泡沫の記憶 その九

 一九一九年一一月 上鳥居 維婁馬の幻夢界





 親子から衝撃の告白がもたらされると、その場の景色が又も歪み暗転する。

 轟々と渦巻く色彩が収まると、そこは比星 家の座敷。



 十景目――。



 座敷中央には布団が敷かれており、そばには多数の手拭てぬぐいと湯の張ったたらいが用意されている。

 敷布団に仰向けの姿勢で寝ている琳は、着物をはだけさせ苦し気にうめいていた。

 彼女の華奢きゃしゃな身体に不釣り合いなほど膨れた腹は、多胎である事を如実に表す。


 琳の足元には、彼女の面影が有る女性が待機していた。

 彼女の母である紗依……上鳥居 姶葉である。


 姶葉は娘の手を取り、『さあ、息んで!』などと助言していた。

 布団が濡れている事から、既に破水している事は明白。


 琳は顔中に玉の汗を浮かべ、自身に宿った新たな命を切り離そうと死力を尽くした。

 たとえそれが、父親との不義の子であっても。


 姶葉の助言で琳の呼吸が短息たんそく呼吸に切り替わると、間もなくして第一子が誕生する。

 只、その嬰児えいじは赤子ならぬ蒼子あおこ


 姶葉は蒼子を手早く取り上げた。

 臍帯さいたいが付いたままだが、体温を下げないよう手拭いでくるむ。


 第一子が誕生したにもかかわらず琳の腹は膨れたまま。

 彼女の胎には、もうひとりいる。


 琳は陣痛に苦しみ乍らも短息呼吸繰り返し、続けてもう一子を出産した。

 第二子も姶葉が直ぐに取り上げるが……何故か彼女の表情が硬い。


 出産を終えた琳が放心状態になる中、斎服姿の猶が直刀型の祭器を携え座敷に入る。

 彼は半紙を幾つか握っており、先ずは産まれた嬰児を見遣みやった。


 満足そうな笑みを浮かべた猶は、二枚の半紙を選び琳の枕元で掲げる。

 半紙にはこうあった。


 ――『維婁馬』、【囲瑳那いさな】。


 僅かに顔をほころばせた琳は、落ち着いて後産あとざんをこなす。


 まだ臍帯の付いた嬰児を姶葉から受け取った琳。

 冴えない母の表情が気になり我が子の姿を観ると、赤子ではなく、蒼子だった。



 ――淡子あわこ……。



 もしや死んでいるのか⁈ と慌てた琳は、蒼子の口元に耳を寄せ呼吸を確認する。

 呼吸はしているようだが、嬰児の蒼い肌が気が気でないようだ。


 そこへ医者でもある猶が意見を述べる。


「心配せずとも良い。

 肌が蒼いだけで他は健康じゃ。

 維婁馬と名付ける」


 自身の娘を犯したばかりか、孕ませた末に産ませた悪鬼。

 その悪鬼がニコニコ顔で息子を見ているのに耐えられなくなったのか、琳は双子の片割れを見せてくれるよう姶葉に求めた。


 姶葉は維婁馬の片割れを手拭いにはくるまず、湯に入れたまま盥ごと琳の枕元へ持って行く。

 姶葉の表情は硬い……を通り越し凍っていた。


 若しや死産か? と勘繰かんぐった琳。

 しかし姶葉に抱き抱えられたのが蒼子ではなく赤子だと判り、ほっと胸を撫で下ろす。


 そこで笑みを浮かべた猶が、意味深げに赤子の名を告げた。


「維婁馬の弟の囲瑳那じゃ。

 琳、抱いてやれ」


 猶に言われるがまま囲瑳那を受け取った琳は、赤子の姿を見るなり恐慌に陥った。


「な、何なの⁉

 は何なの⁈

 これが、囲瑳那?

 違う!

 こんな、蛙みたいな……。

 わたし……蛙の子を……産んだの?

 お父さん、おし、え、て……」


 猶がわらうと、彼の霊力が娘へと忍び込む……。



 足りない所は、ぎゅうひのようにぶよぶよとしていた。


 ――その嬰児は、蛙のようにのっぺりとした顔。


 とてもやわらかくて、ぐにゃぐにゃとしていた。


 ――その嬰児は、蛙のように目から上が無い。


 支えていると、あこやのように目玉が飛び出した。


 ――その嬰児は、蛙のように目玉が飛び出している。


 支えていると、だいふくのようにほら、桜色の餡が出て来た。



 ――蛭子ひるこ……。



 誕生した第二子、囲瑳那は……無頭児むとうじであった――。



[註*無頭児むとうじ=遺伝的奇形症の一つ。

 大脳半球が縮小、または欠損した症状。

 頭蓋骨が欠損している場合もあり、無頭蓋症むとうがいしょうとも呼ばれる]



