第一節 ブルーブラッド

ブルーブラッド その一

 一九一九年一一月 東京市 小石山こいしやま植物園内 保養施設





 厚い曇天どんてんが支配する秋の朝。

 保養施設内の診察室では、比星ひぼし 今日一郎きょういちろうが医師の診察を受けている。


「今日も大丈夫そうだね。

 外に出て遊んで貰って構いませんよ」


「ありがとうございます……」


 今日一郎の母であるすみが担当医に礼を言うと、親子は施設内の温室へと向かった。


 この保養所は小石山植物園内に併設されている事もあり、研究用として様々な植物が栽培されている。

 多くは薬品原料としての栽培だが、中には胡蝶蘭こちょうらんに代表される観賞用も在った。


 親子はしばらく植物園内を散策していたが、竜胆りんどうが花を咲かせている一画いっかくで今日一郎が突然の昏倒こんとう

 澄が助けを呼び保養施設内の病室へ移されるも、今日一郎に目覚める気配は無い。


 帝居ていきょへ連絡を、と看護婦を退室させた担当医が澄に宣告する。


「比星さん、とうとうこの時が来ました。

 いまぐ帝居へと向かって貰います。

 お覚悟を……」


 宣告を下された澄は今日一郎の……。

 いや、蒼顔そうがんの少年を眺めては嗚咽おえつを漏らした。


 白皮症であるため睫毛まつげまでも白にまみれた澄は、息子の手を握り謝罪を繰り返す。


 彼女はその白い手にこびり付いた罪を、思い起こさざるを得なかった――。





 一九一九年一一月 帝居地下 集中治療室





 患者が運ばれて来ると、武藤むとう 大志だいし 医師を始めとした医療班が処置を開始した。


 先ずは患者におむつをかせ、静脈注射で薬剤を投与。

 患者は呼吸困難におちいっていた為、金属製の人工呼吸器に収容する。


 この人工呼吸器は〖てつはい〗と呼ばれる物で、史実では一九二八年にアメリカで実用化された物だ。

 瑠璃家宮 派はアメリカと蜜月みつげつ関係にある為、先進技術である鉄の肺も保有している。


 患者の全身を密閉した鉄箱に入れ首から上だけを出し、鉄箱内の圧力を下げる事によって自然と肺を広げる、とうのが鉄の肺の仕組みだ。


 帝居地下にある物は個人用だが、それでも非常に大掛かりな設備である事には変わりない。

 医療班が最初に薬剤を注射したのも、鉄の肺に入れた後では処置できないからだ。


 ひと通りの処置が終わると、主任医師である武藤と看護婦のひとりが退室し最敬礼する。

 室外に待ち受けていたのは、皇太子 瑠璃家宮るりやのみや多野たの 教授、権田ごんだ 益男ますお

 そして、九頭竜会の新米幹部である宮森みやもり 遼一りょういちだった。


 益男が看護婦である妻に向け患者の容態を聞く。


頼子よりこ、今日一郎 様は……」


「安定しません。

 一刻も早く澄さんに承諾を貰った方がいいですわね」


 看護婦として付き添っていた頼子の意見を聞いた多野は、瑠璃家宮に決断を仰ぐ。


「殿下、もう調整に踏み切るよりないかと……」


「うむ。

 は澄 殿の所へ向かう。

 多野 教授と益男は付いて参れ。

 武藤は例のモノを大至急で手配せよ。

 今回は宮森にも働いて貰わねばならん。

 集中治療室内で頼子からの説明を受けるがいい。

 頼子、宮森に全て打ち明けて構わん」


 家臣一同が下知げちたまわり、それぞれの役目を果たすべく行動を開始した。


 宮森は状況を整理する。


⦅明日二郎が急にいなくなったかと思ったら、今日一郎が危篤きとくだとはね。

 澄さんも帝居に来ているようだし、確実に新たな事実をつかめる気がする……⦆


「宮森さん、先ずは中へ……」


「わ、判りました」


 頼子に促されて集中治療室に足を踏み入れた宮森。

