泡沫の記憶 その五

 一九一九年一一月 上鳥居 維婁馬の幻夢界





 八景目――。



 ――くんくん。


 蘇生したてでやつれに窶れ、目も落ちくぼんでいた猶。

 彼は、直刀型の祭器さいきと維婁馬を次元孔ポータルから召喚する。


 今度は外吮山頂上中心に大振おおぶりな次元孔ポータルを開き、支石墓ドルメンを現出させた。


 ――ぺろぺろ。


 支石墓ドルメンが外吮山頂上中心に据え付けられると、猶は維婁馬に向け彼の出生を語る。


 ――ばくっ。


 維婁馬の祖母である姶葉が、猶の実の妹である事。

 姶葉と猶との娘が琳である事。

 そして、維婁馬が猶の孫でもあり、同時に息子でもある事を。


 ――むしゃむしゃ。


 人並外れた知能を有している維婁馬は、その事が何を意味するのか一瞬で悟った。


 ――もぐもぐ。


 維婁馬が絶望に打ちひしがれているそばで猶がわらうと、祭器の直刀が独りでに抜刀されて行く。


 ――ごくごく。


 直刀が支石墓ドルメン中心部まで浮遊すると、猶は祝詞を唱え始めた。



 ―― 仏丐んがい仏伽駕呀んががあー佛求ぶっぐ砠互具しょっごぐ怡叭婀いはー ――

 ―― 夜喰よぐ外於吮そとーす夜喰よぐ外於吮そとーすあい ――

 ―― 怡叭婀いはあ佛求ぶっぐ砠互具しょっごぐ仏伽駕呀んががあー仏丐んがい ――



 猶が祝詞を唱え終わると、支石墓ドルメン上に虹色の球体が出現。

 直刀を芯にして、直径一メートル程の円柱が形成される。

 猶が円柱に手を伸ばし引き出したソレは、宮森にも見覚えのあるモノ。


 ――ごっくん。


 ソレは維婁馬よりも若干低い背丈の……と云うよりも、と表現した方がしっくりくるだろう、


 ――げぷぅ。


 人間ヒトとは程遠い、化け物だった――。



 化け物の姿を見たふたりの反応は違う。


「明日二郎。

 やはり明日二郎だ……」


 宮森は安堵し、


「この幻魔さえ現れなければ……」


 澄は落胆する。


 その幻魔……明日二郎は猶の手引きで維婁馬へと飛び乗り、彼の左耳から脳内部に侵入した。


 維婁馬は白目をき、口からは泡を吹いて疾苦しっくしている。


「ああああぁぁあがががががぶっ……ぁあああががががっ……」


 映像とは云え、息子が目の前で苦悶している。

 助ける事も慰める事も叶わぬ澄は、口惜しさで胸も張り裂けんばかりだろう。


 維婁馬の苦悶が収まると、彼の顔が怒りに歪んだ。

 腹が立つ、気に障るなどと云う生易なまやさしい顔ではない。

 瞋恚しんにの籠った面相である。


 そう、維婁馬は魔空界から召喚された邪霊にはくを喰われ、幻魔をその身に宿したのだ――。


 映像中の維婁馬は宙に浮き、虹色の球体からなる円柱の中心……祭器を手に取る。

 維婁馬が猶へ祭器を向けると、猶が着せられていた死に装束の裾から黒いかたまりが落下した。

 猶が股間を抑えて苦しみ出すと、死に装束の裾からは人糞と細切れになった肉片が飛び出す。


「こ⁈

 こぼおおおおぉぉ!」


 維婁馬が用いた念動術サイコキネシスで、人糞と肉片を口に突っ込まれた猶が苦しみ出した。


 咽喉のどを塞がれた猶を睥睨へいげいし、維婁馬が言い放つ。


「自慢の玉と竿と糞を同時に詰め込まれた気分はどうだ?」


 猶が何か喋っているようだが、モゴモゴとくぐもり語句は判然としない。


「お前がこれまで僕や母さんになした所業の数々、誠に度しがたい。

 よって、死罪だ」


 維婁馬の双眸そうぼうが冷たく光ると、猶の体が宙に浮き大の字の姿勢で空中にはりつけにされた。


「はあぅあぅがっ⁈

