泡沫の記憶 その十一

 一九一九年一一月 帝居 歓談室





 瑠璃家宮、多野 教授、益男が詰めていた歓談室に、息を切らした侍従が入って来た。


御寛おくつろぎのところ失礼します!

 瀬戸 様が御見えになり、殿下との会見を……」


「会見だと!

 その無礼者はどこにいる?」


 激した多野に侍従は目を白黒させたが、その背後から冷たいまなじりが覗いた。


 細く短い眉毛に薄い唇。

 見る者に酷薄な印象を与える痩せぎすの中背。


 瀬戸 宗磨である。


 登場早々に多野に詫びを入れる瀬戸。


「会見ではなく謁見えっけんでしたな。

 多野 教授、どうか御容赦下さい」


わざとやっておるくせに白々しらじらしい!」


 多野の怒りは収まりそうにないが、瀬戸は構わず続ける。


「これは瑠璃家宮 殿下、御機嫌うるわしゅう。

 早速ですが、維婁馬を引き取りに参りましたので御渡し願います」


 せっかちな瀬戸に着席を促す瑠璃家宮。


「瀬戸 殿、先ずは座ったらどうかね。

 話はそれからでも良かろう」


「時間が惜しい。

 このままで結構。

 で、維婁馬は地下の治療施設ですかな?」


 早く維婁馬を出せと言わんばかりの瀬戸の態度に、堪忍袋の緒が切れた多野。


「こ奴、まだ殿下に対して無礼を重ねるか。

 生きてここから出られると思うなよ!」


「多野 教授。

 私は上鳥居 本家の当主……調停者としてこの場に来たのですぞ。

 それに、私共は九頭竜会と契約を交わしたのです。

 いくら瑠璃家宮 殿下とて、維婁馬の独占は認められない」


「その殿下の御力で維婁馬 殿は生き永らえているのであろうが!」


「その事に異を唱える積もりはありません。

 ですが、この度の使は頂けませんな。

 その所為で維婁馬に発作が起こったのでしょう?」


 多野は言い返せず『ぐぬぬ……』と口をつぐむが、瑠璃家宮の舌端ぜったんに助けられる。


「確かにここ一年は宮司殿に負担を掛け過ぎた。

 発作が起こった事も言い逃れはせん。

 その代わりと言ってはなんだが、配下に協力を頼み今回の発作を収束させた。

 それでも足りぬと?」


「宮森 殿……でしたかな。

 その事には感謝しますが、そちらの占有期間が長過ぎるのも事実。

 調停者として明け渡しを要求しますが、いかがなされますか?」


 瀬戸のかたくなな態度に、仕込み杖の機能を持つ西洋杖ステッキに手を掛けた多野。


「かくなる上は!」


 多野が抜刀しようとするも、一向に腕を上げられない。

 そう、彼の右手は一瞬で瀬戸に抑えられたのである。


 多野の勇み足ならぬ勇み手に、やれやれと云った表情の瀬戸。


「最早これ迄。

 抵抗される御積もりのようだが、コレを見ても強がっていられますかな?」


 瀬戸は多野の手を抑えたまま、自身の霊力を開放する。


『ブゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンン……』


 観覧室内全域に振動が鳴り渡った。


 振動が幾重にも重なるその様は、多数の次元孔ポータルが展開されている事の証。

 次元孔ポータルが人間大の寸法サイズにまで広がると、そこから帝国陸軍の軍服を着た者達が次々と姿を現した。


 それに伴い、益男が水刃ハイドロブレードを展開して臨戦態勢を取る。


 彼らは皆、面を着けていた。


 中将ちゅうじょう面、嘯吹うそふき面、おうな面、おきな面、蝉丸せみまる面、橋姫はしひめ面、赤狐しゃっこ面、玉藻前たまものまえ面。


 彼らは順番に瑠璃家宮 達へと挨拶する。


 静かに益男を見詰める中将。


「権田 益男、外吮山以来だな。

 早く妻を呼べ」


 どう云うやり方かは判然としないが、天井に引っ付く嘯吹。


「豪華な部屋だぷ~ん。

 なんかいけ好かないぷ~ん」


 腰をトントンと叩いて出て来た媼。


「よっこらしょっ……と。

 あ~、次元孔の振動は腰に効くね~」


 丁寧に辞儀をする翁。


「皆サン初メマシテ。

 所デ益男サン、ソノ素晴ラシイ身体ヲ解剖サセテハ頂ケナイデショウカ?

 瑠璃家宮 殿下デモイイデスヨ?」


 相変わらずエンマダイオウを連れている蝉丸。


「お久しぶりです。

 ここは一つ、平和的に解決しようではありませんか」


『今すぐ思念書しねんしょ用意するさかい、待っとってや』


 部屋を落ち着きなく走り回る橋姫。


「よばれてとびでてジャジャジャジャーン!

 ぷり……じゃなかった、ハシヒメさんじょう!」


 テーブルに行儀悪く足を掛ける気狐。


「この前は随分と可愛がってくれたじゃねーか……って、蔵主の変態はどこ行きやがった?

