7  布の男





その男は昼下がりに頭から布を被り、

通りをふらふらと歩いていた。


布は袋の様になっていて頭から被せられ、

彼の首元では紐でくくられていた。


この暑い中街を歩いているものはほとんどいない。

そこを両手で前を探りながらよろよろと歩いている。


歩いている人は誰も彼を見ない。

彼がそのわずかな人と当たっても、

ぶつかった人は知らん顔をしている。


ペリは玄関先で壁にもたれながら彼をずっと見ていた。

彼の間近に布の男が来た時、ペリはその手を取った。


「あっ、どなたでしょうか。ここはどこでしょうか。」


布の男は驚いたように言う。


「お暑いでしょう、中へ。」


ペリは家の中に彼を導いた。


家の中はひんやりとして薄暗い。

灼熱の外とは全く違う。


ペリは部屋の真中の椅子に彼を座らせた。

布の男は戦士だった。

だが着ているものはかなり昔のものの様だ。


この街はここのところいわゆる軍需景気に沸いていた。

遠くの国の戦争に向かう途中にこの街がある。

長く続く戦争はこの街に狂乱を与えている。


「取ってあげましょう。」


ペリは彼の布を取った。


彼は一瞬気の抜けた顔をしたがすぐに目をこすって周りを見渡した。


「ここは……、私は船に乗っていたが。」


戦地に行く兵士は船でここを通る。

毎日だ。

彼の髪からぽたぽたと雫が落ちた。


「ここは街中の店です。あなたは彷徨さまよっていましたね。」

「ああ……。」


彼の目が一瞬膜がかかったように曇る。


「私は、船から……。」


ペリが布を持つ。


「これを被せられて落とされたのでしょう。」


戦士の目が真っ白になる。


「しかもかなり前ですね。

前の戦争の時でしょうか。百年ほど前ですか。」


戦士の目はまだ真っ白だ。


「分からない、戦いに行く前に落とされた。

あれは、

知り合いだ。」


ペリは彼にお茶を差し出した。

すると彼の目が元に戻る。


「あなたは、良い人ですか。」


ペリが聞く。

戦士はお茶を少し啜った。


「美味いな、こんなお茶は初めて飲んだ。

そうだ、私は良い人だ。

善い行いを沢山したのだ。」


ペリは戦士と向かい合ったままその後ろを見た。


「そうですか、でも後ろにいらっしゃる女性が

首を振っておられますよ。」


その途端布の男の手から陶器が落ち音を立てて割れた。

その手がぶるぶると震えている。


「私は良い人間だ、善い行いを沢山したのだぞ。」


彼の目がぐるんとまた白くなる。


「そうですか、でも最初にこの女性に何かをしたようですね、

だから罪を感じそれからは善い行いばかりしたと。」

「なぜおまえが分かるのだ。」


戦士が大声で叫んだ。


「後ろの女性から教えて頂きました。」


けろりとした感じでペリが言う。

それを聞くと男は泣き叫びだした。


「あいつが悪いのだ、俺のものにならないから、

だから俺は……。」


ペリは彼のそばに寄ると彼の肩に触れた。


「だから彼女のお身内の方に袋を被せられて

船から突き落とされたのですね。」


戦士はめそめそと泣きながら何度も頷いた。


「違う街に逃げて違う名前を得て良い事を沢山したんだ。

だが戦争が始まり、船に乗ったらあいつらがいた。」

「そうですか。」


ペリは薄く微笑みながら彼を見た。


「それはお辛かったでしょう。

ですが仕方ありません。

あなたにはいまだにあの女性が憑いています。

あなたの罪は重いのです。」


布の男はうずくまり頭を抱えてまた泣き出した。

ペリは立ち上がり足元の男を見降ろす。

そして顔を上げる。


「あなたは無辜むこの人だ。」


ペリは彼女の心を見る。


執着心の強い男がその死後も彼女の魂に絡みつき、

そして彼女の身内が彼を殺めた事で、

彼と離れられない二重ののろいにかかってしまったのだ。


「あなたを開放しましょう。

あなたを殺めた男とこの男を沈めた人達も、

とうの昔に全員死んでいますよ。もういません。

そしてあなたの事を覚えている人ももうこの世にはいません。」


すると彼の上に一人の女性が薄ぼんやりと現れた。


うずくまっていた男はその気配に気が付いたのか、

何かを探すように両手を前に出した。

だがその眼は白い。

何も見えていないだろう。


ペリはそれを見ている。

彼女はペリの言葉で世界が今どうなっているか分かったはずだ。

全ては過去なのだ。

彼女自身も自分の思いで絡められ動けなかったのだ。


彼女は今解放された。

そして消えるだろうとペリは思った。


だが、彼女は戦士の背に手を添えた。

そして盲いた彼を起こしてその手に触れたのだ。


おどおどと男は立ち上がる。

そして二人は消えた。


ペリはしばらくそのまま立ち竦んでいた。

思いも寄らない結果になったからだ。


「憎しみがあったのではないのか……。」


彼女の行為はペリには全く理解出来なかった。


「人は……。」


床に男が被せられていた布が落ちていた。

それはいつの間にか劣化し朽ちていた。

その布も全ては過去だったのを悟ったのかもしれない。


ペリはそれにまじないで火をつけた。

小さな明かりが全てを灰にする。


その灰を捨ててしまえば


もう何もないのだ。





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