帝劇の怪人 その四

 一九二〇年五月 帝都芝区 芝公園しばこうえん





 宮森はここ四、五日の間、昼は帝居地下で新戦法の研究、夜は大川 幹事長の監視と忙しい日々を過ごしていた。

 そして今宵こよい、運命の回転木馬メリーゴーランドは目に見えて加速する――。


 去年 宮森が指揮した電磁波照射装置試験により、立法政友会本部建屋たてやは火災の憂き目に遭っていた。

 建屋が再建されていない為、同地区にある高級西洋料理店レストラン六縁亭ろくえんていが仮本部となっている。


 宮森は大川 幹事長らが六縁亭を出る所を見計みはからい尾行を開始した。

 食事を済ませた政治屋の行き先は、賭場とば妓楼ぎろうと相場が決まっている。


 本日も御機嫌よろしく、政治屋共が夜の街へと繰り出した。

 赤坂では怪人騒ぎが起きたので、それ以降政治屋達は銀座ぎんざで遊んでいる。


 銀座は盟治の御世みよに起きた二度の大火で壊滅的な被害をこうむるが、その後東京府の整備により現在の姿となった。

 しかし整備後の再居住手続きが異常に厳しく、払い下げ家屋の賃料も高額過ぎたのである。


 その為、焼け出された元々の住人達のほとんどは銀座に戻る事が叶わなかった。

 勿論二度の大火は政府の自作自演であり、住人を追い出した後で地下に邪神崇拝施設を建設する目的だったのは言う迄もない。


 大川 幹事長らが馴染みの高級倶楽部クラブへと入った。

 表向きは小洒落こじゃれ酒場バーだが、本来の顔は妓楼である。

 然もこの建屋の地下には、大昇帝 派の邪神崇拝施設へ通ずる秘匿ひとく通路が設置されていた。


 もし地下通路から邪神崇拝施設に向かわれると宮森には打つ手無しだが、今日は運が良かったと見える。


 店から出て来た大川 幹事長らが迎えの車に乗り込む寸前、一陣の黒い風が吹き去った。


「あれれ~、幹事長はどこ行ったんれす~?」


「ははは!

 きっとお気に入りの女優の所だよ。

 え~っと、名前は何だったかな。

 帝劇の看板女優の……虎、寅、とら……」


「トラトラトラ~~~!」


 したたかに酔った政治屋共は、何が起こっているか判らない様子で笑い転げている。

 いま大川 幹事長が上げている筈の悲痛な叫びも届いてはいまい。


 ビルディングの屋上にまで吊り上げられた大川 幹事長は、はるか下の馬鹿な同僚達に呪いの言葉を投げ捨てている所だ。


「小池!

 舛添ますぞえ

 儂はここだぞ!

 くそっ、へべれけになりおってからに!

 あの役立たず共め、後でどんな仕置きを……」


 黒い風が言葉を発する。


「仕置きの心配をなさるのは、貴方の方ですよ……」


「な、何だ貴様は⁈」


 胴に絡まった黒縄こくじょうが絞られると、べそをかいた子供のように大人しくなる大川 幹事長。


「はぐうぅ……。

 は、早くこの縄を解いてくれぇ……」


「御期待には添え兼ねます。

 それに、もう御一方おひとかたの御世話もしなければなりませんので……」


 黒留袖の女が虚空こくうを見詰めると、放物線を描いて飛来する物体が在った。

 その物体は蜘蛛糸をビルディング壁面に貼り付け鞦韆しゅうせん(ブランコ)移動を繰り返す。


 ビルディング壁面から蜘蛛糸が切り離されると、遂にその物体が黒留袖の女の前に着地した。

 ゆっくりと立ち上がった物体は、黄土色に光る双眸そうぼうで黒留袖の女を見詰める。


 その物体は、変声機ボイスチェンジャーを通したかの如く人間離れした声で黒留袖の女に尋ねた。


「その男をどこへ連れて行く?」


「どうする積もりだ?

 とは御尋ねにならないのですね……」


「その男がどうなろうと構わないが、事件の手掛かりを失う訳にはいかないんでね」


「正直な御人おひとは好きです……」


 物体は両下膊部と両踵部の付属肢ジャッキを引き絞り、再び問い掛けた。


「自分の事は『怪人』とでも呼んでくれ。

 貴女の名は……」


 怪人の問いを聞いた黒留袖の女は心底嬉しそうな表情になり、ふところから面を取り出し顔に着ける。


「私は外法衆の【万媚まんび】と申します。

 以後御見知りおきを……」


[註*万媚面まんびめん=若い女性を表す面だが、口端が上がり小面こおもてより瞳が大きい。

 妖艶な印象を与えるが、百のにも勝る心を表現したとの説もある]


