第四節 宮森の初デエト

宮森の初デエト その一

 一九二〇年五月 帝都丸の内 帝都劇場





 伊藤が残飯屋業務を頑張っていた頃、宮森は帝劇近辺で ふじ の行方を探っていた。


 宮森は興行中の夢幻座に潜入しようかとも考えたようだが、外法衆正隊員が在中しているとなると護謨覆面ゴムマスクや認識阻害術式を駆使した所で見破られるのは目に見えている。

 夢幻座への潜入は最後の手段として取って置き、先ずは帝劇関係者を洗う事にしたのだ。


 最初のうちは成果が上がらなかったものの、宮森は数日して有益な証言を入手。

 劇場の大道具係が、昨夜この近辺で ふじ らしき女性を見掛けたらしいのだ。


 但しその状況は奇妙なもので、『付近の建物の屋上から屋上へと飛び移っていた』と云うのである。

『まさか酔っぱらっていたんじゃないだろうな……』と宮森はいぶかるものの、彼が九頭竜会に入会してからこれまで体験した事に比べれば真実味は充分。


 念の為に劇場関係者と地元の人間を中心に聞き込みを行なった所、似たような証言が幾つか出て来た。

 警察にも届け出がなされていたらしいが、寝ぼけた市民の戯言ざれごとと受け流されていたようである。


 宮森は掴んだ情報を伊藤と共有する為、神田かんだ 神保町じんぼうちょうの下宿へと向かった。





 一九二〇年五月 伊藤の下宿先





 宮森がゴールデンハットを吸い乍ら待っていると、残飯屋の業務を終え伊藤が帰って来た。

 帝居地下施設でひとっ風呂ぷろ浴びたらしく、随分さっぱりした身形みなりである。


「宮森さん来てたんすか」


「こんばんは伊藤 君。

 今日も疲れたろう」


 ここで両名は明日二郎を呼び出し、周囲の確認と認識阻害術式を展開して貰う。


『ありがとう明日二郎。

 で、伊藤 君の方に何か進捗しんちょくはあったかい?』


『そりゃーもーばっちしっすよ。

 怪しい匂いがプンプンする貰い子周旋人を見付けました。

 そいつらだけとは限んねーっすけど、生贄儀式用の子供を横流ししてるのは間違いなさそーっすね』


『なるほど。

 行方不明者の捜索願が出ない訳だ。

 で、その木須 夫婦は捨て子の転売で儲けているクズと云う事だね?』


『今度そいつらんとこに赤ん坊もってく予定っす。

 宮森さんも来ますか?』


『時間が合えばそうしよう。

 実はこちらも気になる情報を手に入れた。

 それが……』


『ふじ に似た女性がビルディング屋上を飛び回っていた』と云う荒唐無稽こうとうむけいな話だったが、超常の世界に身を置く彼らは真剣にならざるを得ない。


『そんな事が……。

 でも夜な夜な飛び回ってるんなら話は早い。

 おりを見てひっ捕らえましょー』


『ああ、その時は協力を頼むよ。

 貰い子周旋人に渡す赤ん坊の準備は明日にでもやっておく。

 ブツは子供だけじゃないから、伊藤 君はそちらの情報も集めてくれ』


『わっかりましたー。

 じゃー、夢幻座の捜索は無しって事ですかね?』


『身内の応援が期待できない今、夢幻座を深く探るのは危険だと思う。

 先ずは貰い子周旋人の内情と、謎の人物の足取りを追うのが先決だ』


 これからの捜査方針が決まり、宮森は帝居に在る自室へと引き上げて行った。





 一九二〇年五月 帝居 電信室





 翌日、宮森の寝耳ねみみに水が注がれた。


 宮森 あてに ふじ から電報が届いたのである。

 郵便局には九頭竜会幹部専用の私書箱が在り、そこに郵便物が入ると朝いちで幹部に連絡が入る仕組みなのだ。


 文面は……


■ミヤモリドノ ゴシンパイヲオカケシマシタ ツキマシテハ テイゲキノガクヤニコラレタシ トライフジ


 とある。


 宮森は昨日 伊藤と話していた貰い子の用立てを指示すると、直ぐに帝劇へと向かった。





 一九二〇年五月 帝都丸の内 帝都劇場





 ふじ の掛かり付け医と云う肩書かたがきで彼女の楽屋に入った宮森は、緊張と不安をぬぐい切れないまま戸を叩く。


「どうぞ」


 宮森が入室すると、そこには元気そうな ふじ の姿が在った。


「ふじ さん、今までどこに行ってたんですか。

 急に帝都の外へ出られては困りますよ」


「え?

 ずっと帝都にいましたけど……」


「しかし電報を……」


「ああ、今日は行きたい所があったんです。

 よろしければ宮森さんもご一緒にと思って。

 もしかして、今日はお仕事お忙しいですか?」


 数日前まで酷く思い悩んでいた ふじ からは想像できない程あっけらかんとした要望が発せられ、宮森は驚くと同時に気が抜けてしまう。


「仕事の方は大丈夫です。

 どこに行きましょうか?」


「水族館がいいです、浅草の!

