3  金の櫛





街角は黄昏に沈んでいた。


一つ一つの窓に小さな明かりが灯る。

この街は夜の方が賑やかだった。

ペリは店を出てしばらく街の中を歩いていた。


ここ最近この街はどんどん華やかになっている。


遠くの国で戦争が起き、

そこへ向かう船がこの街に寄るようになったからだ。

長い航路の中継地点のここは人が羽目をはずすには絶好の場所だった。


それにつれて血腥ちなまぐさい出来事も多くなった。

だかそれはペリにはむしろ好都合だった。


人はペリを見ない。

ペリはひっそりと暮らすのが好きなのだ。


そして今日もざわざわと楽しげに、

いらだつような人々の話し声を聞きながらペリは街を歩いた。


そして彼は見慣れないものを見つけた。


髪に金の櫛を刺しどこを見るとも無く立っている女だ。

濃い紫の衣装は先ほどまで空を包んでいた黄昏の色だった。


彼女には生きている気配が無かった。


まるでつややかな石像のような硬さしかない。

ペリはそっと近づいた。

それは好奇心だった。


女はペリがすぐそばに近づくまで身動き一つしなかった。


もしかすると本物の彫像かも知れない、とペリは一瞬思ったが、

前に立つと女は物憂げに言った。


「一晩で50レットよ。それ以下なら相手はしないわ」


50レットと言えばある意味では最低の金額だった。

女の容姿からするとあまりにも安すぎる。


「いや、私はそのつもりではないよ。だが話し相手をして欲しい。」


女はゆっくりとペリを見た。


黒曜石のような瞳がペリを見る。

美しい瞳だった。

だがなぜか生気が無い。


その不思議さがペリの心を騒がせた。

もしかするとこの女は…。


冷たく硬い女の手を取り、自分の店に導いた。






扉を開けペリは彼女を女王の様に迎え入れた。


女は誘われるまま黙って入って来た。

彼女は少しうつむきまるで人形のように部屋の真中の椅子に座った。


外のざわめきはここでは遠くで虫が騒ぐほどにしか聞こえない。


蝋燭の明かりをつけペリは女を観察した。


黒い髪と黒い瞳。

長くて濃い睫は瞬きすることはなかった。

金の櫛が蝋燭の揺らめきで輝く。

そこには蛇の文様があった。


これだけが彼女の身に付けているもので

唯一高価そうなものだった。

小さな顔立ちは南の砂漠の民の血筋だろう。


ペリは一つ咳払いをすると彼女に言った。


「私はペリ。とりあえずお金を払いましょう。」


ペリは金のコインを出し、女の手に握らせた。

女は仕方が無いと言った様子で、紫の衣装を脱ぎかけた。


「ああ、いや、そうではない。しばらく眺めていたいのだよ。

あなたの姿をね。

どうもあなたは不思議な香りがする。

よく分からないが時間の流れがない。」


女はペリをじっと見た。

そして語り出した。


「……あなたも不思議な感じがするわ。

普通の人では無いようね。

分かったわ。お話をしてあげる。」


蝋燭がじっと音を立てた。


「それは例え話かもしれないし、昔本当にあったことかもしれない。

貰ったお金の分の話をするわ」






あの頃

まだ大地には力が満ちていた。


人々はその力を使い、今とは違う方法で生きていた。


その中で一番の力を持っていたのは私。

人は私の足もとに平伏し、力の出現を祈った。


大地からそれを取り出すのは私には容易い事だった。

一瞬集中すればそれはあっという間に噴出する。


それを人々の上に撒き散らし国の平安を願った。

それを毎日繰り返したわ。


それでそのまま時が過ぎれば良かった。

私もそれ以上望まねば良かった。


私はやってしまった。それ以上の事を。


大地の恵みが溢れる季節、

私はそれを自分の身に起きる事を願ってしまった。


それは永遠の春、永遠の時、

大地の力と私自身を二度と解けないまじない

私は自分で結び付けてしまった。


その呪は

呪者じゅしゃがこの世から消えた時に解けるものだった。


だが私自身には大地から

常に溢れんばかりの力が注ぎ込み、

永遠に若く美しかった。


その時代が過ぎ国が亡びても、

私だけがいつまでも玉座に座っていた。


砂漠の中にたった一つだけ残った玉座に。


私は色々な事を試してみた。

だがどれも呪を解く事が出来なかった。


そして最後に私は自分自身を石に変えた。

総てをはね返す石に。


でもそれも徒労に終わった。


石も大地の一部。


相変わらず大地の力は流れ続け、私はそのまま。

そして私は諦めて時代の中に漂いだした。


人にまみれて身を隠し

それを続けるために僅かな金を手に入れる。

私は身を堕としたのだ。


でもそれは私が引き起こした事。


誰も責める事が出来ない。

多分この時代が終わっても私はひとりで生きている。





女はポツリポツリと喋り、抑揚も感情も無かった。

部屋の空気は砂のようにざらついていた。

本当の話かどうかそれは聞いた人間次第だろう。


だがペリには彼女の言葉が良く分かった。

それは彼が知る時代だ。


ペリもそれを遠い所に置いて来たのだ。

ただ違うのはペリは自らが望んだ事で、

彼女はたまたまそうなってしまった事だ。


欲望の果ての出来事とは言え、

どれほどの時代を過ぎてきたのか、ペリには理解できた。


彼女の話は終わっていた。

また人形のようにひっそりと薄暗い部屋に座っていた。


「貴女はその続きを見たいのですか。」


ペリは彼女に聞いた。

女は首を横に振った。


「貴方はどうして私を見つけたの?

