泡沫の記憶 その十

 一九一九年一一月 上鳥居 維婁馬の幻夢界





 十一景目――。



 琳は元々虚弱だったが、産後の肥立ひだちは極めて良好だった。

 それもその筈、薬売りからもたらされた生薬しょうやくを服用していたし、例の食材も口にしていたのだから。


 黙々と食を進める姶葉。

 嬉々としてかっ喰らう猶。

 ちゅうちゅうと乳を吸う維婁馬。

 泣く泣く息子……だったモノをみ続ける琳。


 壊れかけの家族が共にする食事風景。

 どこまでも哀切あいせつで、滑稽こっけいで、平和で。


 琳は贖罪しょくざいの為、食材囲瑳那を召すしかなかった。

 そして食材囲瑳那は、琳の母乳を通して維婁馬へと至る。


 名実共に、双子は一つとなったのだ――。


 その後はまた空間が歪み、屋敷外の風景へと変わる。



 十二景目――。



 そこには、風呂敷包みを抱えた琳の姿が在った。

 彼女は風呂敷包みを地面に置くと、円匙えんし(シャベル)でそこらを掘り返す。


 ある程度土砂が溜まると、琳は風呂敷包みに土砂を被せ始めた。

 そして、盛り土を整え始める。


 琳の作業を観て、これまで黙っていた宮森がひとちた。


「比星 家跡にあった塚は、彼の……」


 宮森は問うた訳ではないが、答える澄。


「そう、囲瑳那の……骨を収めていました。

 あなた方が今日一郎……と維婁馬を取り戻しに来られる少し前、わたしが掘り返したのです……」


「そう、だったのですか……」


 宮森らが外吮山に立ち入った際、比星 家屋敷跡で小振りな土饅頭どまんじゅうを見付ける。

 その土饅頭には稚拙ちせつな掘削作業の痕跡が有ったが、それは澄によるものだった訳だ。


 外法衆襲撃の際、澄が大事に抱えていた風呂敷包みの小箱。

 あれこそが、囲瑳那の遺骨だったのである。


 正気を取り戻した維婁馬に宮森が質問した。


「播衛門さんは君を頂点……王にすると言っていたけど、心当たりは有るかい?」


「今の所はだが、幻魔を召喚する能力の事を言っているのは間違いないと思う」


「幻魔か。

〈食屍鬼〉を始めとした、人間の見る夢の世界に巣食う化け物……。

 その化け物を、君が召喚すると云うのか?」


「はっきりした事は判らないが、多分そうなんだろう」


 自身にも理解が及ばない事象にいらつき、ぶっきらぼうに答えた維婁馬。


 思わず弁解する澄。


「脱魂です。

 維婁馬が脱魂し意識を失っている間に、何やら良からぬ事が行なわれているのだと思います……」


「……確かに、播衛門さんが〈食屍鬼〉として姿を表してから幻魔達が物質界に現れ始めました。

 ですが、それ以前も維婁馬の脱魂は有ったんですよね?」


「……ありました」


「となると怪しいのは……上鳥居 本家当主の瀬戸 宗磨になる」


 瀬戸の名前が出た所で、溜息ためいきをつく澄。


「確かに宗磨さんはわたし共に良くして下さいましたが、それも維婁馬を利用しようとしての事。

 あの方も父と同じ穴のむじなでしょう」


「そうですか……。

 残念ながら、帝都は数年以内に大災害に襲われる事が確定しているのです。

 九頭竜会に身を寄せているうちは大丈夫でしょうが、組織から抜けるとなるとその保証も失われます。

 維婁馬が使用している薬の事もありますし、どうすればいいのか……」


 宮森の相談には維婁馬が答える。


「薬の事はいま言っても詮無せんない事だ。

 それより、宮森さんは幹部に昇格したんだろ。

 帝都を襲う災害含め、瑠璃家宮の許で出来るだけ情報を集めて欲しい。

 僕と母さんは、これから大昇帝 派のふところに入る事になるだろう」


「大昇帝 派の懐だって⁈

 それはいったい……」


「祖父……父と瀬戸の結んだ契約は、九頭竜会全体との契約。

 瑠璃家宮 派だけにの力を提供するものではない。

 去年から今年に掛けて主に今日一郎が瑠璃家宮 派に貢献したから、次は大昇帝 派の番と云う事だよ。

 その際は、十中八九幻魔召喚に駆り出されると思う。

 そしてそこには、父がいる筈だ」


「虎穴にらずんば虎子を得ず、か。

 君達が上手く播衛門さんと接触できればいいんだけど……」


「それをいま心配しても仕方ない。

 宮森さんの方は、幻魔退治で忙しくなるだろう。

 宜しく頼む」


「そんな~」


 維婁馬の依頼にヘナヘナとフラつく宮森だったが、緊迫した面持ちで宣告する澄。


「会話中申し訳ありませんが、これから力をお借りします」


「え?

