ザ・ランブルクリーチャー その二

 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場





水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉が引き起こす混乱の最中、競技レースに出場できなかった瑠璃家宮は荒れに荒れている。


折角せっかくの機会なので舟券ふなけんも買っておいたのだがな。

 あの腐れ馬尾藻ほんだわらの所為で台無しではないか。

 益男、ちょっと行って腐れ馬尾藻を刈って参れ。

 余はあの鰐頭わにあたまを狙う」


「しかし殿下、御身体の方にもしもの事があれば……」


「あの程度のやからに本気を出す訳がなかろう。

 尤も、多野 教授の御小言おこごとはちと面倒だがな」


「はっ!」


 君命を受けた〈ダゴン益男〉は水刃ハイドロブレードを展開。

水棲黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の黒い触手がうごめく水中へ飛び込む。


[註*馬尾藻ほんだわら=海藻の一種で、同じホンダワラ科には鹿尾菜ひじき赤藻屑あかもくがある。

 有名なサルガッソー海に繁茂しているのはこの仲間]


鰐頭人ペトスーチ〉が鎖鋸チェーンソーで〈深き者共ディープワンズ〉をぶつ切りにして行く中、複数の〈深き者共ディープワンズ〉が反撃に出た。

 潮招しおまねき型が極端に肥大化した鋏脚きょうきゃく鎖鋸チェーンソー支持板ガイドバーを掴み無効化する。


 もう一つの武器である尻尾には、波布海月はぶくらげ型が絡み付いた。

 刺胞しほうから毒を注入しようと試みるも、〈鰐頭人ペトスーチ〉の外皮はそれを拒絶。

 一方の〈鰐頭人ペトスーチ〉も尻尾を床に叩き付けるが、波布海月型の弾力性により破壊力が吸収され殺害までは至らない。


[註*波布海月はぶくらげ=沖縄や奄美に生息するクラゲで、毒蛇の波布はぶが語源。

 語源通りの強力な毒を持ち、症状が重い場合は細胞壊死の他、意識障害、呼吸困難、心停止などを引き起こす]


 そして止どめの機会をうかがっていたのが、梶原の曳行〈深き者共ディープワンズ〉である芭蕉梶木型。

 攻撃方法は当然顔先のふん


 芭蕉梶木型は同胞を成すすべもなく殺され義憤にられているらしく、闇雲に〈鰐頭人ペトスーチ〉へと突進。

 その御蔭か、吻は見事に〈鰐頭人ペトスーチ〉の咽喉のど元へと突き刺さった。

 うめく〈鰐頭人ペトスーチ〉。


 だが、頭に血が上っていた芭蕉梶木型は気付くのが遅れる。

 そう、自身の吻が抜けない事に。


鰐頭人ペトスーチ〉は、鎖鋸チェーンソー発止はっしと掴んでいる潮招型に前蹴りを食らわす。

 腹を蹴り砕かれ、蟹味噌を四散させて事切れる潮招型。


 今度は咽喉元に突き刺さる吻を手刀で折り、抜き去った吻を尻尾に絡んでいる波布海月型に突き刺す。

 海月に脳や心臓は無いが、人間ヒトの特徴も残す〈深き者共ディープワンズ〉はそうも行かない。

 今もって残っている臓器を掻き回され、波布海月型も行動不能となった。


 ただ刺胞細胞を有する触手は千切れ、〈鰐頭人ペトスーチ〉の尻尾に絡み付いたままである……。

 只、硬い皮膚に守られ毒は通らないのだが。


 残るは活きのいい芭蕉梶木型が相手。

鰐頭人ペトスーチ〉はそれの背後に両腕を回し、鯖折さばおりの要領で締め付ける。

 活け締めに関しては成功したが、立派な背鰭がボロボロになった事だけは惜しい。


[註*鯖折さばおり=相撲の決まり手の一つ。

 まわしを取って強く引き付け、上からのしかかるようにして相手の膝を付かせる技。

 語源は、技をかけられた力士の姿が、首を折って血抜きした鯖に似ていた事から]