 猶はにやけ面のまま、囲瑳那の顔を眺め言い放つ。


福子ふくごじゃ、福子じゃ~。

 これで上鳥居 家は安泰。

 ゆくゆくは、我らをおとしめた者達をも出し抜いて見せようぞ!」


 自らの野望を語る猶の傍らで、琳は茫然自失のてい

 身体に力が入らず、虚ろな目で宙を見詰めるだけだ。


 琳は囲瑳那を抱くのを止め、枕元にある盥に沈める。

 彼女の眼に光は無く、長さの違う両腕だけに力が籠っていた。


 まだ臍帯が繋がっているため肺呼吸をしていないのか、湯の中でも囲瑳那は苦しむ素振りを見せない。



 ――蛙だ。


 少し揺すぶってやると、舌を出す。


 ――おたまじゃくしだ。


 盥の底に押し付けると、眼球が零れ出る。


 ――卵だ。


 手応えの無い頭を潰すと、耳から出来損ないの脳がひり出される。


 琳が我に返った時にはもう、盥は黄泉であった――。



「いっ……いやあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」


 我が子を殺めてしまい絶叫する琳とは対照的に、益々上機嫌な猶。


 姶葉が維婁馬の臍帯を切断すると、彼は維婁馬を黄泉へと浸からせる。



 猶は、産まれ出た双子を祝った――。


「維婁馬よ。

 お前は全ての頂点、王になる定めじゃ。

 そして囲瑳那よ。

 お前の死が兄を護るのじゃ。

 儂の孫であり息子であるお前達はふたりでひとり。

 真の意味で一つになるのじゃ♪」



 ――身籠った子供の父親が、生まれた双子の片割れを……。



 祭器が発動し、独りでに抜刀されて行く。


 猶は懐から小刀を取り出し、抜く。


 祭器の刀身から凄まじい悪臭が放たれる。


 はその小刀で、囲瑳那息子の腹を裂く。


 座敷内に虹色の球体が満ち満ちて行く。


 血とはらわたが黄泉へと流れ出る。


 虹色の球体が贄に引き付けられる。


 姶葉は恭しくこうべを垂れ、維婁馬に産湯を使う。


 虹色の球体が維婁馬に触れる。


 姶葉は黄泉を掬い、維婁馬の唇へと運ぶ。



 そう、維婁馬が生まれて初めて口にしたのは母の乳ではなく、血を分けた双子の弟の、血だった――。



「わたしじゃない……。

 殺す気なんて……なかった……」


 気が動転し震えている琳を慰めるどころか、言葉で責めさいなむ猶。


「本当にそう言えるのか?

 その醜い赤子を愛せるのか?

 確かに囲瑳那は、手を尽くしたとしても息を引き取るじゃろう。

 いずれ死ぬのは仕方ないとしても、今すぐ消し去りたいとは思わなんだのか?

 早く楽にしてやりたい、とは微塵みじんも思わなんだのか?」


「違う……違う違う違う違う違う違う違うっ!

 わたしじゃないの……。

 腕が……勝手に……」


「ほっ!

 言うに事欠いて腕の所為じゃと?

 そんな戯言ざれごとほざいた所で、お前が息子を殺した罪は変わらんぞ。

 その血塗れの手でお前は維婁馬を抱き、乳を与え育てる。

 そして、維婁馬が成長した暁にお前は、となるのじゃ♥」


 猶の宿願が明らかにされ、場を狂気が支配する。



 琳は、双子を産んだ己を呪った――。





 出産後、姶葉は琳と維婁馬の世話を続ける。

 猶はと云うと、囲瑳那が浸かった盥を台所へと移し、遺体の解体を始めた。


 先ずは盥内に流れ出た各種臓物を、アルコール度数が四〇度以上になるまで蒸溜した特別製の焼酎に浸ける。

 腹や頭部を切開し摘出した物も同様だ。


 次は肉の処理に移る。

 全身の皮を剥ぎ脂肪を除去。

 骨と筋肉を繋いでいる腱を切断。

 骨から切り離された筋肉は、適当な大きさに切って味噌や醤油に漬け込む。


 骨に関する処理はこうだ。

 軟骨部分は切り出し、筋肉と同じく味噌漬けに。

 靭帯を切断すると、腱と共に金鑢かねやすりでこそぎ落とし醤油漬けに。


 肉削ぎが済んだ骨と皮は焼酎で洗い、その後日干しにする。

 盥に張ってある血混じりの湯は、一旦沸騰させた後で別瓶の焼酎に混ぜられた。


 これらは、翌日から比星 家の食卓に並ぶ事になる――。





 泡沫の記憶 その九 了

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