〈深き者共〉競艇 その八

 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場





 準決勝進出者とその曳行〈深き者共ディープワンズ〉達が帰った後、職員待機区画スタッフエリアにはふたりの作業員が居残っている。


 彼らは処刑の後片付けの為、甲板刷子デッキブラシでこびり付いた肉片や血糊ちのりなどをこそぎ落としていた。

 清掃が終わると、各種廃棄物の入った袋を施設内部へと運ぶ。


 若年作業員が生ゴミを捨てようとゴミ箱のふたを開けると、箱がかすかに震えた。

 そしてゴミ箱の扉が独りでに開き、生ゴミとも違う悪臭が湧き出る。


 その原因は、ゴミ箱の中にくずおれている白髪の屍体……。

 

 屍体はさも当然の如く立ち上がって辺りを見回し、壮年作業員へとその口腔を開いた。


「お主の要望通り用意できたぞ。

 受け取れ」


 その屍体は次元孔ポータルを展開し、人間型のナニかを転移させる。

 そのナニかは『グルルルル……』と唸り、縦長の瞳孔を見開いた。


 その様に満足したのか、壮年作業員が屍体に礼を述べる。


「オオ、〈鰐頭人ペトスーチ〉デハナイデスカ!

 有リ難ウ御座イマス。

 流石ハ播衛門サンデスネ。

 使用上ノ注意ヲ御聞キシテモ?」


「今は暗示を掛けて大人しくしてあるで、使う段になれば解けば良い。

 注意が必要なのはこっちじゃ」


 屍体こと〈白髪の食屍鬼グール比星ひぼし 播衛門ばんえもんは、乾燥した海藻のようなモノを壮年作業員へと手渡す。


 ソレは葉に当たるだろう部分が赤褐色せきかっしょくで、根っ子と思われる部分は黒褐色の色合い。


 若年作業員が播衛門に質問した。


「播衛門さん、コレはいったい?」


「コレはな、〈黒い仔山羊こやぎ〉じゃよ。

 それも水棲のな」


「良く見付かりましたね……」


「家族総出で探したんじゃぞ。

 もっと礼を言ってくれてええわい。

 それよりお主、今は目をつぶっておらんの。

 何故じゃ?」


「今は隠形法を最大限に駆使しなければなりませんからね。

 念の為です」


 ここで壮年作業員が会話に割り込んだ。


「播衛門サン〈水棲ノ黒イ仔山羊〉ノ注意点トハ何デス?」


「見付けるのに手一杯で調教が済んどらん。

 それにの、こ奴は主に有機物で成長するが海ではちと大きくなり過ぎるきらいがあってな。

 限度を決めんと、この水溜り(競艇会場)ぐらいはあっと云う間に覆い尽くすぞ。

 最悪、潜入しておるあ奴らにも被害が出るやも知れぬ。

 おきなよ、どうするね?」


攪乱かくらん要員トシテハ申シ分アリマセン。

 処分スルノハ惜シイデスガ彼女ラモ腕利キ。

 自分達デ何トカスルデショウ……」


「では、儂はこれにて失礼する。

 直接手を貸すと宗磨そうま五月蠅うるさいでの。

 おっと、これは貰って行く……」


 播衛門は廃棄物の入った袋を誇らしげにかかげると、ゴミ箱の底に次元孔ポータルを展開して沈むように消えて行った。


 その様子を見届けたふたりは丁寧にゴミ箱の扉を閉め、贈りモノの設置作業に取り掛かる――。





 最終日



 競技レースは午後からの為、午前中は予行演習に当てられた。

 只、一昨日以上の強風と大潮による水面上昇で転覆が続出する。

 主催者側からしたら失格者続出での決着は避けたい所らしく、競技顧問アドバイザーが各人に脅し交じりで注意喚起していた。


 そして午後、準決勝第一戦に出場する伊藤が係留所ピットへと入る。

 他の顔ぶれはこうだ。


 一枠の吉本よしもとは一着を経験しておらず地味な成績での参加となるが、曳行〈深き者共ディープワンズ〉が伊藤の元相棒である三好。

 伊藤の考案した『ヨシノボリモンキーターン』を駆使して来る事は明白。


 二枠は、貴賓達から『水上の曲芸師』とのふたを付けられた吹越。

 今競技レースはどのような技を披露して来るのか。


 三枠は元船乗りの勝俣。

 曳行するかつお型〈深き者共ディープワンズ〉との相性もさる事ながら、風と潮の的確な読みで勝利を狙う。


 四枠は補欠戦上がりで、選手と曳行〈深き者共ディープワンズ〉共に特筆すべき事柄は無い。

 五枠は伊藤。


