泡と水の狂漕曲 結び その二

 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場





 宮森と〈ラニクア・ルアフアン〉の話題は失われた大帝国へと移る。


『滅びた当時の大帝国と云うのは、アトランティスやムーの事なのかい?』


『違う。

 アトランティスやムーはもっと前なんじゃないかな。

 当時の大帝国の名は〘タルタリア〙、若しくは〘タルタリヤ〙とも呼ばれていた。

 漢字では「多尓多里たるたり」と表記し、現在の英語では「Tartariaタルタリア」もしくは「Tartaryタータリー」とも。

 裏海りかい(カスピ海)より東、今の露西亜ロシアと北欧の一部、蒙古もうこ(モンゴル)や支那しな北部をも含む大帝国だった。

 確か……樺太からふと(サハリン)や蝦夷えぞ(北海道)もその領地に含まれていた筈だよ』


『その言葉は聞いた事が有る。

 先ほど君が挙げてくれた地方の総称や、〖韃靼人だったんじん(タタール人)の国〗と云った意味も有るね。

 それも邪神崇拝者結社の隠蔽工作だとすると、ちょっと手が込み過ぎている。

 いくら邪神や邪神崇拝者達が強大な存在だからって、当時生きた人々の記憶を全て消し去れるものだろうか』


『タルタリアが滅亡した時ボクは幼かった。

 陸に揚がる事も先ず無いので、知っている事は限られる。

 分かり易い事例だと、現生人類から見て遥かに大きな体格を持つ巨人や、逆に小さい体格の超小人も存在していた』


『若しや、有角人や一つ目巨人、生物の頭部を持った異頭人もかい?』


 自身の研究分野にどんぴしゃりな話題に、宮森は興奮を隠せない。


『数自体は少ないが居た。

 ボクは海で生活していたので多くは観ていないけどね。

 当然、ボクらのような〈深き者共〉もその一部だ』


『では、その当時の科学技術などはどうなっていたんだい?』


『勿論、今とは比べ物にならないほど発達していた。

 君達陸上の人間は蒸気機関だのを使っているようで、電気の利用はまだまだのようだね。

 先のタルタリア帝国などでは、電気の利用が極まっていたよ。

 なんでも、空気中から自在に電気を取り出していたらしい』


『なんだってー!

 済まない。

 又々取り乱してしまった

 見知って……はないけど、ある人物から同じ事を聞かされたものでね。

 何でも、ニコラ・テスラと云う人物がその装置を発明したみたいなんだけど、研究結果は秘匿され邪神崇拝結社に渡ったらしい。

 コレなんだね?』


 義憤と憂慮ゆうりょの思念を発する宮森。

 鳴戸寺なるとでらからの情報と〈ラニクア・ルアフアン〉の話が合致し、世界を巻き込む陰謀の一端に触れた気分だったのだろう。


『まさにソレだ。

 ニコラ・テスラなる人物は邪神崇拝結社に脅されたか、最初から邪神崇拝者の手先だったと考えた方がいいね。

 恐らくは、とうに完成している技術を小出しにしてのカネ儲けと、新時代の人民を洗脳教育する為に隠蔽されたんだろうな』


『新時代の、人民?

