帝劇の怪人 その六

 一九二〇年六月 帝都丸の内 帝都劇場





 ふじ の体内に定着する微粒子の詳細は判り兼ねたが、彼女の健康に関わる可能性が有る以上、宮森は助言しない訳にも行かない。


「疲れやすいのは、体内に毒素が溜まっている所為ですね。

 ねぎや青魚をたくさん食べるといいですよ」


「ご忠告ありがとうございます。

 じゃあ、そんな宮森さんに贈り物です!」


 健康診断の礼と云う訳ではないのだろうが、ふじ から宮森へ贈り物が有ると云う。


 ふじ は席を立つと、鏡台横に並べられている鉢植えの一つを持って来た。

 彼女は、白と薄青うすあおの花を咲かせる小振りな植物の来歴を披露する。


「後援会の方が持って来て下さったんです。

 何でも、もとはドイツ国のものだとか。

 この薄青色の小さい花が、宮森さんみたいにかわいく思えてしまって……」


「自分が可愛い……ですか?」


「あ⁉

 男の方にかわいいなんて言ってすみません」


「いえいえ、誉め言葉として受け取って置きますよ。

 自分が薄青なら、ふじ さんは白ですね。

 愚直ぐちょくに芝居に取り組む、ふじ さんらしい色です」


 宮森にしては気障きざな台詞に、ふじ も満更まんざらではないようだ。


「恥ずかしがり屋の宮森さんからそんな言葉が出るなんて、雨か雪でもふるのかしら」


「いくら何でも雪は言い過ぎですよ、雪は……」


「ふふふふふっ……。

 あっははははははははっ♪」


「ちょっと ふじ さん、自分で遊ばないでください」


 雰囲気が和んだ所で、再び神妙な顔付きに戻った ふじ が望みを伝える。


「宮森さん、どうかこの花を受け取ってください」


「自分は花の世話などした事は有りません。

 枯らしてしまうかも知れませんよ……」


 ふじ は鉢植えを手渡し乍ら言った。


「もともとは多年草らしいんですけど、暑さに弱いから花はもうすぐ終わるみたいですね。

 そして、秋に種をけば来年の三月か四月ごろにまた花を咲かせるそうです。

 あと、水はたっぷりとあげて下さい」


「分かりました。

 植物に詳しい知り合いがいるので、世話に困ったら対処して貰います」


 宮森は鉢植えを受け取ると、背広の内物入れポケットからオペラグラスを取り出した。

 それは以前、彼に成り代わった瑠璃家宮が ふじ を蹂躙じゅうりんした時の物である。


 その際は瑠璃家宮が朝鮮朝顔の幻覚作用を増大させていた為、恐らく ふじ はその惨劇を憶えていない。

 いない筈だが、まだ新品同様のオペラグラスを見詰める彼女の表情は暗く、瞳には悲しみの湖が醸成されて行く。


「どうしてかしら。

 そのオペラグラスを見るとなぜだか気分が落ち込んじゃって……」


「す、すいません!

 前にも言いましたけど、こっちのは壊してしまいまして……」


 申し訳なさそうに頭をいた宮森は、もう片方の内物入れポケットからひしゃげたオペラグラスを取り出す。

 ふじ の瞳には相変わらず湖が居座っていたが、その水質は悲しみから喜びへと変化していた。


「いくら壊れていたとしても、わたしはそっちのほうが好きです。

 宮森さんとの思い出が詰まっていますから……」


 ふじ が壊れたオペラグラスに手を触れると、彼女の堤防が僅かに決壊した。

 宮森は急いで手巾ハンカチを取り出し彼女へと差し出す。


「ありがとうございます、宮森さん……」



 ふじ が堤防を修繕している間、宮森は心を鬼にして……。

 いや、慚愧ざんきの念を刻み付けるが如く裏 宮森へと人格を切り替えた。



 そして壊れたオペラグラスを起点に、を行使する……。



 堤防の再建に成功した ふじ が宮森に手巾ハンカチを返すと、目を輝かせて今日の目標を発表した。


「宮森さん、お腹すきません?」


「分かりました。

 また同僚になじられるでしょうけど、ふじ さんのお誘いとあらばお供しますよ」


 伊藤と明日二郎の冷やかしを覚悟した宮森は、初夏の陽射しの下へ颯爽さっそうと繰り出すモガを追い掛ける。


⦅もし ふじ さんが大昇帝 派の手先となっていたら、さっき掛けた術でその真偽ははっきりするだろう。

 でもその時自分は、自分を許せるだろうか……⦆


 降り注ぐ陽光は余りにも明るく、宮森の心に憂苦ゆうくの影を落とす。


 そんな彼の見た ふじ の後ろ姿は、何処どこまでも清く眩しかった――。





 一九二〇年六月 帝都有楽町ゆうらくちょう ふじ の自室





 宮森との会食を終え自室へと戻った ふじ。

 彼女は虚ろな目をして呟く。


「……さっき宮森さんと食べて来たばかりなのに、お腹すいたなあ」


 ふじ がおもむろ箪笥たんす抽斗ひきだしを開けると、そこには多数の生き物が居た。

 蝶や蛾に始まり、芋虫、毛虫、百足むかで、蜘蛛、蛙などなど。


 暫く閉じっぱなしだったらしく、抽斗の中には生き物達による共喰いの痕跡が観られた。


「あ、ちょっと減ってる。

 もったいないなあ……」


 新鮮な空気が恋しいのだろう。

 抽斗から脱出を試みる者がいる。

 蛙だ。


「お腹すいたなあ」


 ふじ は無表情で蛙を捕まえると、無造作に口へと放り込む。

 そして、咀嚼そしゃくした。


「うん、なかなかイケルわね。

 でも、なんか足りないなあ……」


 次々と生き物を平らげて行く ふじ。


「おいしいなあ……」


 ゲテ物を頬張るその顔容かんばせは、どこまでも無自覚でどこまでも無慈悲。


 捕食者から逃れようと、最後の一匹が屠殺所とさつじょから飛び出す。

 しかし、その逃避はついぞ実らなかった。


「うふふ。

 好物は最後までとっておかないとね……」


 ふじ が最後のひと口を楽しんでいる最中、彼女の唇から大好物の一部が飛び出る。


「……あら、落としちゃったわ。

 ちょっとはしたないけど、食べ物は粗末にしちゃいけないって両親から教わったし、いいわよね……」


 ふじ がつまんだ大好物は、昆虫特有の無感動な顔付きで虚空を見遣みやる。


「やっぱり、コレが一番おいしいわ……」


 ふじ がこおろぎの頭を干菓子ひがし感覚で頬張っていると……


『ブゥーーーーーーーーーーーーン……』


 部屋が、背徳の振動で満たされた――。





 帝劇の怪人 その六 了

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