帝劇の怪人 その二
一九二〇年五月 帝都丸の内 帝都劇場
◇
伊藤はここの所、夜の帝劇近辺を見回っている。
今日は赤坂界隈を重点的に調べる予定らしい。
「さーてと、やっこさん出て来るかねー」
「た、※け※く※ー!」
一見のほほんとしているが、伊藤の目は……いや、耳も鋭い。
明日二郎が感覚を拡張してくれている御蔭で、今は針が地面に落ちる音さえも聞き分けられる。
『シショー、なんか「助けてくれー」って声が聞こえたぜ。
行っていいか?』
『おうよ!』
伊藤が声の上がった場所まで駆け着けると、そこは高級料亭が立ち並ぶ一画だった。
明日二郎に
そこには、縄で縛られ宙に放り出されている壮年男性の姿が在った。
背広を着込んだ男性はカイゼル髭を蓄え、
「おっさん、ちょっと待ってろよ……」
伊藤が男性に救助する
「どうか助けを呼んでくれ!
あんたじゃどうにも出来ん!」
「どうにも出来ん!
なんて言われたとあっちゃー、引き下がる訳にはいかねーな」
男性の忠告を無視した伊藤が料亭の壁によじ登ろうとしたその時、得体の知れない女が男性の隣に現れる。
『なんだ⁈
見た目は人間っぽいけど……。
シショー、精査を頼む!』
『まかせんしゃい!』
明日二郎が
先月の地下競艇場襲撃事件で体験した異形との
その女が纏うは
形状は通常の着物と変わらないが、
様々な生物の手足が描かれた
伊藤は自身の目を疑った。
着物の模様が
金地の
女の
顔は雪のように白く、唇は血のように赤い。
背後に流れる長髪は不自然なほど
女の
両手の爪は全て黒く、伊藤を視認した途端に伸びて
伊藤は明日二郎の助けを借り思考と感覚の
女の検分に掛かる。
⦅うへーっ!
なんて気持ちわりー柄の着物だ。
それにあの顔、綺麗は綺麗なんだが……整い過ぎてて能面みてーな感じがするぜ。
明らかに寅井 ふじ さんじゃねーな。
良かったのか悪かったのか判んねーが、一つ試してみよーかねー!⦆
すると
その様子を観た女は、鈴を転がしたような
「お兄さん、邪魔をしないでくださいな。
でないと死ぬ事になりますよ」
「
でもよ、やってみなくちゃぁ……判んねえだろっ!」
宮森の
伊藤は女に駆け寄り大振りな
拳速だけは有るものの、予備動作が大きいため女には難なく躱された。
伊藤はめげずに
今度は女が鉤爪を伸ばそうとした
いま足場としている料亭の
女は鉤爪で瓦を細断し軌道を逸らすと、後ろ向きに大きく跳び
「そのおっさん、どうやらあんたの大事なもんらしーなー」
伊藤は両手足横の
発射、と云ってもいい程の勢いを持った屋根瓦の破片は、散弾の如く女へと突き進んだ。
それとほぼ同時に左足部も解放した伊藤は、瓦散弾の後を追って跳び出す。
女は瓦散弾が男性に命中しないよう鉤爪での対処に精一杯で、伊藤の急接近に対応できていない。
伊藤は突進中、既に右拳を振り被っていた。
ここぞとばかりに明日二郎が叫ぶ。
『必殺〈ミ゠ゴ〉パンチだ!
くーらえええぇぁあっ⁈』
「ひっ⁈
し、死ぬ~~~~~~ぅっ!」
女が男性を盾にした為、伊藤は舌打ちして拳を引っ込める。
「ちっ、大事なもんなんじゃねーのか?」
『あぶねーあぶねー。
ひとつ間違ってたらあのおっさんの土手っ
明日二郎の
それと云うのも、男性を
然も、今度はあろう事か男性の土手っ腹を狙ったのだ。
『イトウ、お前正気か⁈』
明日二郎の叫びが届いた訳ではないのだろうが、女が男性を動かしたため伊藤の
加えて、右腕の
伊藤はたじろぐ他ない。
「しまった!」
「その器官で剛力を生み出しているのですね。
ならば……こうするまで!」
女は
鉤爪で両足と左腕の
伊藤は何とか
防戦する内に左腕の
伊藤は両足の
「そこの気味悪い
悪役の如き捨て台詞を吐いた伊藤。
そう、彼は逃げたのだ。
伊藤が大急ぎで料亭や旅館の瓦屋根を走り抜けるものだから、瓦が破壊されその破片が地面へと降り注ぐ。
当然人々が気付き、少しづつ騒動が広がって来た。
女はとうに見えなくなっていたが、安全を期して帝劇近くの路地裏で
〈ミ゠ゴ〉組織が崩壊し
『お前さん、なんであの場で逃げたんだよ?』
『そりゃー、あの姐さんには敵わないと思ったからだ。
両方の
それに
『まあ、それは致し方あるまい。
で、おっさんが気味悪い姐さんとやらに
『俺はカネ持ちが嫌いなんで、あのおっさんがどうなろうーと知ったこっちゃねーよ。
背広着てやがったし、場所も赤坂の高級料亭街だ。
あのおっさんがカネ持ちなのは確定だろ。
まあ、「絶対にこちらからは手を出すな」っていう規則は破っちまったけど、それはシショーも同じだぜ。
気味悪い姐さんの正体に一歩近付いた俺でも無事だったんだ。
宮森さんも許してくれるよ』
冷淡とも思える伊藤の行動に、宮森とは別の意味で機転が利くと感じる明日二郎。
『それにお前、逃げる途中ワザと瓦落としてったな……』
『姐さんがあのおっさんをどっかに運びたがってるのは判ってた。
だから、騒ぎが大きくなれば姐さんが困ると思ったんだよ』
『なんとまあ、騒ぎを起こして野次馬を呼んだってワケか。
賢いな、お前』
『お褒めに預かり光栄ですシショー。
野次馬が増えればそれだけ目撃者が増えるだろーし、俺の追跡どころじゃなくなるだろ』
伊藤の
◇
帝劇の怪人 その二 了
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