宮森の初デエト その二

 一九二〇年五月 帝都浅草 通俗教育昆虫館





 御隣りの水族館と比べて人気が無かった為、昆虫館の経営は別の興行会社へと移る。

 その後昆虫展示会場だった一階には回転木馬メリーゴーランドが設置され、この年代では親子連れを中心に人気を博していた。

 最終的には二階の昆虫展示場も消え、昆虫木馬館、木馬館と名称が移り変わって行く事になる。


 今日は平日なので、未就学児以外の子供はほぼ居ない。

 当然の如く ふじ が回転木馬メリーゴーランドに乗りたいと言い出し、宮森も仕方なく承諾しょうだくした。



 回転木馬メリーゴーランドの上で年甲斐もなくはしゃぐ ふじ の姿に、今まで感じた事の無い平穏を感じている宮森。

 しかしそれは硝子ガラス細工のようにはかなげで、水形すいぎょうの如く移ろう。


 そう、回転木馬メリーゴーランドは運命の雛型ひながた

 何時いつかは止まる。

 回っている間がどれだけ楽しかろうとも、何時かは止まるのだ。


 閉演の訪れを知らないのか、それとも既に予期しているのか。

 回転木馬メリーゴーランドの上で演じる役者達は、この上なく幸せそうだった――。





 回転木馬メリーゴーランドを降りたふたりは、二階の昆虫展示場に向かう。


 昆虫展示場には、主に蝶や甲虫の標本が展示してあった。

 この国の物だけでなく海外の貴重な昆虫標本も展示されている為、研究者や子供には受けるだろう。


 確かに標本の出来は素晴らしいのだが、如何いかんせん女性への求心力が弱い。

 見物客は幼い子供と老人男性が殆どで、ふじ と宮森は明らかに浮いている。


 だが ふじ の瞳は興味で輝き、その口は好奇心を吐き出した。


「宮森さんこれ、蜻蛉とんぼのの幼虫ですよね」


「ええ、水蠆やごです。

 水蠆を見るなんて何年振りだろう。

 懐かしいな」


「あっ、いま目高めだかをとりましたよ!

 食べてる……」


「水蠆は肉食ですから。

 他に、小魚の体液を吸う種類もいるようですね。

 あ、向こうに田鼈たがめ源五郎げんごろうもいますよ!」


 展示場中央には、水棲昆虫と淡水魚の水槽が設置されていた。


 水棲昆虫が気に入ったのか、ふじ の関心が高まる。


「宮森さん詳しいですね。

 もしかして虫のお医者様だったりして」


「い、いえ。

 知り合いに詳しい方がいるんですよ……」


「冗談ですってば。

 宮森さん、すぐ本気にしちゃうんだから」


「あは、あははは……」


 ふじ の冗談にも気付けないほど朴訥ぼくとつな宮森の脳内では、太鼓腹を抱えて笑う宗像むなかたの姿がありありと想起されている。

 その宗像の幻影を振り払う為なのか、手洗いを申し出る宮森。


「ふじ さん、ちょっと手洗いに行って来ますね」


「わかりました。

 わたしはさっき行ったので、存分にどうぞ」


 手洗いで用を足したはいいが、一向いっこうに落ち付かない宮森。

 これからの展開に胸が高鳴っていたのもあるが、堕胎したにしては明るく振舞う ふじ の様子が気になるのだろう。


 ふじ を待たせる訳にもいかず、宮森は昆虫展示場へ戻った。


「宮森さん、お帰りなさい……」


 宮森の方を見もせず挨拶した ふじ は、中央の水槽を食い入るように見ている。

 ふじ の隣まで宮森が近寄ると、彼女は彼に笑顔を向けた。


 宮森は一瞬ドギマギしたが、小さな違和感に気付く。

 ふじ の口端から細い何かがはみ出ていたのだ。


「ふじ さん、口の端から何か出てますよ」


「あらやだ。

 きっとポークカツレツの筋が残ってたんだわ……」


 つい癖で視覚拡張術式を使ってしまう宮森。


⦅茶色?

 豚肉の筋じゃないみたいだけど……⦆


「ふじ さん、ポークカツレツが好物なんですね」


「ええ、好きなんです。

 ポークカツレツ……」


 言い終わった ふじ は茶色の細い物体をチュルッと吸い込み、プチプチと奥歯で噛み砕く。

 心なしか彼女の目が虚ろだったように宮森は感じたが、どう反応してよいのか判らずそのまま昆虫展示場を後にした……。





 ふたりが花屋敷に出かけた後、昆虫展示場では係員が異常に気付きひと騒動起こっていた。


「なんじゃ⁈

 水蠆やら田鼈やらがみんなおらんようになっとるぞ!

 目高が奴らを食えるわけでもなし、どうなっとるんじゃ?」


 後日盗難届が出されるも、当時としては珍しくもない水棲生物の消失と云う事で、只の悪戯いたずらとして処理されたらしい……。





 一九二〇年五月 帝都浅草 花屋敷





 花屋敷は徳河とくがわ時代後半に設立された植物園が前身で、現在は動物園としてのおもむきが強い。

 ふじ の目当ても動物のようだ。


「あ!

