泡沫の記憶 その三

 一九一九年一一月 上鳥居 維婁馬の幻夢界





 澄の発言に、これまで明日二郎と苦楽を共にして来た宮森は驚きを隠せない。


「そんな⁈

 明日二郎は今日一郎の双子の弟ですよ。

 今日一郎 本人もそう言う筈です!」


「自らをむしばむ幻魔を、よりによって自分の弟に見立てていたなんて……。

 わたしは、気付いてあげられなかった……」


 半ば取り乱す澄に宮森も困惑してしまう。


「彼らと出会って以来、自分はずっと助けられて来ました。

 その明日二郎が、〈食屍鬼〉などと同じ幻魔ですって?

 どう云う事なのか説明して下さい」


「息子の精神に潜る前、宮森さんは息子の顔を観られたと思います」


「ええ。

 メトヘモグロビン血症の症状が出ていて、蒼かったですね」


「その蒼い顔の時の息子が維婁馬で、顔色が戻った時の息子が……今日一郎なのです」


「えっ⁈

 と云う事は、維婁馬と今日一郎は別人格と云う事なのですか?」


 宮森の問いに、澄は涙目になり乍らも答える。


「……維婁馬は生まれ付き蒼顔病そうがんびょう(遺伝性メトヘモグロビン血症)でしたが、顔色以外の問題はなく健康でした。

 しかし三年前に父が亡くなった後、重篤じゅうとくな発作が起きたのです」


「呼吸困難や激烈な頭痛、意識障害などですね。

 今日一郎……維婁馬 君が生存していると云う事は、それを乗り越えられたと言う事。

 いったいどうやったのです?」


「わたしは維婁馬の症状が、父から聞いていた『旧神きゅうしんの呪い』だと直観しました。

 近親者同士で交配すると、邪霊は深く定着します。

 同時に様々な病を生まれ乍らにして持ち、子をなしにくくもなります。

 そして行き着く先は、遺伝病による一族の断絶……」


「今日一郎が以前話してくれた内容に有りました。

 旧神と呼ばれる存在が、人間ヒトの身体に組み込んだ安全装置だそうですね」


 澄のまぶたは決壊し、き止められていた涙が溢れ出した。


「恐れていた呪いが、よりによって息子に降り掛かったのです。

 その呪いを何とかしようと……息子を何とか生かそうとして……わたしは、悪魔との取り引きに応じてしまった。

 九頭竜会に、助けを求めたのです……」


「どのような取り引きがあったのですか?」


「……簡潔に述べます。

 維婁馬が甚大な発作を起こしたのは、邪霊の定着が人間ヒトの限界を超えたからです。

 それを抑える為、九頭竜会は『御霊分みたまわけの術法』と云うものを維婁馬に施しました……」


「何ですって⁉

 今日一郎と明日二郎が自分に話した事によると、彼らは御霊分けの術法を使えない、との事でしたが。

 なんと、もう既に御霊分けの術法を施されていたとは……。

 と云う事は、邪悪に染まった維婁馬 君から聖善な部分を抽出したのが……今日一郎ですか?」


 驚愕続きの宮森だったが、探求心を抑え切れずつい質問を繰り返してしまう。


「そうです。

 維婁馬から、今日一郎が分離しました……。

 今日一郎の時は発作はおろか、蒼顔病も発症せずに済んだのです。

 維婁馬が出て来る時もありましたが、蒼顔病の薬さえ打てば今日一郎に切り替わるので安心していました。

 でも……」


「頼みの薬が、段々と効かなくなって行ったのですね?」


「はい。

 一年と少し前にり行なわれた儀式を境に、急激に効きが悪くなったようです」


 あごに手を添え考え込む宮森。


「と云う事は、綾に邪霊を定着する儀式の時だな……。

 実はその儀式の後、自分に今日一郎と明日二郎が接触して来たのです。

 その頃、今日一郎は澄さんと離れ離れに暮らしていたそうですね。

 何故なぜですか?」


「維婁馬が出て来るからです。

 人格が維婁馬に切り替わると、発作とは違うのですが脱魂だっこん頻発ひんぱつするのです。

 それがわたしには恐ろしくて……。

 試しに離れて暮らしてみると、脱魂が起こりにくい事が判りました。

 それで、息子と離れるのは辛かったのですが別居する事にしたのです……」


[註*脱魂だっこん=作中では、魂魄こんぱくのうち魂のみが肉体を離れ霊的活動をする事。

 はくに定着している邪霊の力を使用しやすくする為の措置]


「なるほど。

 その脱魂時にも秘密が有りそうですね」


 これまで開示された情報により、宮森は幾分落ち着きを取り戻していた。

 だが、五つ目の泡が映し出す映像で再び困惑へと投げ放たれる。



 五景目――。



 ――女性にまとわり付く虹色の球体。


 ――女性は苦悶くもん恍惚こうこつの表情。


 ――女性と翁が交わっている。



 邪神のささやきに、耳を塞いだ。


 最悪の痴態に、目を瞑った。


 狂父きょうふの暴虐に、震えていた。


 が、と交わっていた。


 強姦であり、合歓ごうかんであった。



「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 このままでは狂乱に陥るのではないかと宮森に心配させるほど澄は吐き出した。

 羞恥しゅうちを、後悔を、恐怖を、悲哀を、厭悪えんおを、吐き出した。


 澄の歔欷きょきに掻き消されるのを期待して、宮森は呟く。


「……今日一郎の父親は邪神などではなかった。

 播衛門……猶さんだったのか。

 どうりで、父親の事となると不可解な反応を示していた訳だ……」


 澄が涙をぬぐうと、支石墓ドルメンが曲がり天地が逆転する。

 空間全体が歪み収縮と膨張を繰り返した果てに、ある場所へと帰結した。


 宮森はその空間を室内だと断定する。


「ここは、どこかの屋敷内ですか?」


「……はい。

 外吮山ふもとにあった比星 家の屋敷。

 わたしの生家です」


「広い、ですね」


「この座敷は確か、二十四畳あったと思います」


 重井沢は決して豊かな土地ではない。

 高地ゆえ育つ作物も限られており、付近の山々は毒性を持つ火山性瓦斯ガスも噴出する。

 そのような土地でこれ程の屋敷を構えられるのは、それなりにあくどい商売をして来た証拠だ。


 ふたりが居る和室の中心に虹色の球体群が出現。

 例の如くその一つが膨らむ。


 六つ目の泡に映ったのは、幸せそうであり乍らもいびつな家族……。


 いや、親子であった――。





 泡沫の記憶 その三 了

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