それいけ、◯◯マン! その二

 一九二〇年五月一日 帝居地下





 帝居地下へとやって来た伊藤は、これから扮装ふんそうする職種の段取りに入るため武藤 医師を訪ねた。


「武藤せんせー、伊藤っす。

 覆面の調整お願いしまーす」


「ああ、宮森 君に頼まれていたのだった。

 こちらにきたまえ」


「うひゃー、なんか気持ちわりーな」


「これからもっと気持ち悪くなるよ~」


 武藤は伊藤に護謨覆面ゴムマスクを被せ、助手と共に化粧メイクを施して行く。

 すると、見事に禿げあがった中年男性の出来あがり。


「うへー。

 これが俺かよー。

 男前が台無しじゃねーか」


「ははは!

 そこは私らの腕を褒めて欲しいね」


「よし、これで顔はどーにかなったぜ。

 次は衣装と商売道具か。

 せんせー、お願いしまーす」


「君、伊藤 君を衣裳部屋に連れて行ってあげなさい」


「分かりました」


 武藤の助手に連れられ衣裳部屋へと入る伊藤。

 そこで彼が選び取ったのは、これ以上ない程みすぼらしい襤褸らんるだった。

 余りの酷さに衣服とは呼べそうもない代物で、どこからどう見ても貧民窟の住人である。


 その後 伊藤は調理場を管轄する係に掛け合い、調理場と取引の有る残飯業者の臨時雇いとして活動する事となった。


 最後は用具室で大八車だいはちぐるまおけを幾つか用意。

 桶の中身にここの厨房で出た残飯を入れ、帝居から四谷へと出立する。


 伊藤の扮した生業なりわいは俗に残飯屋ざんぱんやと呼ばれるもので、この時代の貧民窟を象徴する職種と云っていいだろう。


[註*残飯屋ざんぱんや=主に軍隊から出る残飯を安く買い、都市部の貧民に販売する業者。

 供給元は軍隊宿舎の他に、料理屋や汽船などもあった]





 一九二〇年五月一日 帝都四谷





 伊藤は夕方から残飯屋としての活動を開始する。


 帝居の地下施設から出た残飯は味が良く、実際飛ぶように売れた。


「三銭分ちょうだい!」


「こっちは汁物くれ!」


 貧を極めその日暮らしの貧民達。

 精一杯生きる彼らを前に、以前は同じような暮らし振りだった伊藤も段々と興が乗って来る。


「はいはい!

 たくあん漬けはひとつかみ一銭!

 焼き魚のくずもひと掴み一銭だよ!」


 余りの盛況ぶりが楽しくなったのだろう。

 本来の任務を忘れ、荒っぽい活気の中で楽しそうにあえぐ伊藤であった――。





 一九二〇年 五月 帝都





 残飯屋の仕事を初めて数日、今日も伊藤の大八車は帝都をひた走っていた。


 残飯屋の仕事はきつい。

 朝昼晩三回分の残飯を運搬、販売しなければならないからである。

 しかし見返りも有ったらしく、伊藤は有力な情報にあり付いていた。


「さーて、今日も頑張りますかね!」


 伊藤が大八車をとばし四谷へ到着すると、待ってましたとばかりに貧民達が出迎える。

 彼は貧民達に残飯をよそい乍ら、少しづつ情報を引き出して行った。


「最近、ここらで急に羽振りの良くなった人はいるかい?」


「今はいないけど、元はいたよ」


「へえ~、カネ儲けたらどっか行っちまったってか?」


「そうだなあ、ありゃあ二、三年めえだよ。

 もら周旋人しゅうせんにん木須きすって夫婦だったんだがな。

 急にカネ回りが良くなりやがって、新宿の方に家建てて引っ越しちまいやがった。

 どうやったのかは知らねえけど、上手くやったんだろうなあ……」


 貰い子周旋人とは、故あって子供を手放さなければならない親から子供を預かり里親を探す生業である。

 里親を周旋するとは名ばかりの者達も多く、実際には養育費の大半をピンねした上で貧民窟の住人に貸し出していた。

 貧民の方も同情を引きやすい貰い子を身寄りのない乞食こじきに仕立て往来に立たせており、乞食家業の人寄せとして需要が有った事がうかがえる。


 酷い場合は、養育費目当てに村、部落単位で貰い子を受け取り、その都度殺害していたと云う事件まで有った。

 事件が発覚した村ではべ三十人以上の貰い子が殺害されているが、これも氷山の一角に過ぎない。


 伊藤は前もって用意していた台詞せりふでそれとなく探りを入れてみる。


「俺んとこのかかあが六人目産んじまってよ、もうこれ以上は無理なもんで貰ってくれる人探してんだ。

 その木須って夫婦に預けてみるかなー」


「もし子供に死んで欲しくねえんならやめといた方がいい。

 あいつらんとこ行った子供は一年も経たずに見なくなる。

 どっかに売り飛ばされてんのは確実だろうぜ」


「そーなのかい?

 流石にそんなヤバイ奴らはお断りだね。

 こんな俺でも人殺しの片棒を担ぎたかーないしな。

 じゃ、これから産まれる六人目の為にも頑張るとしよーかい!」


 貰い子周旋人の木須 夫婦と云う情報を得た伊藤は、空になった桶を大八車に積み込み新宿へと向かった。





 一九二〇年 五月 帝都新宿





 新宿へ向かった伊藤は木須 夫婦の家を探す。

 二、三年の新築と云う事もあり、目的の家は直ぐに見付かった。


 玄関で声を上げる伊藤。


「ごめんくださいー。

 木須さんはいらっしゃるかねー」


「はいはい、どちらさんで……」


「おら残飯屋の井口いぐちっつーんだけんど、貰い子の事で話があってな。

 聞いて貰えるかい?」


「うっ⁈

 あんた臭いわね……。

 まあ、一応話だけは聞いとくよ」


 流石に貧民窟帰りの匂いはきつかったのか、木須 夫人は鼻をつまんで応対する。


 伊藤は失礼な態度を取る彼女に嫌な顔一つ見せず、ここでも前もって作っていた話で鎌を掛ける。


「実はね、おらの奉公先の取引先に道ならぬ恋をしちまったお嬢さんがいるんでさー。

 そのお嬢さんが産んじまったっつーもんで、その引き取り先を探してたんだよ。

 話を聞き回るうちに、あんたんとこ頼めば間違いねーって言われたもんで寄ったんだけんど……旦那さんは留守みてえだな」


「あたいが言伝ことづてするから大丈夫だよ。

 で、持参金じさんきんはいくらなんだい?」


「何でも、三百円(現在の貨幣価値で約百二十万円)出すって言ってたなー……」


「三百円!

 ああ、構わないよ。

 先方がその気になったら……。

 実は、いま欲しいって言ってくれてる人がいるんだ。

 良かったら直ぐにでも持ってきとくれ!」


 伊藤はそれとなく会話を続け乍らも心中で北叟笑ほくそえむ。


⦅流石カネの亡者、高額の持参金に釣られやがったな。

 これで手掛かりが掴めるぜ……⦆


「……ちゅー事で。

 詳しい話は旦那さんがおる時にでも」


「はいよ。

 旦那のいる時間は……」


 面談を取り付けた木須 夫人がホクホク顔で奥へと引っ込む。


 伊藤も護謨覆面ゴムマスクの裏で含み笑いが止まらず、軽快な足取りで大八車を走らせた――。





 それいけ、◯◯マン! その二 了

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