第六節 長慶子(ちょうげいし)

長慶子(ちょうげいし) その一

 一九一九年八月 帝居地下 集中治療室





 外法衆による帝居襲撃から暫くの後、宮森は帝居地下の集中治療室で過ごしていた。


 宮森の肉体は〈ミ゠ゴ〉と融合している為、経過観察が必要である。

 日常生活に支障は無くなったが、外出は許可されないでいた。


 取り寄せて貰った帝都劇場の冊子に目を通す宮森。

 寅井とらい ふじ の写真を眺めては、〈ミ゠ゴ〉の柔組織に覆われた顔をニヤ付かせる。


 只、外吮山の戦闘でひしゃげてしまったオペラグラスを眺める目は淋しそうだ。

 ふじ との思い出の品と云う事もあり、心中は複雑なのだろう。


 若干憂鬱な気分に片足を突っ込んでいた宮森に、この前ちゃっかり復活した明日二郎が茶々を入れる。


『何でえ、ふじ ちゃんの写真見てデレデレしやがってよ。

 幾ら外出できないからって、お前さん気が緩み過ぎだぞ』


『仕方ない。

〈ミ゠ゴ〉と融合してしまって、今後何が起こるか解らないからな。

 それに見た目だって……』


『オイ!

 来たぞ……』


 明日二郎の注意を受ける迄も無く、宮森は寝台ベッドから降り直立不動の姿勢を取る。


 瑠璃家宮が益男を伴い入室して来た。


 最敬礼で出迎えた宮森の方から声を掛ける。


「殿下、すっかり元通りになられた御様子で何より。

 また、殿下の方から御出で下さるとは恐悦至極に存じます」


「良い。

 掛けてくれ」


 最敬礼を解いた宮森が寝台ベッドに腰掛けると、益男が瑠璃家宮に椅子を勧めた。


 腰を下ろした瑠璃家宮が問う。


「宮森、加減はどうだ?」


「日常生活に支障はありません。

 殿下こそ、もう宜しいのですか?」


「多野 教授の御蔭で余の方は大事ない。

 ふむ、手足は動かせるようだな。

 身体に痛みは有るか?」


「いえ、常時痛覚遮断を行なっておりますので特には。

 いて言えば、外吮山の闘いで骨折していた左腕と両手がうずくぐらいでしょうか。

 武藤医師によると、骨質を再生している為との事です。

 御心配には及びません」


 瑠璃家宮は朗らかに笑い続ける。


「となると、問題は見た目だな。

 両手は手袋で、頭部は覆面で隠す事になるだろう。

 只、今の季節に厚着をすれば目立つ。

 帝居地下以外に外出許可を出せるのはもう少し先になる、我慢してくれ」


「殿下の御役に立てないばかりか醜態しゅうたいを晒し、忸怩じくじたる思いで御座います……」


「そう自身を責めるでない。

 其方が余を救ってくれた事は紛れもない事実。

 命の恩人だ。

 その功を加味し、其方を幹部に迎えたいと思っている」


〈ミ゠ゴ〉の柔組織に覆われた顔を、驚愕の表情に歪めさせた宮森。


「この若輩者じゃくはいものが幹部などと、滅相も御座いません!

 自分の他にも有能な会員の方は山程おられる筈、その方達を差し置いて……」


「宮森、これは決定事項だ。

 よもや断るまいな?」


「し、しかしこの私に幹部の重責が果たせますかどうか……」


「構わん。

 仕事は追々おいおい覚えて行けば良い。

 で、もうじき七夕祭たなばたさいだ。

 その際の儀式と並行して、其方の幹部昇格儀式も行ないたい。

 日時は追って知らせる故、連絡を待て」


 席を立ち退室する瑠璃家宮を、再び最敬礼で見送る宮森。


 脳中では早速明日二郎が騒ぎ始める。


『やったじゃねーかミヤモリ!

