異形母たちの子守唄 その八

 一九二〇年六月二三日 帝都中久保町 夢幻座公演会場





 市谷陸軍士官学校地下儀式場での凶事がつまびらかになり、澄の胸は口惜しさであふれんばかりだった。


「あろう事か自身の片親を喰らわせるなど……。

 あなた方は狂っています!」


 澄は外法衆の面々を非難するが、当の本人達はどこ吹く風。


 逆に澄の過ちをえぐり出す万媚。


「ですが、澄さんも喰らわれたのですよね?

 自身の御子を。

 ふふふ……あっはははははははははははは!」


「……そうです。

 その点に関して言いつくろう事はしません。

 そして万媚……いえ、ふじ さん。

 あなたが幻魔に乗っ取られた事も、元はといえばわたしの責任。

 その償いは致します……」


 悲痛な面持おももちで弁解する澄の姿は、どこまでも痛ましくいじらしい。

 だが次の発言には、有無を言わせぬ迫力がこもっていた。


「外法衆の皆さん、ここからはわたしに任せて下さい。

 翁さんと瀬戸さんにもお願いします……」


 澄の決意を見て取ったのか、翁と痩男は顔を見合わせた。


「ふむ。

 澄 殿の気持ちは堅いようだな……」


「ソウデスネ。

 親子ノ再会ニ水ヲ差スノハ無粋ぶすいト云ウモノ。

 痩男サン、コウ云ウノヲ日本語デ何ト言イ表シマシタカ?」


「親子水入らず、の事だろう」


「ソウ、ソレデスヨ!

 確カ語源ハ、水ト油ノことわざ盃洗はいせんノ習慣カラ来テイルトサレ……」


[註*盃洗はいせん=酒の席で、互いにやり取りするさかずきを洗いすすぐための器。

 または、他人に盃を渡す際に水で洗う風習]


 自身が見知った蘊蓄うんちくをここぞとばかりに披露しようとする翁。


 業を煮やした今日一郎が釘を刺す。


「もういいだろう翁。

 家族だけにしてくれ」


「オオ、スイマセン。

 ツイワタシノ悪イ癖ガ出テシマイマシタ。

 ブアクサンデ〘エーテル翼〙。

 うららサンデ〈ショゴス〉ノ実地試験ガ完了シマシタノデ、私トシテハ満足デス。

 決着ガ着キマシタラ……今日一郎サン、チャント戻ッテ来テクダサイヨ。

 デハ、ワタシト痩男サンハコレデ……」


 ここで増女が口を開いた。


「私はどうしたらよろしいですか?

 寅井 ふじ さんに眠り薬を盛ったので、全くの無関係ではないのだけれど……」


「あなたの罪に関してはいずれ……。

 ラスプーチンさんにもご退場願います」


 澄の一言で帰還を決めた増女。


「では団長さん、私共も帰りましょう」


「ハハハハハ!

 この場での成り行きを私は関知しない。

 だが、どのような結末が待っていようとも一度ひり出された邪念はこちらのものだ。

 瑠璃家宮の手の者達よ、覚悟しておくがいい。

 ……それから親子水入らずと言ったな。

 間も無くその通りになるぞ、ハハハハハ!」


 痩男が次元孔ポータルを現出させると、翁、増女、ラスプーチンが共に消えた。


 それを見届けた澄は、宮森と伊藤に自らの決意を述べる。


「〈イサナ〉の事はわたしがけりを付けますので、おふたりはどうか手を出さないでください」


「……気持ちは、変わらないのですか?」


「澄さん水臭いっすよ。

 それに、あんたひとりでどうこう出来る相手じゃない。

 今日一郎 君からも何か言ってくれ!」


「この件に関して、僕は母の意思を尊重したい……」


 冷静に言い放ちはしたが、今日一郎の心中とて穏やかではないだろう。


 皆が一様に押し黙った所で、不意に空間が振動し始めた。

 次元孔ポータル出現の前兆である。


 次元孔ポータルが開く際の振動を浴びた澄の眼には恐怖が浮かび、今日一郎はその顔を憎悪に歪めた。

 どうやら彼らには、次元孔ポータルの振動で生成ぬしが判るらしい。


「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん♪

 お呼びでない?

 お呼びでないね。

 こりゃまた失礼しました~」


「何だこの白髪しらがの〈食屍鬼〉は?

 面白すぎんだろ。

 速攻で畳んでやる!」


 次元孔ポータルから出現した〈白髪はくはつ食屍鬼グール〉に向け、ウィンチェスターM1912標準タイプをぶっ放す伊藤。


『ダン!』


「なにぃっ⁈」


 放たれた散弾は、〈白髪の食屍鬼グール〉が生成した次元孔ポータルに吸い込まれ消える。

 それとほぼ同時に、演技場ステージすみで爆発音が響いた。

 転移させられた散弾が爆発したのである。


「〈食屍鬼〉が次元孔を展開しやがるとはね。

 これがうわさに聞いてた、今日一郎 君のじい様かい?」


 伊藤の問いには〈白髪の食屍鬼グール〉自らが答える。


「そうじゃ若造。

 儂が比星 播衛門ばんえもんじゃ。

 今日は娘の晴れ舞台、野暮は無しで頼む」


「へー、へー。

 あんたには敵わねーって事が良く解ったよ」


 厭客えんきゃくの登場に思念を強張こわばらせるも、イサナへと近付く澄。


「ここから先は手出し無用に願います。

 万媚さん、お父さんも、よろしいですね?」


「解りました。

 但し、〈イサナ〉の産みの親代行として同席させて頂きます」


「ほっ!