〈ラニクア・ルアフアン〉、それはいったい……』


『有角人や異頭人、遺伝病以外での巨人や超小人などの消失は知っての通りだ。

 ボクは小終末の時は海中に居たから何とか生き残る事が出来たけど、陸上では大幅に環境が変わった筈だ。

 その所為で当時の種族は殆ど生き残っていないだろう。

 で、新たに存在を許されたのが現生人類。

 その当時の小人に当たる君達だよ』


『なんてこった……。

 でも、小終末を生き残った人々の記録がここまで少ないのは矛盾している。

 小終末後の世界支配に乗り出した邪神崇拝者結社が記録を抹消し続けたとしても、誰かが口伝なり何なりで残すと思うんだけどなあ……』


 記録の間隙ミッシングリンクを言及する宮森に、〈ラニクア・ルアフアン〉が衝撃の解答を突き付ける。


『当時生き残った人類の殆どが、記憶を消されたんだよ』


『な、な、なんだってー‼

 済まない。

 あまりに突拍子もない意見だったので吃驚仰天びっくりぎょうてんしてしまった。

 人類の記憶を丸ごと消し去る、なんて事が可能なのかい?』


『宮森。

 一つ云える事は、小終末を生き延びた小人……現生人類の記憶を消したのは邪神ではないと云う事だ。

 人類の記憶を消したのは旧神か、邪神を裏切り旧神側に鞍替くらがえした者の仕業だろう』


 裏切り者の邪神、と云う新たな事実が判明し、宮森の好奇心も鰻上うなぎのぼり。


『それは、邪神の一柱ひとはしらが旧神側に寝返ったと云う事だね。

 そんな存在もいるとは、完全に自分の想像を超えている。

 で、その旧神側に寝返った存在の名前は判るかい?』


『いや、名前までは知らない。

 只、その元邪神は〘記憶の術式〙を自在に操ったと云われている。

 そしてその元邪神は、いま瑠璃家宮に定着している邪神の盟友だったらしい』


『何と、瑠璃家宮が友に裏切られていたとはね……』



 宮森の脳裏にとある光景がちら付く。


 一つ目は、去年六月に催された慰労いろううたげで、脳の一部である松果体しょうかたいを食した時。


 二つ目は、外吮山の戦闘で重傷を負い、帝居地下の集中治療室で多数の地質、鉱物標本を口に入れた後で見た夢。


 それらの光景が宮森の中で渦巻き、彼の存在を揺るがしていた――。



 宮森にくすぶる思念を知ってか知らずか、〈ラニクア・ルアフアン〉が語り掛ける。


『宮森、ほうけていたようだが大丈夫かい?』


『ん? ああ、先程の戦いで霊力を使い過ぎたのか集中が乱れてしまった。

 気にせず続けてくれ』


『ではそうしよう。

 それでくだんの元邪神は、人類はおろか邪神達の記憶さえも封じたとか。

 その記憶封印と科学技術の破壊により、文明が原始にまで後退してしまったんだろう。

 蝦夷より北に住むアイヌ達や、南方の密林に住む人々がいい例だ』


『その後、幾らか記憶を取り戻した邪神が一部の人間達をたぶらかし定着。

 魔術結社を結成してりずに人類支配に乗り出した、か……』


 謎が明らかになるとまた新たな謎が現れる。

 質問を続けたい宮森だったが、〈ダゴン益男〉の覚醒波が検出されたようでそうも行かない。


『益男が目を覚ましそうだな。

 君はこれ以上そこに留まる事が出来ないだろうから、最後に頼む。

〈ラニクア・ルアフアン〉、自分達と協力関係を結んでくれないか?

 勿論、そちらの要請も出来うる限り受け付ける』


『いいだろう。

 こっちも陸上の情報を欲しかった所だ。

 ボクの固有精神感応波を教えておくから、連絡を取りたい時はそれで。

 宮森の中にいる幻魔……明日二郎だったか、君の固有精神感応波も教えてくれ』


 互いに固有精神感応波アドレスを交換した後、宮森は〈ラニクア・ルアフアン〉に別れの挨拶を送る。


『今日は本当にありがとう。

 出来れば君の本名も知りたかったが、又の機会にしとくよ』


『ボクは只の〈ラニクア・ルアフアン〉さ。

 名前まだ無い。

 母からはずっと「坊や」と呼ばれていたし、仲間達との会話では必要ないからね。

 良かったら宮森、君が名付けてくれ』


『分かった。

 今度会う時までに考えとくよ』


 名付けの約束を取り付けた〈ラニクア・ルアフアン〉は海側放水路へと向かう。


 宮森の精神感応波テレパシックウエーブを刻み込んだ彼の心には、何故か二百年前の潮香しおかが蘇っていた――。





 泡と水の狂漕曲 結び その二 了

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