 幹部だぞ幹部。

 これで組織の中枢に食い込めたぜ。

 後でオニイチャンにも知らせてやんねーと♪』


 はしゃぐ明日二郎を余所に、宮森の胸中では巨大な不安が渦巻いていた――。





 一九一九年八月 帝居地下 神殿区画





 七夕祭当日、宮森は会場となる神殿内の大広間ホールに来ていた。


 いつもの背広姿ではなく、頭部から足元までもスッポリと覆う長衣ローブを身に着ける宮森。

 本来は頭巾フードまで被らないが、現在の宮森は〈ミ゠ゴ〉の柔組織で頭部が覆われている為、被っての参加となる。


 会場には瑠璃家宮 派の歴々がそろっており、かの倉井くらい 平吉へいきちの姿も在った。

 彼ら上級会員達は高舞台たかぶたい前にしつらえられた観覧席に座し、案内係から吐袋とぶくろを受け取っている。


 儀式の進行役と思われる職員が会員達に起立を促すと、女官に身体を支えられた綾と瑠璃家宮が登場した。

 最敬礼で向かえられた瑠璃家宮 達が専用の長椅子ソファーに着席すると、上級会員達もそれにならう。


 進行役が静粛せいしゅくを求めると、神殿奥から管方かんかた達が入場して来た。


 朱色の斎服さいふく高曽我たかそが 家。

 若苗色わかなえいろの斎服は蓮田はすだ 家。


 藍色の斎服は尾倉郷おぐらざと 家。

 墨色すみいろの斎服は韮楠にらぐす 家。


 そして、灰色の斎服は比星 家。

 今回の儀式を取り仕切る宮司、今日一郎である。


 管方達は高舞台奥の楽屋へ向かい、各々おのおの演奏位置に付いた。


 尾倉郷 家は、観覧席正面から見て楽屋奥左側の横笛おおてきと、楽屋外左端の鉦鼓しょうこを担当。

 横笛には、龍笛りゅうてき高麗笛こまぶえ神楽笛かぐらぶえの三種類がある。


 高曽我 家は、楽屋奥右側のしょう、楽屋外右端の鉦鼓を担当。

 蓮田 家は、楽屋奥中央の篳篥ひちりきと楽屋手前中央の羯鼓かっこ三ノ鼓さんのつづみを担当。


 韮楠 家は、楽屋外左右に設置してある一対いっつい鼉太鼓だだいこを担当。

 楽屋中程なかほど右側の楽琵琶がくびわには、今日一郎が就く。


 そして今日一郎 向かいの楽筝がくそうに明日二郎が就いた瞬間、空間内に悪臭が広がった。

 宮司である今日一郎の合図で演奏が始まると、例の如く会員達が吐袋に嘔吐おうとし始める。


 そして、宮森が高舞台へと足を踏み入れた。


 宮森の登場で曲調が妖変すると、宮司が不浄の言葉を放出して行く――。



 ―― 仏丐んがい仏伽駕呀んががあー佛求ぶっぐ砠互具しょっごぐ怡叭婀いはー ――

 ―― 夜喰よぐ外於吮そとーす夜喰よぐ外於吮そとーすあい ――

 ―― 怡叭婀いはあ佛求ぶっぐ砠互具しょっごぐ仏伽駕呀んががあー仏丐んがい ――



 時間と空間を統べる邪神の真名が呼ばれ、虹色の球体群が高舞台上に出現した。

 球体は宮森の周囲を取り囲み、柱状に集合する。


 邪念が流れ込むに連れ、虹色の球体群の輝きが増した。

 開くのは、異界へのゲート



 曲調が怪変すると、次元の底から醜穢しゅうわいな邪霊達が湧き上がる。


 獲物宮森にむしゃぶり付く。


 獲物宮森の精神をずずっとすすり尽くす。


 獲物宮森の善性をべろっとめ回す。

 

 獲物宮森の存在をがぶっと喰い散らかす。


 虹色の球体群が精を吐き出す――。



 宮森から虹色の球体群が離れ消滅した。


 観覧席の方を向きひざまずく宮森の許へ、瑠璃家宮が歩み寄る。

 宮森は跪いたまま瑠璃家宮の手を取り、その手に口付けをした。


 瑠璃家宮の眼が親愛の気を帯び両人が眼を据えた所で、曲が終了する。


 宮森への、邪霊定着の儀式が終了した――。





 長慶子(ちょうげいし) その一 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る