はない――。





 雨が降り積もって海になる。


 いっその事ふたりで溺れましょうよ。


 息つく間もなく惹かれ合って、


 強く結びつきたい――。





 一九二〇年六月二三日 帝都浅草





 悲しき踊り子たちダンスペア舞踏場ダンスホールを浅草へ移す。


 帝居に近いこの辺りには、瑠璃家宮 派の魔術師達が詰めていた。

 彼らの任務は帝居防衛の他、外部工作員達との連絡係も兼ねている。


 その魔術師らに思念波を送る宮森。


『幹部の宮森です。

 聞こえますか?』


『聞こえております宮森 様。

 御用をどうぞ』


『いま自分が闘っている相手を把握していますか?』


『はい、把握しております。

 聞かされていた情報とは随分と違いますが……あの化け物が外法衆の万媚で?』


 魔術師達へ要件を告げる宮森。


『そうです。

 皆さんにはこれから指示する事を実行して貰いたいのですが、よろしいでしょうか?』


『何なりと』


『先ずは帝居を障壁で覆い、守りを万全にしてください。

 もうそろそろ民間人が目を醒ます頃です。

 戦闘区域に近付けさせない事は勿論、目撃者の記憶改竄かいざん処置もお願いしますね。

 それから、を観ても絶対に手を出さないようお願いします』


『う、うけたまわりました。

 宮森 様、御武運ごぶうんを……』


 宮森から転送される場景イメージを受信した魔術師は、その異様さに顔を引きらせる。

 だが平静を装い仲間達へ情報を伝達する姿は、仕事人プロフェッショナルかがみだ。


 帝居防衛と事後処理を依頼した宮森は、〈イ婦人〉への攻撃に集中する。


 右肩の造腕マルチアームとスプリングフィールドM1903を捨てた上、民間人への配慮からも開放された宮森の動きは軽快。

〈イ婦人〉は思うように間合いを取れず、彼の肉薄を許してしまう。


 宮森は〈イ夫人〉の女王白蟻様胴体と着物を着た女形めぎょうとを分断すべく、西洋両刃長剣ロングソードを横ぎに一閃……


⦅壊死していた触手先端が徐々に膨らんで……。

 来た!⦆


 しようとしたが、攻撃の予兆に気付き防御最重視の構えへと移行する。


〈イ婦人〉は宮森に斬断されていた箇所から触手を伸ばし、彼の腕を弾いた。


「くそっ、矢張り……」


〈イ夫人〉の触手が蘇った事で宮森の攻撃は失敗に終わる。

 今度は彼女が舞踏ダンス先導リードする番だ。


〈イ夫人〉が至近距離で殺線キリングラインの豪雨を繰り出す。

 対する宮森は幻魔必滅の権能を有する剣で防御。

 剣に触れた触手は次々と消失して行き、彼本体への損傷ダメージは無い。

 右後背部に装備しているコルトM1911で迎え撃つも、接近していた所為で全ての鉤爪をさばき切る事は出来なかった。


『ガシュッ!』


「ちぃっ!

 拳銃に加え造腕もやられたか……」


 コルトM1911と左肩部装甲を破壊された宮森は、前回と同じく銃器諸共造腕マルチアーム二臂を捨て去る。

 又、コルトM1911とウィンチェスターM1912の弾薬が入った背嚢バックパックも落としてしまった。


 先ほど宮森が放逐パージした造腕マルチアームが保持していたのは、ウィンチェスターM1912標準タイプ

 偶然か将又はたまたそうではないのか。

 彼は捨て去った銃器の弾薬が入った背嚢バックパックを落とした事になる……。


『シャッ……』


 このままでは押し切られると判断したのか、周囲のビルディングへと蜘蛛糸を射出した宮森。

 蜘蛛糸による高速移動と射撃で〈イ婦人〉の隙を突く算段だ。


 しかし、宮森の行動は捕らぬたぬき皮算用かわざんように終わる。

 彼の行動を予測した〈イ夫人〉が、移動経路上に殺線キリングラインをいち早く伸ばしたのだ。


『シャクッ!』


 躱そうと努力したが一歩及ばず。

 宮森はウィンチェスターM1912ソードオフタイプを保持している右後背部の二臂をられた。


 幻魔必滅の剣を警戒したのだろう。

 深追いはせず離脱に徹する〈イ婦人〉。


 武装の大半を失った宮森は、それでも標的ターゲットを追い続ける。

 彼はその途中、浅草公園水族館、通俗教育昆虫館、花屋敷を見掛けた。

 ふじ とデエトした思い出が、回転木馬メリーゴーランドの如く彼の脳裏に去来する。


 甘酸っぱい感情が湧き上がるのを抑える為、宮森は人格を裏へと切り替えた。


⦅これで、非情に徹する事が出来る……⦆


 感情的な理由で感情を殺した宮森。


 その様は死を覚悟した獲物のようでもあり、狡猾こうかつ狩人かりうどのようでもあった――。





 深く逸らすとうねり出す。


 もっともっとふたりで繋がりましょうよ。


 引き返す気もなく泳ぎ出して、


 あなたを引き寄せたい――。





 水たまりの哀舞曲(タンゴ) その三 了

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