 好きにせい」


「では万媚さん、台所はどこでしょう?」


「御案内します」


 団員達が居るのだ、当然台所は存在している。


 万媚に連れられ台所へと向かう澄は、息子達へ言付ことづけた。


「〈イサナ〉、お母さんはこれからお料理して来るわ。

 その間まっていられる?」


「サ、サ、サキノオカアチャンノ……リョウリテリョウリ!

 オイシイナラ、マツ、マツ、マツ!」


「そう、いい子ね……。

 今日一郎、頼んだわよ」


「解ったよ、お母さん……」


 台所へ向かう母達へと、〈イサナ〉の触手が申し訳程度に伸びた。

 体表に散らばる眼球群も涙を浮かべ、暫しの別れを惜しんでいる。


 どうしたらいいのか何を言ったらいいのか。

 宮森と伊藤はただ黙すだけであった――。





 思いのほか早く帰還した万媚と澄。


〈イサナ〉の眼球群は、澄の抱えた盛りばちに釘付けである。


「ソ、ソ、ソレ、ナニナニナニーーーーーィィッ!」


「これはね、お握りっていうのよ……」


「ボ、ボ、ボクハ、オ、オニギリガ、ッス、スキナンダナ。

 ダナダナ!」


 盛り鉢に乗った握り飯は冗談のような寸法サイズだが、成牛以上の体格を誇る〈イサナ〉にはまだ小さいぐらいである。


 伊藤が「でっけー。まるで砲弾だな!」と驚きの声を上げる中、ついいつもの癖で握り飯を精査スキャンしてしまった宮森。

 彼は、自身の軽はずみな行為を後悔した。


⦅澄さん、貴方はそれ程までに……⦆


「〈イサナ〉。

 食べる前に……お母さんが歌ってあげるわね」


「ウ、ウ、ウタ。

 オカアサンノ、ナマウターーーーーーゥッ!」


 澄は生体装甲バイオアーマー両肩部の拡音装置スピーカーユニットを展開させ、そこから伴奏を流し始めた。

 程なくして、澄 本人の歌唱が辺りに響き始める。


 その物悲しい旋律メロディーは、維婁馬いるまの片割れである囲瑳那いさなの骨に向け、澄が歌い掛けていたものだった――。



 ――ねんねんころりよ おころりよ



 拡音装置スピーカーユニットから流れる伴奏に催眠作用などは無い筈だが、こくりこくりと鼻提灯はなちょうちんを膨らませる〈イサナ〉。

 それは自身のもといとなる囲瑳那いさなの遺伝子に、母の優しさと後悔が深く染み込んでいるゆえなのかも知れない。


 その〈イサナ〉へと、うやうやしく盛り鉢を差し出す澄。



 ――坊やは良い子だ ねんねしな



「さあ〈イサナ〉、たんとおあがり……」


「オ、オカアサンノ、オニギリ、ニギリ、ギリッ。

 オ、オイシソウ、ナンダナ、ダナダナ……」



 ――坊やのおりは どこへ



〈イサナ〉は体節を蠕動ぜんどうさせ、盛り鉢まで頭部を伸ばす。

 そして、砲弾の如き握り飯をその口に入れた。


「モグ、モグ、モグ……ン、ン、ン?

 オ、オニギリノ、ナカニ、カ、カタイノガ、ハイッテル、テル、テル……」


「それはね〈イサナ〉。

 梅干しの種よ……」



 ――あの山こえて さとへ行た



「ウ、ウ、ウメボシノ、タネタネ。

 ソ、ソレオイシイノ?」


「梅干しの種の中にはね、天神様が入っているのよ……」



 ――さとの土産に 何もろた



「テ、テ、テンジンサマ?

 サ、サマッテ、ナニナ、ニ?」


「天神様っていうのはね、坊やの事なの……」



 ――鼉太鼓だだいこ 羯鼓かっこに しょうの笛



 物悲しい旋律メロディーが響く中、澄はまぶたに涙を浮かべ歌い続ける。


 いや、澄だけではない。

 これからの結果を知る今日一郎と宮森もまた、泣いていた。



 ――龍笛りゅうてき 高麗笛こまぶえ 神楽笛かぐらぶえ



 澄と今日一郎、宮森は、〈イサナ〉の許から離れだす。


 察しの付かない伊藤が「えっ? えっ?」と当人達の顔を観回すも、宮森に腕を引っ張られ仕方なく〈イサナ〉から距離を取った。


 只、万媚と播衛門はその場から動かない。



 ――鉦鼓しょうこに 篳篥ひちりき 三ノ鼓さんのつづみ



「テ、テ、テンジンサマサマンサ?

 ヨ、ヨクワカラナイ、ナナイ。

 ダ、ダケドオイシイヨ。

 ショッパクテ、トッテモ、オイシイ。

 デモ、シゼント、めから、みずが、ながれて、くるのは、なぜ?

 おいしいのに、かなしい……。

 こんな、きもちになるのは、初めてです。

 教えて下さい、お母さん。

 御母さん、どうか……」


 澄は勿論の事、伊藤も宮森も、あの今日一郎ですら涙していた。

 だが、今更とめる事など出来ない。



 ――楽琵琶がくびわ



 体節を激しく揺らし、泣きじゃくる〈イサナ〉。

 顔部装甲を剥離させ、嗚咽おえつを漏らす澄。



 ――楽筝がくそう



 澄は梅干しの種へと霊力を注ぎ込む。



 ――しゃぼん玉



 無頭児むとうじとして生まれ、彼女自らが頭を潰してかせた、を想って――。



『バゴォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!』



 伴奏を掻き消す大音響と共に、〈イサナ〉の頭部が砕け散る。



 ――とんだ



 ――――。





 異形母たちの子守唄 その八 了

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