ザ・ランブルクリーチャー その四

 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場





 瑠璃家宮が〈鰐頭人ペトスーチ〉の相手をしていた頃、〈ダゴン益男〉は〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の対処に追われていた。


 四肢の水刃ハイドロブレードを展開した〈ダゴン益男〉に殺到する黒い触手。

 斬り裂くのは容易たやすいが、とにかく数が多い。


ダゴン益男〉は捕縛されないよう細心の注意を払い、本体が在るだろう中心部へと向かう。

 中心部には巨大な人間ヒトの口だけが在り、捕らえた〈深き者共ディープワンズ〉をモシャモシャと咀嚼そしゃくしている最中だった。


水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の口が開いた瞬間を見計らい飛び込む〈ダゴン益男〉。

 しかしそれを許す〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉ではない。


 歯を噛み合わせ唇を閉じ、周囲の触手で〈ダゴン益男〉を狙う。

 斬り払って対処する〈ダゴン益男〉だったが、中心部は触手の密度が段違い。

 虚を突かれた末に左足を掴まれてしまった。


 そうなると後は早い。

 あれよあれよと云う間に四肢を絡め捕られ、大の字姿勢ではりつけにされる。


水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉は注意深く触手を引っ張り、〈ダゴン益男〉の膂力で千切れないかを確認。

 その後は勝ちを確信したのか、舌を出してベロベロバー。


水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の挑発を受け、地団太じだんだを踏む〈ダゴン益男〉。


「くそっ、絡め捕られて手足が出ない……。

 もう駄目だっ!」


ダゴン益男〉が諦めの台詞を吐く中、水上では嘯吹の術で氷が張って行く。

 瑠璃家宮が助けに来る気配も無い。


水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉が満を持して〈ダゴン益男〉の下半身を口先に運ぶと、脱出を封じられたかに見えた〈ダゴン益男〉がケロリとした表情で呟く。


「あっ、手も足も出た」


 すると〈ダゴン益男〉の脇腹から三対さんついの鋏脚が伸長。

 両手足を捕縛していた触手をチョン切った。


 水中が本拠地なのは御互い様だが、〈ダゴン益男〉は〈ショゴス〉と融合しているため短時間での身体変容が可能。

 今回は千手蛯せんじゅえびの特徴を模したのだ。


 危険を察知した〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉。

 歯と唇を閉じ〈ダゴン益男〉の侵入を阻む。


 それを読み、〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の巨大唇を蹴って急速離脱する〈ダゴン益男〉。

 脇腹から生やした鋏脚で時間を稼ぎつつ、更なる身体変容を遂げる。


ダゴン益男〉の変容した左腕。

 それは、巨大な鉗脚かんきゃくだった。

 巨大なはさみと聞くと潮招が思い浮かぶが、〈ダゴン益男〉のそれは鉄砲蛯てっぽうえびのそれである。


 手首の関節から鋏の噛み合わせ迄が掌部に当たり、指部(鋏)の三倍ほども長くぶ厚い。

 何故これ程までに長くぶ厚いのか、それは内部に筋肉がみっちりと詰まっているからだ。


 指部は小さく短いものの、太くて鋭い。

 勿論この形状にも理由が有る。


ダゴン益男〉は出来得る限り〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉へと接近。

 前面に展開した障壁バリア前に、巨大鉗脚を突き出し噛み合わせた。


ダゴン益男〉が高速で噛み合わせた鉗脚周囲の水圧が瞬間的に低下。

 水が蒸発して無数の気泡キャビテーションバブルを生じさせる。

 この気泡キャビテーションバブル内部は超低圧で、周囲の水を巻き込み急激に崩壊して行った。


 この時、崩壊する気泡キャビテーションバブルの温度は摂氏四四〇〇度にも達する。

 この状態では水分子が構成を維持できず水素と酸素に分離。

 所謂いわゆるプラズマへと変換された。


『ガヂィッッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!』


 閃光が瞬き、激烈な衝撃波が放たれる。


 その威力に〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の触手は言わずもがな、前歯も粉々に打ち砕いた。

 対して〈ダゴン益男〉には損傷が見られずピンピンしている。


 鉄砲蛯てっぽうえびの鉗脚は、空洞現象キャビテーションによって生じる衝撃波を前方へと飛ばすのに最適な形状。

 詰まり、狙った方向に撃ち出す事が出来るのだ。


[註*鉄砲蛯てっぽうえび=十脚目テッポウエビ科に分類されるエビの一種で、『かちえび』などの異名もある。

 最大の特徴は片側だけ巨大な鉗脚かんきゃくで、それを噛み合わせて衝撃波を生成し威嚇や狩りに用いる。

 海岸性のハゼ類と共生関係にあり、仲良くしている所がよく目撃されている]


〈ダゴン〉は完全に疲弊ひへいしている〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉へと近付き、両踵りょうよう水刃ハイドロブレードで唇を斬り裂く。

 案の定前歯は折れていたので、口腔内に入りじかに指パッチンを食らわした。


水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉は一見しただけだと海藻のように見える。

 しかし胃や腸などの消化器、心臓や肺などの循環器を備えた動物なのだ。

 

水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の体内で容赦なく指パッチンを放つ〈ダゴン益男〉。

 バラバラに弾け飛ぶ内臓の破片。

 触手群も主を失い水中を漂うばかり。


〈ダゴン〉は文字通り海の藻屑もくずと化した〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉に向け診療結果を報告する。


「虫歯は全部抜いてやった。

 次は入れ歯を準備しておこう……」


ダゴン益男〉が勝利を飾った所で、凍った水面が一部砕け水が引き上げられた。

 瑠璃家宮がまだ闘っているのだろう。


ダゴン益男〉は氷上の瑠璃家宮に加勢しようかとも思ったが、突如として不審な音波を検知する。

 その音波は正確に〈ダゴン〉を捕らえ、あまつさえ近付いて来ていた。


⦅数日前から感じているこの声……。

 直ぐに探らねばなるまい⦆

 

ダゴン益男〉は東京湾から響いて来る歌声に、郷愁と脅威を同時に感じ取っていた――。





 ザ・ランブルクリーチャー その四 了

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