 今から化粧と着替えを済ましますので、ちょっと外に出ていてください」





『女性の身支度はこんなにも長いものなのか……』と忘却の彼方に意識が飛びそうになる宮森だったが、楽屋の扉が開きそれは叶わなかった。


 思い切った ふじ のイメチェン振りに思わずうつむいてしまった宮森。

 彼は首の角度を上げる度に、新鮮な驚きを感じている。


 駱駝色らくだいろ(ベージュ)のローファーに乳白色のアッパッパ(ワンピース)。

 若竹色わかたけいろ肩掛けストール長春色ちょうしゅんいろ釣鐘帽クローシェ

 釣鐘帽クローシェに巻いてあるリボンは藤紫色ふじむらさきいろで、薔薇色ばらいろの口紅とあでやかな対比を見せていた。


 ふじ のハイカラでモダンなたたずまいに、宮森は完全に見蕩みとれてしまっている。


「どうです宮森さん、似合ってますか?」


「は、はい……。

 ほ、本日はお日柄も良くっ、じゃなかった……。

 本当に良くお似合いでっ……き、綺麗ですっ、よ……」


「宮森さんってば、お上手なんですね!」


 モガの揶揄からかいをまともに受けたモボ見習いは、もうこれだけでノックアウト寸前だった。


「宮森さん行きましょう♪」


「は、はいっ……」


 こうして、宮森は生涯しょうがい初のデエトと相成った――。


[註*長春色ちょうしゅんいろ長春花ちょうしゅんか(オールドローズ)と呼ばれる花が語源。

 灰色がかったピンク色]


[註*モガ・モボ=モダンガール・モダンボーイの略で、欧米の影響を受けた髪型や服装を特徴とする男女の事]





 一九二〇年五月 帝都浅草 浅草公園水族館





 浅草公園水族館に入館したふたりは、展示水槽の前をゆっくりと歩き見物して行った。

 窓型水槽の中には鯛や虎河豚とらふぐなどの魚類以外にも、えび鱈場蟹たらばがに海胆うに海星ひとで、果ては海月くらげなど盛り沢山である。


 悠々と泳ぐ水棲動物達やユラユラと揺れる海藻に心を奪われているのか、息を呑んで水槽内を眺めている ふじ。

 宮森もそうかと思いきや、彼は彼女の体内を精査スキャンしていた。


はらの子が消えている……。

 ふじ さんが堕胎した事は疑いようも無いが、処置した場所が気になるな。

 それに目立った肉体の損傷も見られないとなると、外法衆に連れ去られ何かされた可能性が高い。

 くそっ、瑠璃家宮がもっと早く命令を下していて、あの日ふじ さんと一緒に居ればこんな事にはならなかったかも知れないのに!⦆


 自責の念に囚われている宮森の前を、水槽に囚われている魚が飄々ひょうひょうと通り過ぎて行く。



 宮森はそこに、硝子ガラスの牢を見た――。



⦅……硝子ガラス、水。

 眼鏡を通して視る映像も、窓硝子ガラスを通して観る景色も、実際には全て虚像なのだと云う。

 本物は確かにそこに在るが、みえているモノは偽り。

 硝子ガラスの牢に映る自らの虚像と、彼女もいつわり。

 そう、この世の全てがイツワリなのかも知れない――⦆



 行方不明者捜査と ふじ の異変が重なったからか、宮森はつい倦憊けんぱいしてしまったようだ。


 ふたりは既に展示回廊を全て回っていたらしく、ふじ が次の行き先を指名する。


「宮森さん、わたしお腹すいちゃった。

 お昼にしません?」


「ええ、行きましょう」


 ふたりは水族館地下に在る食堂へ行き料理を注文する。

 宮森はオムレツライスで、ふじ はポークカツレツだ。


 ポークカツレツは手間が掛かるらしく、オムレツライスが先に出て来る。

 宮森がスプーン片手にモジモジしていると、ふじ がそのスプーンを奪い取りオムレツライスを一口。


「あっ、ふじ さんちょっと……」


 虚を突かれた宮森は見事にやられ、当の犯人は『てへぺろ』状態である。


 その後ポークカツレツが御目見えすると、全て切り分けてから堪能し始める ふじ。

 するとそこに魔の手が……。


「あっ⁈

 もー、宮森さんったら!」


 復讐アベンジを果たした宮森も口をモグつかせて満面の笑み。


 この後ふたりはマドレーヌを注文し仲良く食べ合ったが、かなりの量の砂糖が使われていたようで宮森は悶絶もんぜつの憂き目に遭う。


『明日二郎に記憶を読まれると伊藤 君と一緒に茶化されるな……』と宮森は心配するも、今この時がこれ迄の生涯で最も楽しい時間には違いなかった。


 そんなこんなで楽しい昼食時ランチタイムが終わる。


 僅かに満足していない ふじ の表情に、宮森は『きっとまだ食い足りないんだろうな』と苦笑した。

 そんな彼を見て、微笑みで返す彼女。


 いつの間にか心が通じ合っているふたりは、水族館に隣接する通俗つうぞく教育昆虫館へと向かった。





 宮森の初デエト その一 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る