きっと何かを見たのでしょ?」


艶の無い黒曜石の目がペリに向けられる。

闇のような瞳だった。


彼は指先で空中に字を描いた。


いや、描くように見えただけだ。

ペリは呪を唱えた。


その指先を女は見ている。

それで何かを悟ったのかもしれない。


女はペリの足もとに跪いた。


「あなたは何かを知っている。だから私を連れてきたのでしょう。

知っているのなら教えて欲しい。

私の果てを。私の消える先を。」


ペリの呪は続く。


「私はもう倦み飽きた。色々なものを見過ぎた。

お願い、どうか教えて。」


ペリの見下ろした先に金の櫛がある。

微かな蝋燭の光に紋様の蛇がうごめいているように見えた。


彼は呪を唱え終えた。


「この空気を覚えていますか。

あの時代、今とは香りも違うあの頃、

私にとっても良き思い出だ。」


部屋の中が白く輝きだす。

動き回る光がペリと彼女の周りを取り巻き、ゆらゆらと動き始めた。


彼女は立ち上がり

両手で光をすくい上げた。


「ああ、この感じは……、懐かしい……。」


揺らめき立つ陽炎の中の彼女はかつての姿を取り戻したようだった。


背筋を伸ばした気高い姿。


金の櫛はきっとその頃の物だろう。

堂々と人々の間を歩き、

誇らしげに君臨していた事を覚えているはずだ。


「この香りは……、

かつて私の城を取り巻いていた香りだわ。

この街のように人々は城に集まり、私の名を呼んだ。

スポデイオヌ。

砂漠の中の輝くオアシスの街に私の名は響いた。

あの時、あの時は……。」


整った顔には一筋の涙も無い。

だがきっと彼女は泣いていたのだろう。


そして彼女の名前。


忘れられた女王の名、

スポディオヌ。

人々が知る歴史の中でこの名は出てくるのだろうか。


「スポディオヌよ。」


ペリは語り掛けた。


「ここで私の元で暮らすつもりはありませんか。」


彼は光の中の彼女を見る。


「私はあの頃を知っている貴女を手放すのは惜しい。

どうでしょう、私とここで暮らしませんか。」


彼女は振り向かなかった。

取り憑かれたように揺らめきの中で立っているだけだった。


ペリはしばらく彼女の答えを待った。

だがそれが永遠に無い事を彼は感じた。


彼女は総てに飽きている。

生き飽きているのだ。


永遠の命は人間という生き物の一つの夢だ。

だがそれを得る事は不可能に近い。

幸いにもそれを得たものはどうなるのか。


それの一つの答えが彼女だ。

そしてまた別の答えがこの私だとペリは思った。


どちらが正しいのか分からない。

いや、正しいと言うものではないだろう。


どちらも真実で結果なのだ。


ペリはもう一度呪を唱えた。

彼女の体から力が抜けた。




彼女の体は冷たくなっていた。


死んでしまったわけではない。

ペリは彼女を結晶化させたのだ。


意識があるかは分からない。

だが喜びの中でその瞬間を迎えたはずだ。


硬い彼女の体をペリは床に横たえ、髪を撫でた。


僅かな蝋燭の光の中で

彼女は少しずつ衣のような紫色に染まりながら透明になって行く。


そして、

夜明けの気配を感じた小鳥の声が聞こえてくる頃、

彼女は本物の結晶になっていた。


脆く崩れ易い紫の石は完璧な彫像であった。


ペリはしばらくその石を眺めていた。


彼女の見開いた瞳は漆黒の闇から

夜明けの紫へと変わっていた。


透明なまなこは何を見ているのか。


私を恨んでいるのだろうか。

悲しんでいるのだろうか、喜んでいるのだろうか。


ペリには分からなかった。


やがて窓から朝の光が入って来た。


細く弱い光が彼女に当たると

紫色はさっと灰色に変わり、

その部分からぽろぽろと石は崩れ始めた。


時間が経ち明るい日差しの中、床には灰が広がっていた。

一つ一つが尖った針のような細かい灰だ。


そしてその中には

ぬめりとした輝きを持つ金の櫛が落ちていた。

蛇の模様は朝の中で光っている。


ペリがそれを灰の中から拾い上げると

鋭い針先達が彼の手を刺した。


ちりちりとした痛みを感じながらへばりつく灰を払った。

その痛みは彼女の復讐だろうか。


彼はしばらく櫛を見ていた。


やがて表面の蛇がするすると櫛から流れ出し、

ペリの腕に巻き付いて来た。


そして腕の付け根まで上がってくると、

空気に溶けるように空へ飛んで行った。


そして櫛には何もいなくなった。

灰も総て溶けていた。


彼の手のひらの櫛は錆びた真鍮に変わり、

外からは仕事へと出かける人のざわめきが聞こえて来た。


ペリはそっと櫛をテーブルの上に置くと、日が差し込む窓を閉めた。


彼にはその光は眩し過ぎた。

闇に慣れた目には、夜明けはあまりにも残酷だった。







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