 維婁馬に巣食う幻魔はもう倒したんじゃ……」


「倒しはしましたが、維婁馬が邪念に触れるたび何度でも幻魔はやって来ます。

 それを抑えるには、宮森さんの霊的特質……『持衰』が必要なのです」


「まだ終わってなかったのか……。

 解りました。

 やって下さい!」


 宮森が覚悟を決めると、維婁馬から虹色の球体が突如として飛び出した。


 澄が宮森に指示する。


「宮森さん、あの泡があなたの許へ行きます。

 恐れずに集中して下さい!」


「恐れるなと言われても……」


 虹色の球体が宮森へと群がる。


「ゔ⁉

 くっ、臭い!」


 虹色の球体が放つ圧倒的な臭気と波動に気圧され、平常心を保つ事が出来ない宮森。

 精神を侵食され、今にも邪神の真名を認識しそうになる。


 澄が宮森の安否を願って祈り、片や背中を押す維婁馬。


「大丈夫だ。

 貴方には以前、明日二郎が緊急停止装置を組み込んでいる筈。

 邪神の真名を認識して呼んでしまう事はない」


「……ア、ス、ジロウ。

 あす、じろう……。

 明日二郎!」


 維婁馬を通して溢れ出た邪霊を宮森が認識し掛けた時、緊急停止装置が発動した。


 虹色の球体に侵される寸前だった精神が正常を取り戻し、強い意志で奮い立つ。

 邪霊に対抗せんと胆力と知恵を振り絞る宮森。


「くそっ。

 邪霊の力が強過ぎてどうしても侵食を許してしまう。

 どうにかしないと……。

 そうだ、〈ミ゠ゴ〉の力を使えば!」


 宮森の右眼が黄土色に輝いたかと思うと、虹色の球体が透け始める。

 定着を許す者が居ない為、その力を維持できないのだ。


「はは……ヰェルクェニッキ…………その場の……ヰェルクェニッキ……思い付き。

 にしては……上手く、ヰェルクェニッキ……いった。

 ぞ……ヰェルクェニッキ。

 邪念と……ヰェルクェニッキ…………定着対象……ヰェルクェニッキ……を探知。

 出来ず……魔空界、ヰェルクェニッキ……に戻っ。

 たな……ヰェルクェニッキ」


 そして、虹色の球体が完全に消滅する。


 その様子を見ていた親子が喝采かっさいを送った。


「宮森さん。

 息子を救って頂き、本当にありがとうございます……」


「まさか、〈ミ゠ゴ〉を活性化させて自分自身を精神支配するとはね。

 その類稀たぐいまれなる機転が、僕達を救ってくれたのだろうな……」


「はは……。

 お褒めに与るとは光栄の至りだけど、維婁馬の辛さは身に染みたよ。

 九頭竜会が手を付けられない訳だ。

 それに、力を使い過ぎた所為か、疲れた、よ……」


 その場で膝から崩れ落ちた宮森。

 彼の姿も透け始めている。


 澄が維婁馬に言葉を掛けた。


「時間が来たようですね。

 わたしは宮森さんを連れて出ます。

 また離れ離れになるかも知れないけど……。

 坊やは強いもの、我慢できるわね?」


「ああ。

 父を滅するまで僕は死ねない。

 それに、今は心強い味方がいる」


 上鳥居に憑いた邪霊の害毒を阻む存在、宮森 遼一。

 彼を視る維婁馬の眼差しには、これまで抱いていた諦観ていかんと憎悪の他に、明朗さと希望も増し加えられたように見える。


 それに反して澄の双眸そうぼうには、宮森に対してのやましさと、深い悔恨がたたえられていた――。





 一九一九年一一月 帝居地下 治療施設





 看護婦が見守る中、澄が目を覚ます。

 彼女が時計に目を遣ると、精神侵入から既に六時間が経過していた。


 隣の寝台ベッドでは宮森が寝息を立てている。

 ふたりは最初車輪付き簡易寝台ストレッチャーで集中治療室に運ばれた筈だが、維婁馬が回復した事で一般病室へと移された。


 澄の目覚めに気付いた看護婦……頼子が具合を尋ねる。


「澄さん、お加減はいかがですか?」


「大丈夫、です。

 宮森さんは……」


「まだお目覚めになってはおりませんが、医師の見解では異常なしとの事です」


「そうですか。

 では、息子は今どこに?」


 頼子は言いよどんだが、ここで隠しても仕方ないと顛末てんまつを話す。


「実は、四時間ほど前に瀬戸 宗磨 殿がいらっしゃいました。

 その際は殿下達と衝突なされ……。

 もちろん今日一郎 様は無事ですのでご安心下さい」


「連れて行かれた……のですね?」


「……はい」


 どうやら、上鳥居 本家の瀬戸 宗磨が帝居へと乗り込んで来たらしかった。





 泡沫の記憶 その十 了

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