帝劇の怪人 その二

 一九二〇年五月 帝都丸の内 帝都劇場





 伊藤はここの所、夜の帝劇近辺を見回っている。

 今日は赤坂界隈を重点的に調べる予定らしい。


「さーてと、やっこさん出て来るかねー」


「た、※け※く※ー!」


 一見のほほんとしているが、伊藤の目は……いや、耳も鋭い。

 明日二郎が感覚を拡張してくれている御蔭で、今は針が地面に落ちる音さえも聞き分けられる。


『シショー、なんか「助けてくれー」って声が聞こえたぜ。

 行っていいか?』


『おうよ!』


 伊藤が声の上がった場所まで駆け着けると、そこは高級料亭が立ち並ぶ一画だった。

 明日二郎に暗視ダークビジョンを展開して貰った彼が辺りを見回すと、料亭の屋根上に何か居るのを発見する。


 そこには、縄で縛られ宙に放り出されている壮年男性の姿が在った。

 背広を着込んだ男性はカイゼル髭を蓄え、銀縁ぎんぶち眼鏡を掛けている。

 身形みなりがいいので官僚か政治家かも知れない。


「おっさん、ちょっと待ってろよ……」


 伊藤が男性に救助するむねを宣告すると、男性は顔を恐怖に引きらせて叫んだ。


「どうか助けを呼んでくれ!

 あんたじゃどうにも出来ん!」


「どうにも出来ん!

 なんて言われたとあっちゃー、引き下がる訳にはいかねーな」


 男性の忠告を無視した伊藤が料亭の壁によじ登ろうとしたその時、得体の知れない女が男性の隣に現れる。


『なんだ⁈

 見た目は人間っぽいけど……。

 シショー、精査を頼む!』


『まかせんしゃい!』


 明日二郎が精査スキャンを実施し、その結果を伊藤と共有する。

 先月の地下競艇場襲撃事件で体験した異形との邂逅かいこうを、彼はもう一度果たす事となった。


 その女が纏うは黒留袖くろとめそで

 形状は通常の着物と変わらないが、すそ模様が変わっている。


 様々な生物の手足が描かれた意匠デザインで、人間ヒトは言うに及ばず、ひづめ獣爪じゅそう、鳥のあし、魚のひれ、昆虫の歩脚、鋏角きょうかく類のはさみ、植物の根やつるなどが逆さまに生えている。


 伊藤は自身の目を疑った。


 着物の模様が揺蕩たゆたっているように視える事が一つ。

 金地の袋帯ふくろおびに描かれた様々な生物の眼が、裾模様と同じくゆったりとただよっている事が一つ。


 女の足袋たびは白く、黒草履ぞうり鼻緒はなおは赤い。

 顔は雪のように白く、唇は血のように赤い。


 背後に流れる長髪は不自然なほどまとまっており、伊藤の目には一本の太い護謨紐ゴムひもに視えた。


 女の妖髪ようはつは男性の胴をグルグル巻きにして、男性を逆さりにして見せる。

 両手の爪は全て黒く、伊藤を視認した途端に伸びて鉤爪かぎづめとなった。


 伊藤は明日二郎の助けを借り思考と感覚の高速化クロックアップを発動。

 女の検分に掛かる。


⦅うへーっ!