 六枠は予選での獲得賞金額一位の梶原。

 貴賓達に『捲り王』との二つ名を付けられた彼は、今回もいさぎよ外側経路アウトコース一本。


 美貌の女性レーサー玉島と火の玉レディース若本、八百長要員の守宮は次戦での出場となる。


 伊藤の搭乗する艇とケーブルで結ばれる大槻。

 大海への脱出を期したその様は、一蓮托生いちれんたくしょう字面じづらそのものだ。


 係員が号砲スターターピストルを鳴らすと、各艇が係留所ピットを離れ小回り防止浮標ブイに密集する。

 伊藤 達の本音は六枠での開始スタートだったが、枠なり進入に妥協だきょうした。


 いま係留所ピットには〈深き者共ディープワンズ〉の長たる〈ダゴン益男〉と、競技の見張り番たる守宮が居るからである。

 不自然な動きをして注目されるのは避けたいだろうし、何よりアウト屋の梶原が譲らないだろう。


 大時計が開始スタート一分前を告げると各艇が進み始めた。

 外側経路アウトコースの四、五、六号艇は急加速。

 内側経路インコースの一、二、三号艇は緩やかに加速し開始スタート


 一、二、三号艇が団子状態で第一旋回目印ターンマークに殺到する中、六号艇の梶原は全速で捲りを掛ける。

 それが可能なのも、梶原は体重が重く艇が安定しているからだ。


 四号艇は遅れ、五号艇の伊藤は更に遅れる。

 但し、この展開は伊藤 達にとって想定内だ。


 内側経路インコースでは熾烈な旋回ターン合戦。

 二号艇の勝俣は的確な操艇で差しを狙い、一号艇の吉田は例の如くヨシノボリモンキーターン。

 しかし、一歩先んじたのは吹越だった。


 吹越はあろうことか、自身の左足を後ろに振り上げ頭上に回したのである。

 尻尾を振りかざさそりの如き動作で重心が艇首へと移動し、他の艇が出す引き波を押さえ付けたのだ。

 吹越の取ったこの動作、後の競艇では『スコーピオンターン』と呼ばれている。


 第一旋回目印ターンマークの攻防を制したのは、水上の曲芸師 吹越。

 それを追うは、モンキーターン吉田と捲り王 梶原と云う構図。


 競技レースでの勝利からは取り残された伊藤 達だったが、彼らの勝負どころは違う。

 第二旋回目印ターンマークで予定している転覆がその呼び水となるか。


 伊藤は第二旋回目印ターンマークに差し掛かると、モンキーターン準備のため立ち上がった。

 他の艇は既に第二旋回目印ターンマークを回り切ろうとしていたので、観客や次戦の出場者は伊藤らの行動に気を留めない。


 伊藤が故意に均衡バランスを崩し艇を転覆させると、水中の大槻が装具ハーネスを脱ぎ、艇との繋がりを断ち切る。

 そして、係留所ピット奥に在る海側放水路へと急いだ。


 五号艇の転覆を確認した〈深き者共ディープワンズ〉作業員が伊藤をひっ捕らえに向かう。

 その時 伊藤の心臓は早鐘はやがねを打っていたが、別の理由で拍子リズムが跳ね上がった。


 水底みなそこから迫るナニかが視えたのである。


 伊藤は、自身を捕獲しようと近寄る〈深き者共ディープワンズ〉に警告した。


「おい!

 底の方からなんか上がってくる。

 でかい蜥蜴とかげみたいな頭をした奴だ!

 それと……海藻だ!

 昆布とか若芽わかめみたいなヤツも伸びてるぞ。

 どうなってん、だ……⁈」


 伊藤へと迫った〈深き者共ディープワンズ〉が、伸びて来た海藻もどきに四肢を絡め捕られる。

 するとデカい蜥蜴頭が身動き出来ない〈深き者共ディープワンズ〉の首にかぶり付き、グルグルと回転した。

 いわゆる死の回転デスロールである。


 程なくして、〈深き者共ディープワンズ〉の首無し死体が水面に浮かぶ事となった。


 伊藤が係留所ピットまで泳ぎ着こうと必死になる中、競技水面中央辺りから現れた海藻擬きは、いちじるしい速度で成長を続ける。

 それと呼応するかのように、デカい蜥蜴頭は悠々と観覧席スタンド下の職員待機区画スタッフエリアを目指した。


 その様子を観ていた海外からの貴賓のひとりが興奮して叫ぶ。


「競艇会場がサルガッソー海になった。

 おまけにわにも居るぞ!」





〈深き者共〉競艇 その八 了

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