泡沫の記憶 その六

 一九一九年一一月 上鳥居 維婁馬の幻夢界





 息子をむしばむ幻魔の姿を認めた琳は、手ずから異形の芋虫を追い払おうと四苦八苦していた。

 しかし芋虫には触れる事が出来ず焦燥しょうそうつのる。


「うあああああぁぁぁ!

 どけぇっ、この化け物ぉぉぉぉ!」


 琳がいくら華奢きゃしゃな手を振りかざそうと空を切るばかりで、見かねた芋虫が精神感応テレパシーで琳に語り掛ける。


『あー、ムダムダ。

 オイラは実体化してないから触れないよ。

 これからコイツのココロ喰らうから邪魔しねーでちょーだい♪』


 芋虫の軽薄な悪意を吹き付けられた琳。

 彼女は生まれて初めて自身の破壊的な霊力を知覚し、この場で解き放った。


 すると、芋虫の体表に植わっている眼球へと霊力の矢が一斉に突き刺さる。


『ぎにゃああああぁぁっ⁈

 霊力で攻撃しやがって……。

 涼しい目元がダイナシだろうがあああああああああぁぁぁっ!』


 多くの眼球を失い満身創痍まんしんそういの芋虫。

 この場から逃げ出そうと、竈馬のそれに似た後脚に力を入れる。


 だが琳の方が速い。

 彼女は自身の霊力で大金槌スレッジハンマーを生成。

 維婁馬の脳内に逃げ込もうとする芋虫を叩き潰した。


 生まれて初めて霊力での武器生成を成した琳がその場にくずおれると、芋虫は消失し維婁馬も倒れる。

 そして、宙空に飾られていた猶の亡骸も磔刑たっけいから解放された。


 亡骸が地面に落ちると、林の影から忽然こつぜんと何者かが現れる。

 月明かりに照らされたその人物。

 容姿からして例の薬売りだ。


 薬売りは琳と維婁馬が意識不明なのを確かめると、左手を宙に掲げ次元孔ポータルを展開する。

 すると、猶の亡骸が独りでに次元孔ポータルへと吸い込まれて行った。


 胴体だけでなく、地面に垂れ流された臓物はおろか排泄物も全て吸い込み終えた所で次元孔ポータルは閉じる。

 その後、薬売りは琳と維婁馬を担ぎ山道を下って行った――。


 薬売りについて澄に問う宮森。


「澄さん、あの薬売りの男は?」


「あの方は上鳥居 本家の嫡男。

 ……いえ、今は当主になられたようですね。

 上鳥居としての名は存じませんが、市井しせいでは【瀬戸せと 宗磨そうま】と名乗られています」


「瀬戸、宗磨……。

 彼と澄さん達はその後……」


「屋敷へと運んで頂きました。

 その後は目が覚めるまで介抱かいほうして頂き、目覚めた後で維婁馬の状態を知らされたのです。

 そう、目覚めた維婁馬は以前とは違って……優しい子ではなくなっていた。

 そのあと瀬戸さんは帝都へと出向き色々と準備を……。

 わたしと維婁馬も旅支度を整え次第、帝都へと向かいました」


「なるほど。

 このあと九頭竜会の査察員が来て屋敷を捜索したのですね。

 で、目ぼしいモノは何も出なかったので蔵主ぞうす 地所じしょが屋敷を解体したと?」


「そうなります」


 澄が回答した後、泡が弾けては別の泡が膨張した。

 それと同時に空間が歪み、九つ目の舞台へと移る。



 九景目――。



 内装の白壁と近代的な医療設備は宮森にも覚えが有った。


「ここは、帝居地下の特別病室……」


 そう、いま宮森が寝泊まりしている場所だ。


 寝台で眠っている維婁馬の周りには、医師と看護婦の他、入院着の琳、瑠璃家宮、多野 教授、そして背広姿の若い男。


 その男は痩せぎすの中背で、眉毛が短く唇は薄く、細く鋭いまなじりは酷薄な印象を見る者に与えた。


 澄が男の正体を言及する。


「あの方が瀬戸 宗磨さんです。

 九頭竜会との調停役を請け負って下さいました」


 その瀬戸が瑠璃家宮に話を付けている。

 ただ維婁馬の治療を懇願すると云うよりは、彼の能力を売り込むと云ったていだ。