 黒留袖の女こと万媚は、面を着け終わるや否や両手指から黒い鉤爪を伸ばし怪人に向け放った。

 怪人の方は闘い慣れているようで、鉤爪の殺線キリングラインをすんでの所で躱す。


 その最中に怪人の生体装甲バイオアーマー両腿りょうもも外側が展開。

 小型自動拳銃であるサベージM1907が現れた。


 怪人は両腿に格納していたサベージM1907を両手に装備。

 二丁拳銃の要領で射撃する。


 怪人の狙いは万媚ではなく大川 幹事長で、万媚の鉤爪は防御に奔走ほんそうした。


「ひっ……」


 当の標的は銃撃の激しさに目をつぶり、弱々しい声を絞り出すだけである。


 サベージM1907が弾を吐き出し終えると、殺線キリングライン俄然がぜん勢いを増した。

 弾切れを察知した万媚が攻勢に転じたのである。

 しかしその攻勢も長くは続かない。


 怪人が再び両腿装甲を展開すると、そこにはサベージM1907の弾倉マガジンが既に準備されていた。

 怪人は空弾倉エンプティマガジンを素早く排出し再装填リロード

 然も万媚に向け前進し乍らの作業だった為、既に彼女の目と鼻の先まで接近している。


 怪人は容赦なく大川へ銃撃。

 万媚の鉤爪を釘付けにしつつ、先ほど蜘蛛糸を吐き出していた両手首横の銃身様じゅうしんよう組織に糸塊しかいの元となる蛋白たんぱく質を装填した。

 そう、怪人は詰みに入ったのである。


 二度目の弾切れでサベージM1907を捨てた怪人は、万媚が殺線キリングラインを繰り出すのを待ってから糸塊を発射。

 その糸塊は空中で破裂し、蜘蛛の巣状に伸び広がる。


 これは地下競艇場襲撃事件の際、外法衆正隊員のひとりである嘯吹うそふきを捕らえる為に使った蜘蛛糸玉ウェブボールだ。

 展延性てんえんせいと粘着力に比重を置いて調整されている為、万媚が大川を連れて逃れるには大きく後方に離れるしかない。


 そこを狙い万媚側方へと回り込んだ怪人は、右踵部うようぶ付属肢ジャッキを解放し空中を鋭く疾駆しっく

 対する万媚は殺線キリングラインで迎撃の構え。


 煉瓦れんがに軽々と穴を穿うがつほど硬度の高い鉤爪だが、その代償として靭性じんせいが犠牲になっていた。

 又、細長い形状も側面からの打撃に対し脆弱ぜいじゃくな構造である。


 精査スキャンにより鉤爪の弱点を解析していた怪人は両腕の付属肢ジャッキを解放。

 側面方向からの拳打パンチで鉤爪を全てし折った。


 鉤爪を剥ぎ取られた万媚が怪人の肉薄を許すと、疾駆の勢いのまま左踵部付属肢ジャッキを解放する怪人。


 左回し蹴りの要領で放たれた怪人の左脚は、宙に半円の軌跡を描いて万媚を打つ。


 てなかった。


 怪人の左脚は空を切り、半円は真円となる。


 盛大に空振った事で、怪人は生体装甲バイオアーマーの点検に取り掛からざるを得ない。


⦅感覚器は正常。

 視界の先に大川が確認できる事から、万媚がここに居るのは確実。

 いったいどこへ消えた?⦆


 怪人が生体装甲バイオアーマー内の肉眼を見開くと、万媚が居た。

 足場には黒留袖の下半分が全方位に広がり、彼女は上半身だけの背丈でちょこんと座している。

 そう、広がった裾の先に様々な生物の手足を放り出して。


 裾からはみ出た幾本もの手足にちからが入るのを見て取った怪人は、手痛い反撃を覚悟する。


⦅くそっ、読み違えたか。

 かくなる上は奴を道連れにしてでも……⦆


 思考と感覚の高速化クロックアップを行なっている分、怪人は死の実感をありありと感じる。

 彼が決定した結末を受け入れると、それは不意に遠のいた。


「怪人さん、今夜は楽しかったわ。

 また踊りましょう……」


 多腕多脚に支えられた万媚の上半身は、既に気絶している大川を連れ蜘蛛の如く後ろ向きに退いて行った。

 蜘蛛糸を駆使しここまで来た怪人にとって、その姿は皮肉以外の何物でもない。


 万媚と大川 幹事長を取り逃がした怪人は、鞦韆移動スイングムーブで人目に付かない場所へと移動し生体装甲バイオアーマーを解除する。

 生体装甲バイオアーマーを構成している組織がちりかえると、そこには両拳を強く握る青年が居た。


 青年は冴えない顔を更に鈍らせつぶやく。


「あの堂々としたたたずまい。

 舞台上の彼女とそっくりだ。

 もう、手遅れかも知れない……」


 青年は肩を震わせ、自身の無力さを執拗しつように呪った――。





 帝劇の怪人 その四 了

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