 師匠の前だ。

 キッチリ落とし前付けさせてやるぜ!」


 面の奥に嫣然えんぜんとした笑みを想起させる玉藻。


「いま闘っても勝ち目は無いぞ。

 瑠璃家宮、はよう降参せい」


 外法衆正隊員達の現出に、先程まで気炎を上げていた多野も急に大人しくなる。

 そこへ追い打ちを掛けるかのように、更に次元孔ポータルが開いた。


 そこから出て来たのは、大悪尉面おおあくじょうめんの男。

 黒い長髪と、同じく黒い顎髭あごひげが胸の辺りまで伸びているのが特徴的である。


[註*大悪尉面おおあくじょうめん=能楽では異国の神を表現する面。

『悪』とは強く猛々たけだけしい、存在の大きな、などの意味。

 彫りが深くゲルマン系の顔立ちが特徴]


 その大悪尉が口を開いた。


「外法衆先代隊長の大悪尉である。

 ロシアでの任務を終え戻った次第。

 今日は顔見せ程度にと思ったが……やるのかね?」


 大悪尉から放たれる存在感に気圧される瑠璃家宮 一派。

 ロマノフ王朝を滅亡に追いやった実力は本物のようで、流石の瑠璃家宮もたじろぐ程。


 大悪尉は何の積もりか、被っていた面を外す。

 そこには、面と同様に彫りの深い顔が覗いた。


 灰色の瞳をきらめかせ、大悪尉が大言たいげんする。


「私はこの国の生まれではないからな。

 元から目立つ故、素顔を晒しても問題にはなるまい」


 自信たっぷりに正体を明かす大悪尉に、多野が苦々し気に彼の名を呟く。


「貴様はもしや、【グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン】⁈

 遂にここまで来よったか……」


 本名を言い当てられても、動じるどころか余裕さえ漂わせる大悪尉ことラスプーチン。


 ラスプーチンの余裕が伝染したかの如く、瀬戸は小振りな次元孔ポータルを展開する。

 そこから現れたのは、痩男面やせおとこめん


[註*痩男面やせおとこめん=怨霊を表す面の一種。

 頬骨が高く眼は落ちくぼみ、憔悴しょうすいした表情をしている]


 瀬戸は痩男面を装着し、壮語した。


「これ以上 維婁馬の引き渡しを拒む御積もりならば、外法衆正隊員の【痩男やせおとこ】として御相手する。

 宜しいか?」


 瀬戸の外法衆宣言に、多野はおろか瑠璃家宮も憤慨する。


「其方は余を裏切るのか?」


いな

 これは裏切りにあらず。

 上鳥居 家に不干渉であるなら、私から仕掛ける事はない。

 維婁馬の命を救ってくれた事には感謝するが、こちらも調停の任が有る。

 取り決めには従って頂こう」


 瑠璃家宮は明らかな不利を悟り、多野と益男に目配めくばせして刃を収めさせた。

 そして益男に命じる。


「瀬戸 殿を宮司殿の所まで案内せよ」


 瑠璃家宮の言葉を聞いた瀬戸は次元孔ポータルを展開。

 外法衆の面々を転送し始めた。


 無言で立ち去る中将。


「……」


 自身の興味を優先する嘯吹。


「ここつまんないぷ~ん。

 翁の研究所に跳ばしてくれぷ~ん」


 戻る時も腰をトントンと叩く媼。


「お茶ぐらい飲みたかったんだけどね~」


 相変わらす解剖に拘る翁。


「皆サン、ソノ素晴ラシイ身体ヲ大切ニ。

 解剖志願ハイツデモ受ケ付ケテイマスヨ」


 自慢の文房具を披露できず、残念がる蝉丸とエンマダイオウ。


「仕方ありません。

 契約は又の機会としましょう」


『なんや、結局元のさやかい。

 修正液使いたかったわ~』


 走り疲れたのか、文句を垂れる橋姫。


「ねーキコー、このひとたちのおはなしつまんないからおやつちょうだーい」


 いつもの如くツッコミを入れる気狐。


「だからなんでオレなんだよ!」


 艶然えんぜんとした口ぶりで別れを告げる玉藻。


「ふふふ。

 次はわらわも楽しみたいゆえ歓待を期待する。

 では、また逢おうぞ」


 滑るように背後の次元孔ポータルへと消えるラスプーチン。


「私が来たからにはお前達の好きにはさせん。

 今日の所はこれで引き上げるが、覚悟せよ……」



 外法衆達がこの場から去ると、瀬戸は益男へと当て付けるように次元孔ポータルを展開する。

 行き先は地下の集中治療室らしい。


 瀬戸に先んじて次元孔ポータルへと足を踏み入れる益男が、皮肉たっぷりに礼を言う。


「わざわざ次元孔まで展開して頂き誠に有り難う御座います。

 それにしても、宮司殿が作ったものより揺れますな」


 益男の皮肉を無視した瀬戸は、面を外し瑠璃家宮 達に頭を下げる。

 明らかに慇懃無礼いんぎんぶれいな態度だったが、多野は怒る気力も失せ瀬戸を見送った。





 一九一九年一一月 帝居地下 集中治療室





 宮森と澄が精神世界に入る前は蒼顔だった維婁馬。

 薬が効いたようで、白面の今日一郎になっている。


 念の為に未だ鉄の肺で寝かされていた今日一郎だったが、集中治療室に転移して来た瀬戸の指示で間もなく解放された。


 瀬戸は今日一郎を受け持っていた看護婦に衣服などの日用品を準備させ、頼子からはメトヘモグロビン血症の治療薬であるメチレンブルーを受け取る。


 頼子 達医療班に礼を言う瀬戸。


「この度は甥を救って貰い感謝する。

 で、澄 殿はまだ眠っておられるのか?」


「はい。

 今回助力を申し出て下さった方も同様です」


「御ふたりへの礼は又の機会としよう。

 では、私はこれで……」


 医療班の目前で次元孔ポータルを展開した瀬戸は、今日一郎と彼の日用品が纏められた袋と共に次元孔ポータルへと消える。


 その際彼は、播衛門を彷彿ほうふつとさせる醜怪な笑みを浮かべていた――。





 泡沫の記憶 その十一 了

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