「……と云う事になります。

 その際必要な大昇帝 派との折衝せっしょうは御任せを。

 瑠璃家宮 殿下には直々じきじきに骨折って頂く分、優先的に協力させて頂きます。

 ではもう一度確認を。

 一族への介入は最低限として頂き、不戦の誓いを結ぶと云う事でよろしいですか?」


「……良かろう。

 余が直接施療する。

 澄 殿も良いな?」


 映像内の琳が躊躇ためらい乍らも首肯すると、彼女は維婁馬の隣にしつらえられた寝台に腰を下ろした。


 瀬戸が琳に言い含める。


「澄さん、貴方にはこれより維婁馬の精神へと潜って頂く。

 先程も説明したが、目的は幻魔の排撃。

 初めての事で不安だろうが、息子を思う気持ちが在るならやれる筈だ。

 首尾よく目的が達せられた後、殿下に御霊分けの術法を施して頂く。

 心して掛かられよ」


 瀬戸がき付けると、琳は横になり看護婦が布団を掛けた。

 間もなくして眠りに落ちる琳。


 宮森が澄に映像の補足を乞う。


「このとき澄さんは、維婁馬 君の精神に入ったのですね?」


「はい。

 維婁馬の精神に入り、そこに巣食っていた幻魔を無我夢中で倒しました。

 この時はまだ芋虫ほどの大きさだったのですが、一年前の発作で入った時には、仔犬ほどの大きさにまで成長していたのです。

 幻魔は人間の魄を喰らえば喰らうほど成長します。

 九頭竜会の儀式に連続で駆り出された今では……」


「更に大きくなっていると……」


 宮森が考察していると、映像では琳が目を覚ました。


 それを確認した瑠璃家宮が施療に入る。


「ではこれより御霊分けの術法に入る。

 多野 教授、後は頼むぞ……」


「はっ!

 御任せ下さい」


 瑠璃家宮が神力を開放すると、彼の手指が不自然にくねった。

 瑠璃家宮は維婁馬へと近寄り、触手に変容した指を維婁馬の鼻腔びこうへと差し入れる。


「な、何をなさるのですか⁈」


 取り乱した琳は寝台から離れようとするが、瀬戸に取り抑えられる。


 多野が琳に苦言を呈した。


「殿下は其方の息子を救おうとしておいでなのだぞ。

 その御業みわざを邪魔する事なぞ断じて許さん!」


 宮森 達が観ている映像からは判らないが、維婁馬の鼻腔に差し入れられた指が伸長して脳まで侵入し、右脳と左脳の中間に位置する松果体しょうかたいへと達した。

 そこで瑠璃家宮は松果体を通して維婁馬の魂魄こんぱくに介入。

 脳組織にも影響を与える電磁波を照射した。


 瑠璃家宮が維婁馬の鼻腔から指を抜き取ると、琳に向かって結果を報告する。


「処置は完了した。

 新たな人格が誕生した事で、幻魔の浸漬は遅らせられる筈。

 だが、旧神の呪いは相当根深い……。

 二つに分けた人格のうち、維婁馬 殿の方には症状が出続けるだろう。

 特に、澄 殿と一緒にいる間はな。

 我が子と離れるのは辛いだろうが、これからは離れて暮らして貰う」


「そんな……。

 維婁馬は、あの子は救われないのですか!」


「澄 殿、先ずは新たなる人格に名を付けよ。

 戸籍上の名は用意してあるのだろう?」


「はい……」


 この後 維婁馬はメチレンブルーの投与を受け、蒼顔から白面はくめんへと姿を変えた。


 そして、目覚める。


「おかあさん、どこいったの?

 おかあさん……」


「お母さんはここよ。

 ここに居るわ!」


 母が息子を抱きしめた。


「おかあさん、ぼく……」


「維婁……今日一郎。

 よく……頑張ったわね……」


 これが、比星 今日一郎 誕生の瞬間である――。





 泡沫の記憶 その六 了

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