第六節 ザ・ランブルクリーチャー

ザ・ランブルクリーチャー その一

 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場





 伊藤が競技水面から揚がった時、会場は競技レースどころの騒ぎではなくなっていた。


 競技場底部に植え付けられた〈水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉はみるみるうちに成長。

 その触手で艇や〈深き者共ディープワンズ〉を水中へと引き摺り込む。


 艇に興味は無いのか、触手で握り潰した後は水中にばら撒く〈水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉。

 しかし運悪く捕まった四号艇の選手は、触手が生い茂る〈水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の根本へと運ばれた。


 そこで彼は植物由来とは思えない口腔を眺め、辞世の句をむ。


「白い歯って、いい……ニャバッ⁈」


水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉は選手だけでは飽き足らず、〈深き者共ディープワンズ〉をも餌食として行った。

 彼らが身に付けている装具ハーネスや衣服は舌と唇を器用に使って選り分け、ペッ……と綺麗に吐き出す。

 その姿はまるで、知性と直感であらゆるものを聖別せいべつする【女教皇ハイプリーステス】と云っても過言ではない。


水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉による残酷劇の最中、誰ひとりとして加勢に来ないのには理由が有った。

 競艇会場の地上部で、デカい蜥蜴頭こと〈鰐頭人ペトスーチ〉がこれでもかと暴れ回っていたからである。


鰐頭人ペトスーチ〉は首から下に人間の要素が残っており、まさに鰐人間と云った風情ふぜいだ。

 背面は灰緑色かいりょくしょくの角質化した鱗で覆われているが、前面は柔軟性のある黄白色おうはくしょくの肌である。

 筋骨隆々で身長の半分に達する尻尾を備え、瓦斯倫原動機ガソリンエンジン携帯型鎖鋸ポータブルチェーンソーまで装備していた。


 一般普及前のこの品を所持する九頭竜会に最早驚きは無いだろうが、この品は重量が一二五ポンド(約五六・七キログラム)も有る。

 詰まりふたり用なのだ。

 そう、ふたり用の鎖鋸チェーンソーを軽々と扱う〈鰐頭人ペトスーチ〉こそが脅威なのである。


 その〈鰐頭人ペトスーチ〉が、職員待機区画スタッフエリアで〈深き者共ディープワンズ〉相手に暴れ回った。

深き者共ディープワンズ〉の膂力は大抵の場合人間ヒトの成人男性を上回っている筈だが、〈鰐頭人ペトスーチ〉にはまるで通じない。


 甲殻類型の厚い装甲も鎖鋸チェーンソーさばかれ、背後から押さえ付けようにも尻尾の一撃で骨を砕かれる。

 その対決場面シーンは、準決勝敗退者の処刑映像を撮る予定だったテレビカメラで観覧席スタンドへと中継されていた。





 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場 観覧席





 観覧席スタンドでは一体の〈鰐頭人ペトスーチ〉に多数の〈深き者共ディープワンズ〉が蹂躙じゅうりんされる模様が流れ、余程の衝撃だったのか瑠璃家宮は頭を抱えている。

 今回の競艇開催は〈深き者共ディープワンズ〉の実物宣伝デモンストレーションであった筈が、明らかに〈鰐頭人ペトスーチ〉と〈水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の宣伝になってしまっていた。


 貴賓達にはこの騒動が、瑠璃家宮 派と大昇帝 派のに映っているのである。

 自らに危険が及ばないと判ると、貴賓達は競技レースの事などそっちのけでの吟味を始めた。


「矢張り、〈深き者共〉は陸上では使いにくいか?」


「あの海藻お化けは通商破壊にでも使えそうだ」


「あの鰐人間つえー!」


 然も、売り込みは大昇帝 派に軍配が上がりそうな気配。


 目頭を押さえ溜息ためいきをついた瑠璃家宮は、侍従と守衛に命じて賓客を観覧席スタンドから避難させる。

 常に尊大な姿勢を崩さない瑠璃家宮にしては弱気な対応だったが、その理由は直ぐに判明した。


 瑠璃家宮は首の下に手を入れると、思いっ切り腕を上方に伸ばし顔の皮を剥ぐ。

 彼は手に握った護謨覆面ゴムマスクを眺め、いつ見てもパッとしない地味顔を曇らせた――。





 昨日の夜、瑠璃家宮から観覧席スタンドに来るよう連絡を受けた宮森。

 入室すると、瑠璃家宮は備え付けのバーカウンターの前に座り酒を注いでいた。


 小振りなグラスに揺蕩たゆたうのは琥珀色の液体。

 ウヰスキーなどの洋酒だろう。


 長卓ロングテーブルの上には大き目の紙袋が置かれている。

 宮森は興味をそそられたが、主君への挨拶を優先した。


 宮森は最敬礼し、瑠璃家宮に呼び出しの意図を問う。


「殿下、何か御用で?」


「うむ。

 実はな、先ほど僅か乍ら空間振動を感じた。

 何かが転移して来た可能性が有る」


「大昇帝 派の手の者……。

 外法衆でしょうか?」


「そうかも知れん。

 それとな、益男や頼子からの報告によると、東京湾方面に何かが集結しているらしい。

 ここ数日断続的に続いているとの内容だったので、注意が必要かと思ってな」


 掴み所の無い話に、宮森も不安を隠し切れない。


「情報が少な過ぎて良く判りませんが、空間振動の方は万全の警戒態勢を敷いた方が良いと存じます。

 で、益男さんと頼子さんの報告に裏付けは有るのでしょうか?」


「それがな、調査させると反応が消えるらしい。

 どうも、こちらの動きが察知されているようだ。

 それゆえ、其方に相談した次第」


「では、今から調査しても何も出て来ないでしょう。

 最悪の場合、あや 様とてい 様を襲う為の陽動の可能性が有ります。

 御二方おふたかたの安全を考慮しますと、魔術師の応援は頼まず我々だけで対処した方が安全かと」


「うむ。

 それで宮森よ、余の考えを聞いてくれ。

 もし大昇帝 派が仕掛けて来た場合に備え裏をかきたい。

 そこでだ、明日の競技には余が守宮となって出場する。

 其方はこれを被り、余に成り代わって貴賓達の相手をしてくれ。

 もし貴賓達に護謨覆面ゴムマスクの事がバレても、それはそれでいい宣伝になる。

 そうだ、余は明日の競技に備え飲酒を控えねばならん。

 宮森、良かったら呑んでくれ」


 長卓ロングテーブルに置いてある紙袋からは、礼服一式に護謨覆面ゴムマスクかつらが飛び出した。

 礼服を宮森に手渡した瑠璃家宮は、悪戯いたずら小僧のように自身の顔をかたどった面を伸び縮みさせる。


 それを観た宮森は、多野 教授から後に発せられるだろう苦言を覚悟し、深い溜息をついた……。





 ザ・ランブルクリーチャー その一 了

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