鰐頭人ペトスーチ〉が群がる〈深き者共ディープワンズ〉をたおしていると、競技場に変化が起こった。

 なんと、水面に氷が張ったのである。


 その氷は第二旋回目印ターンマーク付近から急速に拡大し、あと少しで海側放水路まで届きそうだ。

 選手である守宮に扮した瑠璃家宮が、その元凶を見付け戦闘態勢に入る。


 その元凶とは、水上の曲芸師こと吹越だった。


 月天がってん凍光法とうこうほうの権能を駆使する吹越は、ふところから嘯吹面うそふきめんを取り出しそのウキウキ顔に被せる。

 そして新たな三密加持に取り掛かった。


 両手を軽く握り親指の爪と人差し指の爪の先端を合わせる。

 左拳は伏せ、右拳のてのひらを顔に向けるは金剛薩埵印さったいん

『――オン・バサラ・サトバ・アク――』と真言マントラを唱え、金剛薩埵こんごうさった豪剣法ごうけんほうを成立させた。


 金剛薩埵・豪剣法は武器錬成術式だが、嘯吹は三鈷杵さんこしょなどを所持していない。

 只、凍った水面をそれは軽やかに滑り始める。


「滑るの楽しいぷ~ん。

 そーれ、ぷぷんぷ~ん♪」


 この滑りの秘密は嘯吹の履いている靴に有る。

 嘯吹は金剛薩埵・豪剣法を用い、靴底に金属製の板を生成。

 即席でスケート靴を仕立てたのだ。


 更には両拳に金属製の手甲てっこう

 豪剣法ならぬ剛拳法と云った所か。


 よほど楽しいのだろう。

 競技レースで見せたスコーピオンターンの姿勢でクルクル回転スピンし始める嘯吹。

 然も回転スピンし乍ら移動すると、彼周辺の水面が瞬く間に凍って行く。


 嘯吹の経路コース周回により、競技水面全域が銀盤スケートリンクへと様変わりした。

 これにより〈水棲の黒い仔山羊ダークサルガッソー〉の触手は銀盤スケートリンク下に封じ込められたが、瑠璃家宮にとっては水中に飛び込んでいる〈ダゴン益男〉と分断された形に。


 嘯吹が仕事をしている最中、職員待機区画スタッフエリアで特異な行動を取る作業員達が居る。

 彼らは〈深き者共ディープワンズ〉の死体を袋に詰めて回っていた。

 それも〈鰐頭人ペトスーチ〉が暴れる直ぐそばで、である。


 怪しんだ瑠璃家宮は神力しんりきを開放。

 自身の両手指を触手に変化させた。

 触手先端は漏斗ろうと状の器官で、そこから石炭乾溜液コールタールのような性質を持つ黒い粘性液体が発射される。


 作業員達が障壁バリアを張ると、粘性液体はそのまま硬化し固体へと変化。

 その攻撃で守宮の正体を見抜いた彼らは、自身を体現する面を取り出し被る。

 蝉丸せみまるおきなだった。


 蝉丸が宮森の顔をした瑠璃家宮に契約を持ち掛ける。


「貴方、宮森さんではありませんね。

 もしや……瑠璃家宮 殿下ですか?

 早速ですが、僕と契約しましょう」


「契約とやらに興味は無い。

 しかして蝉丸よ。

 其方にはあの男の面影が在るな……」


 蝉丸は目前の地味男じみおを瑠璃家宮と断定。

 彼の嫌味は無視し、好奇心旺盛な翁に釘を刺す。


「翁さん。

 いつものクセ、出さないで下さいよ」


「ウ~ン、瑠璃家宮 殿下ノ体細胞ガ欲シイノハ山々デスガ……。

 仕方アリマセン。

 今日ノ所ハ引キ揚ゲマショウ」

 

 再び〈鰐頭人ペトスーチ〉の鎖鋸チェーンソーが唸り始めると、翁と蝉丸は戦利品を入れた袋を担ぎ走り出した。

 瑠璃家宮が触手を伸ばすが、〈鰐頭人ペトスーチ〉の鎖鋸チェーンソーがそれを阻む。


 銃器を装備していない今、瑠璃家宮は外法衆にまで手が回らない。


⦅ここ迄の侵入を許すとはな。

 早急さっきゅうに警備体制の引き締めを図らねばならん……⦆


 瑠璃家宮は先程と同じく触手先端から墨を吐き、〈鰐頭人ペトスーチ〉の動きを止めに掛かる。

 相手に付着した墨は直ぐに固まったが、〈鰐頭人ペトスーチ〉の怪力はそれをものともしない。

 それどころか、鎖鋸チェーンソーを振りかざして邁進まいしんして来た――。





 ザ・ランブルクリーチャー その二 了

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