 鉄の肺の威容にも驚いたが、その内部に収められた少年の異様には驚愕きょうがくするよりなかった。


「な⁈

 宮司殿の顔が、あ、蒼い……」


「はい。

 今日一郎 様は重い病気を患っていらっしゃるのです」


「何と云う病なのですか?」


「症状としては、〖メトヘモグロビン血症〗と呼ばれているものになります。

 人間の血液が赤いのはヘモグロビンが酸素と結び付いているからなのですが、このヘモグロビンに異常が起きた物をメトヘモグロビンと呼びます」


 医療分野に明るくない宮森は付いて行こうと必至だ。


「その、メトヘモグロビンですか。

 それがどう影響を及ぼすのです?」


「はい。

 メトヘモグロビンは酸素と結び付けない為、血液が濃い茶色や青紫色になります。

 すると肌や粘膜が青紫色になる他、呼吸困難などを引き起こします」


「だから顔色が蒼いと。

 確かに奇病ではあるな……。

 で、その病は遺伝性疾患なのですね?」


「はい。

 メトヘモグロビン血症には、薬物の服用や毒物中毒によるものと、遺伝によるものとがあります」


 説明を受けた宮森はしば黙考もっこうした。


⦅なるほど。

 英語圏では上流階級の人間を〖blueブルー bloodブラッド〗と呼ぶ。

 肉体労働をしない所為で肌が日に焼けないのを示すたとえかと思っていたが、これが真実か。

 邪神崇拝による近親婚と、それが原因で顕在化けんざいかする遺伝病……⦆


「頼子さん。

 宮司殿は、普通の遺伝性メトヘモグロビン血症とは違うのですか?」


「はい。

 通常の遺伝性メトヘモグロビン血症の場合、肌の色が蒼いだけで他の症状は出ない事が大半です。

 しかし今日一郎 様の場合は……」


「呼吸困難なども併発へいはつすると。

 で、治療方法は?」


「メトヘモグロビン血症の治療には〖メチレンブルー〗と呼ばれる薬剤が使われるのですが、先ほど最大量を投与したばかりです。

 これで症状が落ち着くと良いのですが……」


 頼子の態度が気になったのか、さらに追求する宮森。


「もし症状の改善が見られない場合、何か特別な措置が行なわれるのですね?」


「ええ。

 その為に宮森さんが呼ばれたのです……」


よろしければ、その具体的な措置内容をおっしゃって下さい」


 頼子は躊躇ためらながら言った。


「今日一郎 様の、精神こころに潜って頂きます――」



[註*メトヘモグロビン血症けっしょう=赤血球中のヘモグロビンの一パーセント以上が、異常なメトヘモグロビンに変化してしまう病。

 原因は、薬物使用や毒物による中毒と遺伝性のものとに大別される。

 急性薬物中毒での症状は、頭痛、眩暈めまい、呼吸困難、意識障害。

 死に至る場合もある。

 特徴的なのは遺伝性の場合で、血液が濃い茶色や青紫に変色する。

 その色が肌にまで表れ、皮膚や粘膜までもが青紫色に変色する。

 遺伝性メトヘモグロビン血症を蒼顔病そうがんびょうと呼称している箇所があるが、この語句は作中での設定]


[註*メチレンブルー=青色の染料として開発されたが、日光に弱いため染料としての価値は低い。

 現代ではメトヘモグロビン血症治療薬の他、酸化還元指示薬、機能検査薬、生体染色剤、魚病ぎょびょうに対する殺菌薬などにも利用される。

 経口投与すると記憶力や集中力が増すとの研究もあるが、飲むと舌や尿が真っ青になってしまうため、『今日一郎くんみたいに頭を良くしたいから、思い切ってメチレンブルー飲んじゃうぞ!』といった頭の悪い行為はよしたほうがいいだろう」





 ブルーブラッド その一 了

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