帝劇の怪人 その六
一九二〇年六月 帝都丸の内 帝都劇場
◇
ふじ の体内に定着する微粒子の詳細は判り兼ねたが、彼女の健康に関わる可能性が有る以上、宮森は助言しない訳にも行かない。
「疲れやすいのは、体内に毒素が溜まっている所為ですね。
「ご忠告ありがとうございます。
じゃあ、そんな宮森さんに贈り物です!」
健康診断の礼と云う訳ではないのだろうが、ふじ から宮森へ贈り物が有ると云う。
ふじ は席を立つと、鏡台横に並べられている鉢植えの一つを持って来た。
彼女は、白と
「後援会の方が持って来て下さったんです。
何でも、もとはドイツ国のものだとか。
この薄青色の小さい花が、宮森さんみたいにかわいく思えてしまって……」
「自分が可愛い……ですか?」
「あ⁉
男の方にかわいいなんて言ってすみません」
「いえいえ、誉め言葉として受け取って置きますよ。
自分が薄青なら、ふじ さんは白ですね。
宮森にしては
「恥ずかしがり屋の宮森さんからそんな言葉が出るなんて、雨か雪でもふるのかしら」
「いくら何でも雪は言い過ぎですよ、雪は……」
「ふふふふふっ……。
あっははははははははっ♪」
「ちょっと ふじ さん、自分で遊ばないでください」
雰囲気が和んだ所で、再び神妙な顔付きに戻った ふじ が望みを伝える。
「宮森さん、どうかこの花を受け取ってください」
「自分は花の世話などした事は有りません。
枯らしてしまうかも知れませんよ……」
ふじ は鉢植えを手渡し乍ら言った。
「もともとは多年草らしいんですけど、暑さに弱いから花はもうすぐ終わるみたいですね。
そして、秋に種を
あと、水はたっぷりとあげて下さい」
「分かりました。
植物に詳しい知り合いがいるので、世話に困ったら対処して貰います」
宮森は鉢植えを受け取ると、背広の内
それは以前、彼に成り代わった瑠璃家宮が ふじ を
その際は瑠璃家宮が朝鮮朝顔の幻覚作用を増大させていた為、恐らく ふじ はその惨劇を憶えていない。
いない筈だが、まだ新品同様のオペラグラスを見詰める彼女の表情は暗く、瞳には悲しみの湖が醸成されて行く。
「どうしてかしら。
そのオペラグラスを見るとなぜだか気分が落ち込んじゃって……」
「す、すいません!
前にも言いましたけど、こっちのは壊してしまいまして……」
申し訳なさそうに頭を
ふじ の瞳には相変わらず湖が居座っていたが、その水質は悲しみから喜びへと変化していた。
「いくら壊れていたとしても、わたしはそっちのほうが好きです。
宮森さんとの思い出が詰まっていますから……」
ふじ が壊れたオペラグラスに手を触れると、彼女の堤防が僅かに決壊した。
宮森は急いで
「ありがとうございます、宮森さん……」
ふじ が堤防を修繕している間、宮森は心を鬼にして……。
いや、
そして壊れたオペラグラスを起点に、とある魔術を行使する……。
堤防の再建に成功した ふじ が宮森に
「宮森さん、お腹すきません?」
「分かりました。
また同僚になじられるでしょうけど、ふじ さんのお誘いとあらばお供しますよ」
伊藤と明日二郎の冷やかしを覚悟した宮森は、初夏の陽射しの下へ
⦅もし ふじ さんが大昇帝 派の手先となっていたら、さっき掛けた術でその真偽ははっきりするだろう。
でもその時自分は、自分を許せるだろうか……⦆
降り注ぐ陽光は余りにも明るく、宮森の心に
そんな彼の見た ふじ の後ろ姿は、
◆
一九二〇年六月 帝都
◇
宮森との会食を終え自室へと戻った ふじ。
彼女は虚ろな目をして呟く。
「……さっき宮森さんと食べて来たばかりなのに、お腹すいたなあ」
ふじ が
蝶や蛾に始まり、芋虫、毛虫、
暫く閉じっぱなしだったらしく、抽斗の中には生き物達による共喰いの痕跡が観られた。
「あ、ちょっと減ってる。
もったいないなあ……」
新鮮な空気が恋しいのだろう。
抽斗から脱出を試みる者がいる。
蛙だ。
「お腹すいたなあ」
ふじ は無表情で蛙を捕まえると、無造作に口へと放り込む。
そして、
「うん、なかなかイケルわね。
でも、なんか足りないなあ……」
次々と生き物を平らげて行く ふじ。
「おいしいなあ……」
ゲテ物を頬張るその
捕食者から逃れようと、最後の一匹が
しかし、その逃避は
「うふふ。
好物は最後までとっておかないとね……」
ふじ が最後のひと口を楽しんでいる最中、彼女の唇から大好物の一部が飛び出る。
「……あら、落としちゃったわ。
ちょっとはしたないけど、食べ物は粗末にしちゃいけないって両親から教わったし、いいわよね……」
ふじ が
「やっぱり、コレが一番おいしいわ……」
ふじ が
『ブゥーーーーーーーーーーーーン……』
部屋が、背徳の振動で満たされた――。
◇
帝劇の怪人 その六 了
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