 あれが見たかったんです!」


「説明書きには人鳥じんちょうとありますね」


「それにしても、飛べない鳥だなんて可愛いわ。

 宮森さんみたい!」


「ええ⁈

 自分と人鳥にどんな共通点が有ると云うんですか?」


 この人鳥と云うのはペンギンの事である。

 昨年チリから遥々はるばるやって来たらしい。


「人づてに聞いたんですけど、飛べない代わりに泳ぎがとっても上手なんですって」


「はあ……」


「見かけは頼りないけど、わたしにとっては頼りがいがあるってことですよ!」


「はあ……えっ⁈」


 ふじ の発言に、顔だけでなく耳朶みみたぶまで真っ赤に染まる宮森。

 何を言って良いのか判らなくなったのだろう。

 傍目はためから見てもアタフタしている。


「え~と……あっ!

 そう云えば ふじ さん、中久保町で興行している曲馬団をご存知ですか?

 確か夢幻座とか云う名前だったと思うんですけど……」


「初日の公演に行きましたよ。

 そこには駱駝や駝鳥もいて、犬以外にも象や熊、獅子まで芸が仕込まれてたんです!

 可愛かったな~。

 でも狒々っていうのかしら、そのお猿さんだけは気持ち悪かったです……」


「あ、やっぱり行ってらしたんですね。

 他に印象的な出し物は有りましたか?」


「一番目立ってたのは大鬼の籠細工ですね。

 敷地に近付くだけでもわかる大きさで、人間が何人も入れるぐらい中も広かったです」


 ふじ の話から、夢幻座の内情を垣間かいま見た宮森。


⦅地元住民の証言に有った巨大籠細工の事だな。

 他にも情報を得られるかも知れない。

 もう少し粘ってみよう……⦆


「そんなに大きいのですか⁈

 で、他にはどんな出し物が有ったんです?」


 ふじ は宮森に問われるまま、入場時の判子押しから出店巡り、動物曲芸に髭団長の手品、軽業披露から見世物小屋の展示物まで、見聞きしたもの全てを語る。


 相槌あいづちを打ちつつも、心中で考察を重ねる宮森。


⦅髭団長こと羅巣・風珍は、ラス・プーチンで確定だろう。

 小刀が刺さらない女道化は橋姫はしひめで、手足が異常に長い道化は嘯吹うそふき

 他にも、中将ちゅうじょう気狐きこなども道化に化けているようだ。

 青鼻の道化が新顔だとすると、主たる演者は外法衆正隊員だと見て間違いない。

 それに猿男と犬女の生き人形は、特徴から考えて〈ヴーアミ族〉と〈食屍鬼しょくしき〉か。

 本当に人形ならいいんだけど……⦆


 宮森は ふじ の話に有った細かい事柄ことがらも追求する。


「入場門で判子を押して貰ったら、出る時はどうするんです?」


「えーっと……退場門でお勘定払う時に消して貰うんですよ。

 確か……たいそう身の丈の大きい女の人と、小さい男の人が退場門の係だったと思います」


「じゃあ、押して貰った判子の絵柄は憶えていますか?」


「判子の絵柄?

 ……いえ、憶えてません」


 ここでも推理を働かせる宮森。


⦅入場時に判子を押す……。

 方法は正反対だが、蝉丸せみまるが使うエンマダイオウの霊紋採取の可能性が有るな。

 それに退場場面を憶えていないとなると、敷地内でかどわかされたと見ていいだろう……⦆


「まあ、大した絵柄じゃないんでしょうから無理ないですね。

 じゃあ、退場する前に寄った場所はどうです?」


「占い小屋に寄りました。

 隣が迷子預かり所だったので良く憶えています」


「なるほど。

 迷子預かり所に占い小屋まで在るとは盛り沢山ですね」


「わたし、もう二週間ほどお休みを頂いてるんです。

 良かったら、夢幻座の公演に宮森さんも一緒に行きませんか?」


 是非もない御誘いにシドロモドロになる宮森。


「えっ⁈

 いいんですか?」


「宮森さんさえよければ。

 あ、そうそう。

 会場の出店で煙草とったんだった。

 良かったらどうぞ」


 ふじ が巾着を開け、紙巻煙草の箱を宮森へ手渡す。


 外法衆の前線基地と云う事で浮かれてばかりもいられないが、次回のデエトが決定しプレゼントまで貰った宮森。

 彼は小躍こおどりしたくなるのを必死に抑え、仕事思考を強制した。


⦅良し、神隠しの線は迷子預かり所でほぼ決まりだろう。

 後は ふじ さんがどこに転移させられ何をされたか、だな……⦆


 宮森は動植物をろくすっぽ楽しめぬまま花屋敷を後にする。


 その後ふたりは浅草の寄席よせを見て回り、人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや講談を楽しんだ。

 最後は牛鍋屋で締めとなり、宮森は ふじ の健啖家けんたんか振りをその眼に焼き付ける事となる。





 宮森の初デエトは喜びの内に幕を閉じた。

 だが、彼の肺は疑惑で満たされている。


 回転木馬メリーゴーランドは回り続ける。

 何周もするうちに、木馬も次々と入れ替わる。


 いかに姿形が変わろうとも、回転木馬メリーゴーランドまわる。

 そして何時かは終点へと辿り着き、止まる。


 どれ程の懊悩おうのう哀傷あいしょうに満ちていようとも、必ず終点に辿り着き止まるのだ。


 ふじ から贈られた煙草を吸ってみる宮森。


「……苦いな。

 なんでこんなに苦いんだろう……」


 大抵は一服するうちに心が落ち着くものだが、宮森の心のつかえは、ついぞ取れなかった――。





 宮森の初デエト その二 了

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