 なんて気持ちわりー柄の着物だ。

 それにあの顔、綺麗は綺麗なんだが……整い過ぎてて能面みてーな感じがするぜ。

 明らかに寅井 ふじ さんじゃねーな。

 良かったのか悪かったのか判んねーが、一つ試してみよーかねー!⦆


 ふところから煙草入れシガレットケースを取り出し、内部に収めてあった胞子薬莢スポアカートリッジに自身の霊力を注ぎ込む伊藤。

 すると胞子薬莢スポアカートリッジに収められた〈ミ゠ゴ〉が黄土色に輝き出し、彼の全身にまでべ広がった。


 その様子を観た女は、鈴を転がしたような声色こわいろで伊藤に語り掛ける。


「お兄さん、邪魔をしないでくださいな。

 でないと死ぬ事になりますよ」


婀娜あだっぽいねー。

 でもよ、やってみなくちゃぁ……判んねえだろっ!」


 胞子薬莢スポアカートリッジに内包されていた乾燥栄養分と不思議界(四次元)で生成した水分とが、〈ミ゠ゴ〉の胞子を急成長させ生体装甲バイオアーマーを構築した。

 宮森の生体装甲バイオアーマー石板色せきばんいろだったが、伊藤のモノは黄赤きあかが強い。


 伊藤は女に駆け寄り大振りな拳打パンチを放つ。

 拳速だけは有るものの、予備動作が大きいため女には難なく躱された。

 伊藤はめげずに連打ラッシュを続けるが、捕らえた男性を宙吊りにしているにも拘らず余裕で回避する女。


 今度は女が鉤爪を伸ばそうとした刹那せつな、伊藤は意外な行動に出る。

 いま足場としている料亭の屋根瓦やねがわらを、あろう事か男性に向け蹴飛ばしたのだ。


 女は鉤爪で瓦を細断し軌道を逸らすと、後ろ向きに大きく跳び退しさる。


「そのおっさん、どうやらあんたの大事なもんらしーなー」


 伊藤は両手足横の付属肢ジャッキを引き絞ると、右足部を解放し屋根瓦を蹴り散らす。

 発射、と云ってもいい程の勢いを持った屋根瓦の破片は、散弾の如く女へと突き進んだ。

 それとほぼ同時に左足部も解放した伊藤は、瓦散弾の後を追って跳び出す。


 女は瓦散弾が男性に命中しないよう鉤爪での対処に精一杯で、伊藤の急接近に対応できていない。

 伊藤は突進中、既に右拳を振り被っていた。


 ここぞとばかりに明日二郎が叫ぶ。


『必殺〈ミ゠ゴ〉パンチだ!

 くーらえええぇぁあっ⁈』


 折角せっかくの必殺技名を叫ぶ明日二郎だったが、女の思い切った行動に言葉を引っ込めるよりない。


「ひっ⁈

 し、死ぬ~~~~~~ぅっ!」


 女が男性を盾にした為、伊藤は舌打ちして拳を引っ込める。


「ちっ、大事なもんなんじゃねーのか?」


『あぶねーあぶねー。

 ひとつ間違ってたらあのおっさんの土手っぱらにカザアナ開けてたぜ……』


 明日二郎の危惧きぐもっともだが、当の本人は特に反省している様子は無い。

 それと云うのも、男性をかえりみずまた伊藤が突っ込んだからである。

 然も、今度はあろう事か男性の土手っ腹を狙ったのだ。


『イトウ、お前正気か⁈』


 明日二郎の叫びが届いた訳ではないのだろうが、女が男性を動かしたため伊藤の拳打パンチは空を切る。

 加えて、右腕の付属肢ジャッキが女の鉤爪により貫かれていた。


 伊藤はたじろぐ他ない。


「しまった!」


「その器官で剛力を生み出しているのですね。

 ならば……こうするまで!」


 女は生体装甲バイオアーマーの仕組みを理解したのだろう。

 鉤爪で両足と左腕の付属肢ジャッキを狙う。

 伊藤は何とかふところに潜り込もうとするが、繰り出される十条の殺線キリングラインに手も足も出ない。


 防戦する内に左腕の付属肢ジャッキを破壊された伊藤は、起死回生の手に打って……出なかった。

 伊藤は両足の付属肢ジャッキを引き絞り、後方へと一気に跳躍する。


「そこの気味悪いねえさーん、憶えてろよー……」


 悪役の如き捨て台詞を吐いた伊藤。

 そう、彼は逃げたのだ。


 伊藤が大急ぎで料亭や旅館の瓦屋根を走り抜けるものだから、瓦が破壊されその破片が地面へと降り注ぐ。

 当然人々が気付き、少しづつ騒動が広がって来た。


 女はとうに見えなくなっていたが、安全を期して帝劇近くの路地裏で生体装甲バイオアーマーを解除する伊藤。


〈ミ゠ゴ〉組織が崩壊しちりかえって行く中、伊藤に先程の行動の是非ぜひを問う明日二郎。


『お前さん、なんであの場で逃げたんだよ?』


『そりゃー、あの姐さんには敵わないと思ったからだ。

 両方の手発条てばね両下膊部りょうかはくぶ付属肢ジャッキ)壊されちまって、見た通り打つ手なしだったろ?

 それに足発条あしばね両踵部りょうようぶ付属肢ジャッキ)まで壊されちまったら、逃げるどころかられちまってたぜ』


『まあ、それは致し方あるまい。

 で、おっさんが気味悪い姐さんとやらにさらわれちまったんだけんど……』


『俺はカネ持ちが嫌いなんで、あのおっさんがどうなろうーと知ったこっちゃねーよ。

 背広着てやがったし、場所も赤坂の高級料亭街だ。

 あのおっさんがカネ持ちなのは確定だろ。

 まあ、「絶対にこちらからは手を出すな」っていう規則は破っちまったけど、それはシショーも同じだぜ。

 気味悪い姐さんの正体に一歩近付いた俺でも無事だったんだ。

 宮森さんも許してくれるよ』


 冷淡とも思える伊藤の行動に、宮森とは別の意味で機転が利くと感じる明日二郎。


『それにお前、逃げる途中ワザと瓦落としてったな……』


『姐さんがあのおっさんをどっかに運びたがってるのは判ってた。

 だから、騒ぎが大きくなれば姐さんが困ると思ったんだよ』


『なんとまあ、騒ぎを起こして野次馬を呼んだってワケか。

 賢いな、お前』


『お褒めに預かり光栄ですシショー。

 野次馬が増えればそれだけ目撃者が増えるだろーし、俺の追跡どころじゃなくなるだろ』


 伊藤の狡猾こうかつさに明日二郎は『ほーん』と感心し、両人は安堵の内に下宿への帰途に就いた――。





 帝劇の怪人 その二 了

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