 ああばゃあぁりゅぅぁぁぁぁぁぁがあぁぁ!」


 猶が激痛に悶えると、死に装束の裾からは肉色のつなが垂れ流され始める。


 手始めに太い綱。

 後からは細い綱。

 最後に袋。


 大腸。

 小腸。

 胃。


 猶の目前に次元孔ポータルが出現し、彼の体内に展開された次元孔ポータルから肉塊が次々と転移させられて来る。


 肝臓。

 膵臓すいぞう

 胆嚢たんのう

 腎臓。

 脾臓ひぞう


 猶が咽喉のどを詰まらすと、維婁馬は仕上げに掛かった。


 肺。

 心臓。


 臓器の殆どを体外に排出させられた猶は、自身頭上に頭部より少し大きい寸法サイズ次元孔ポータルを開く。


 辛うじて天を仰いだ猶の眼球は、何故か歓喜の光をたたえていた。


 眼球。

 脳。


 眼球と脳を猶の体外に転移させた維婁馬は、地に落ちた脳を念入りに踏みにじる。

 白和しらあえ用に潰された豆腐の如き脳に満足したのか、最後に眼球をゆっくりと踏み付ける維婁馬。


 濁った眼球がプジュッ……と音を立てて潰れると、猶が頭上に展開していた次元孔ポータルは役目を終えたかのように閉じられる。

 濁り切った眼球で猶が最期に何を見ていたのかは、遂ぞ判らず仕舞いだった――。


 ここまでの惨劇で、宮森は納得している。

 播衛門は病で亡くなったのではない。

 維婁馬により、処刑されたのだ。


 ここで、行方不明になった維婁馬を必死で探していた琳が外吮山頂上に到着する。


 ようやく維婁馬を見付けた琳は、心の底から安堵して息子を抱きしめた。


「坊や!

 こんな所に居たのね。

 良かった。

 生きていて良かった……」


 気持ちが落ち着くと、呆然ぼうぜんとしていた琳は辺りを警戒する。

 そして、月明かりに照らされたモノを視て言葉を失った。


 宙空に浮かぶ死に装束はたこの如し。

 死に装束を地上に繋ぎとめるように垂れている肉の綱は凧糸の如し。


 それらの下には、邪霊から滲み出る独特の悪臭に花を添える肉塊。

 そして、息子の耳孔じこうから聞こえる『こんばんは』の声。

 

 琳は恐慌に陥り、思わず息子から飛び退く。


 息子の耳孔から這い出て来たモノを認識した途端に嘔吐おうとする澄。



 その外形シルエットはまるで、西洋料理の食卓に並ぶ卵台エッグスタンドに、腹を剥き出しにして乗っかった疣跳虫いぼとびむしである。


 目、鼻、口、耳などの人間ヒトの顔や頭部に相当する器官は見当たらない。

 その代わりのもりなのか、ブヨブヨした膠質こうしつ(ゼラチン質)の体節には、おびただしい数の眼球が植わっていた。


 体表の前面には、人間ヒトの手を中途半端に真似たような胸脚きょうきゃく三対さんつい、その下部にはけいの太い腹脚ふくきゃくが四対ある。


 床との接地面エッグスタンドの部分とそれに近い体節だけは、甲虫や甲殻類の殻を彷彿とさせるキチン質組成。

 そこからは竈馬かまどうまのそれに似た、体格に対して余りにも大き過ぎる後脚こうきゃく一対いっつい生えていた。


 詰まり、化け物は逆関節の後脚で直立している格好。


 体表側面には、麹塵色きくじんいろ領巾ひれに似た触手が一面に突き出し、先端は唇状しんじょうになっていた。


 体色は半透明の灰桜色はいざくらいろ

 そこに青紫色の輪紋が満遍まんべんなく散る事で、毒々しさが増している。



 宮森も良く知る、明日二郎の姿。


 ソレは維婁馬の覚醒でもあり、猶が醸成した邪悪の継承でもあったのだ――。





 泡沫の記憶 その五 了

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