ザ・ランブルクリーチャー その五

 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場





ダゴン益男〉が指パッチンで〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉を海の藻屑に変えた頃、瑠璃家宮の前には嘯吹が立ちはだかる。


 嘯吹は瑠璃家宮の動向を気にしつつ三密加持を行なった。


 先ずは内縛印ないばくいんから両中指を立て合わせる形。

 水天印である。

『――ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バルナヤ・ソワカ――』と真言マントラを唱え、水天すいてん自在法じざいほう成就じょうじゅさせた。


 続けて左手の人差し指、中指、小指を真っ直ぐに伸ばし、親指と薬指は曲げて先端を付ける。

 右手は拳の形から人差し指のみを立て、第一関節、第二関節ともに深く曲げる形の密印ムドラーを結ぶ嘯吹。


『ナウマク・サンマンダ・ボダナン・センダラヤ・ソワカ』との真言マントラを唱え、月天がってん凍光法とうこうほうを成立させた。


 嘯吹に挨拶する瑠璃家宮。


「この前歓談室に来た輩か。

 御仲間が逃げる迄の時間稼ぎと見受ける。

 来い……」


「やっぱりお前いけ好かないぷ~ん!」


 言うが早いか、手甲に包まれた拳を氷上に叩き付ける嘯吹。

 穴が開くと、念動術サイコキネシスで大量の水を噴出させた。


 嘯吹はその水を操りを瑠璃家宮に浴びせると、月天・凍光法で造り出した凍気とうきをぶつける。

 水は淡水と海水が混じった汽水きすいなので凍結にはやや苦労すると思いきや、嘯吹が水天・自在法で不純物を混入させていた為に一瞬で凍った。


 体表が凍結して身動きが取れない瑠璃家宮へと、氷上を疾駆しっくする嘯吹。

 一撃で砕こうと右拳を引き絞る。


「これが嘯吹のアッタマいい戦法ぷ~ん。

 カチンコチンになった所を頂いちゃうぞぷ~ん」


 嘯吹が右拳を叩き付ける寸前、瑠璃家宮の護謨覆面ゴムマスクから何かが飛び出した。

 そこから現れたのは、透き通った組織を持つ六本の触手。


 完全に虚を付かれた嘯吹は、六本の触手が待ち受ける顔面に右拳を放ってしまった。

 触手は嘯吹の拳を呑み込むと、瞬く間に腐食させ分解して行く。


 嘯吹は勢いの余り転倒し、失った右拳を嘆いた。


「ああ~⁈

 嘯吹の手が、あ、あ、あ……ある!」


 どうやら、手甲を咄嗟とっさに外して射出していたらしい。

 嘯吹は無事だった右手をさすり乍ら文句を垂れる。


「何で凍らないぷ~ん?

 特に熱くはなかったはずぷ~ん!」


 何故か思念で答える瑠璃家宮。


『其方に難しい事を言っても判らんだろうから簡単に説明してやろう。

 余は自身の体液にあぶらを混ぜ、水分の凍結を防いだのだ』


「何だか余計に解らないぷ~ん

 チンプンカンプンぷ~ん⁈」


 嘯吹がそう言うのでもう少し詳しく説明しよう。


 水分子が規則的な三次元格子こうし構造に配列されると氷の結晶が形成される。

 これが凍結だ。


 瑠璃家宮は体内で特殊な脂肪分子を合成する。

 この脂肪分子には疎水性そすいせいの部分と親水性の部分が在り、水と非常に馴染み易い性質を持っていた。


 この脂肪分子が集合、凝集する事で膜を形成する。

 その膜は水分子を内包する隙間を備えているが、その隙間が余りに狭いため水分子は氷の結晶となれない。

 先述の作用により、摂氏マイナス二六三度ほど迄は水分子の配置が乱れたままに保たれ、体内の水分や脂質が凍らないのだ。


 瑠璃家宮がボロボロになった護謨覆面ゴムマスクを脱ぎ捨てる。


 ソレを視た嘯吹は絶句した。


 そこにあったのは人間ヒトの頭部ではなく、宙に蠢く六本の半透明触手。

 元より口が無いので、喋れなかったのも道理だ。


 流石の嘯吹も吃驚びっくりしたようだが、直ぐに意識を切り替え月天の種子字しゅしじを唱える。


シャぷ~ん!」


 再び水が舞い上がり、蛇の如くのたうって瑠璃家宮へと襲い掛かった。

 嘯吹が凍気を放つと、水蛇は氷蛇に姿を変える。


 右から左へ、上から下へ。

 あらゆる方向から襲撃して来る氷蛇を、瑠璃家宮は巧みな足捌きステップで往なして行く。


 その秘密は、瑠璃家宮の頭部から生える触手に有った。

 触手それぞれに黒い小点が観られるが、それらは全て眼点がんてん

 詰まり眼である。

 これは帆立貝ほたてがいなどに見られる生態で、全方位からの攻撃も難なく躱す事が出来るのだ。


 しかし嘯吹にめげる様子は無い。

 何匹もの氷蛇を作り続け、氷像の展覧会を開催する。


 両手の触手から硬質化した墨弾ぼくだんを乱射し、前衛的アバンギャルドな展覧会を見物する瑠璃家宮。


⦅よくもまあ、ここまで立体的に術を行使したものよ。

 二階の観覧席まで届いておるとは、敵ながら天晴あっぱれと云った所。

 それにしても、氷柱がやけに幅広で平たいのは何故だ?⦆


 瑠璃家宮の問いは直ぐに答えが出る。


 今度は自分の番とばかりに、墨弾の乱射を華麗な足捌きステップで躱す嘯吹。

 助走を付け左足で踏み切る回転跳躍。

 トリプルアクセルだ。


अःアクぷ~ん!」


 宙で回転している所へ瑠璃家宮が容赦なく墨弾を撃ち込むが、障壁バリアとは別の何かに弾かれる。


 氷蛇の背中に四つん這いで着地する嘯吹を見て、思わず感心してしまった瑠璃家宮。


「何と、一瞬で装備を切り替えたか。

 逃げ足の速い奴め……」


 金剛薩埵・豪剣法を用い、スケート靴底の金属板を鉄かんじきアイゼンに変化させた嘯吹。

 手甲にも術を応用し、氷を突き刺せる鉤爪ピッケルまで伸ばしていた。

 それらを使って周囲に張り巡らせておいた氷蛇の背を辿り、二階の観覧席スタンドへと逃げ延びたのである。


 観覧席スタンドにいる筈の宮森の運命はいかに……。





※演出の都合上デーヴァナーガリー文字を使用していますが、縦組み表示では正確な象形が表示できません。

 正確な象形を確認したい方は、横組み表示にてご確認下さい。


 対象のデーヴァナーガリー文字は〔अःアク〕です。



 ザ・ランブルクリーチャー その五 了

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