第3話 絶望 ~前編~
《ピューっ、ガガ.....っ、今.....夜、九時.....っ》
交代で件のラジオを見張っていた若者は、雑音だらけの音に耳をすませた。
そして一人の少年が不敵な笑顔で後ろを振り返る。最年少の涼である。
「夜九時だってさ」
淡い茶髪に鳶色の瞳。短めな髪をふわふわ揺らして、然も楽しげに笑っている。その顔は、どう贔屓目に見て悪童そのものだった。
その涼を見て、背後にいた若者も小さく頷いた。
こちらは一二三。長めな黒髪を無造作に一つ結わきし、縁のないメガネをくいっと上げる仕草がやけに似合っている。
だがその黒曜石の瞳は冷たくすがめられ、暖かみの欠片もない。.....ように見えるが、実は子供好きな人情家。
細身だが、強靭で長身な体躯と冴えた無表情さから、見た目だけならインテリヤクザな一二三は、大好きな子供と視線が合うだけで号泣されてしまうのが悩みの種だった。
「.....仕方無いから」
そう強がりつつも、彼の背中に漂う何とも言えない哀愁は隠せず、周りの憐憫を誘っている。
黙り込んだラジオを忌々しげに睨めつけ、二人はスレに書き込んだ。
『今夜九時』
短い一文。
それを眼にしたらしい人々で、スレは騒然となる。
了解、などと書き込むのは関係者だ。彼等に多くの言葉は必要ない。
場所を明かせ、さっさと釣り宣言しろなどとぎゃあぎゃあやらかしているのは無関係な野次馬。
涼が鍵をかけ忘れたがために起きた事態である。ほんとに穴があったら入りたい涼だった。
仲間達とは、ツイッターなどで新たにリンクを作ろうかとも相談したのだが、助っ人の中には家の事情で携帯を持たぬ者や、学校のPCしか使えぬ者もいる。
伝達は他力頼みな彼等には、このスレが唯一の確認方法なのだ。せっかくの助っ人の数を減らしたくはない。
他にも方法があったかもしれないが、伝達手段に不安のある者らを置き去りにも出来ず、まだこのスレを使っていた。
事が長期戦になるのなら、その時考え直せば良い。そう言う一二三の優しさが身に沁みる涼である。
「九時か。師匠の処から刀を借りてこないとな」
一人ごちる一二三を見上げ、涼の双眸になんとも言えぬ憧憬が浮かんだ。
二人は同じ師範に居合いを習う兄弟弟子。元は同じ剣道の道場に通っていた幼馴染みである。
県下有数の有段者な一二三は、涼にとって憧れの剣士であり、現実生活の兄貴分でもあるのだ。
二人は祖父同士が親しい友人で、涼は生まれた時から一二三にくっついて成長した。
一二三も生来の子供好き。自分もまだ子供だというのに、涼を連れた友人が訪ねてくるたび、その子守りをかってでる。
おんぶ紐で涼を背中にくくって、ヨタヨタと歩く五歳児様。
そんな微笑ましい交流の最中、二歳になったばかりの涼を残して彼の両親は事故に遭い他界した。
娘夫婦に先立たれ、幼い子供を抱えた涼の祖父を手助けしたのが一二三の一家だ。
幼子のため、働きに出なくてはならなくなった涼の祖父が仕事の間、手のかかる幼児を預かってくれた友人家族に、涼も祖父も心から感謝している。
そういった関係から、多くの愛情に包まれて育った涼は、長年に亘る一二三の教育もあり、幼い子供は守り愛するモノと、しっかり刷り込まれていた。
一二三ほど度をこした子供好きではないものの、目の前で化け物に襲われそうな三咲を見過ごせるわけはない。
俺は年上なんだから、小さい子は守らないと。
普段、祖父らや一二三一家に守られ、助けられてばかりな涼にとって、守るべき相手というのは新鮮だった。
自分が頼りになる年長者になったような錯覚が起きる。
それも愛くるしい幼女だ。命がけで守るに不足はない。むしろ出来過ぎなくらいのシチュエーション。
妹がいたら、こんな気分なのかなぁ?
無邪気な笑顔に見惚れ、涼は、この笑顔が曇らぬよう、真剣に空へ祈った。
そんなこんなな色々が交差するなか、例の串焼き屋に集まった勇者は若者十二人。+老兵四人。若者らの数人は頭脳労働の配信班。
得物の調達が間に合わないためまだ人員は増えていないが、前回の戦いからして、この面子であれば、なんとかなるだろう。一二三は、そう考える。
閑散とした串焼き屋。未曾有の異常事態に三咲の祖父は店を休業させていた。
そこに集まった若者や友人達に深々と頭を下げつつも、三咲の祖父は警告を忘れない。
「こんなに来てくれて..... 有り難うございます。しかし、危ないと判断したら逃げてください。.....絶対に」
感謝で潤む眼を炯眼にすがめ、源は厳しい声色で若者らに念をおす。
なにがしかの経験を積んだ者特有な鋭い眼光。元憲兵だったという祖父らは、今時の若者には分からない修羅場をきっと何度も潜り抜けてきたのだろう。
『命に勝る宝はない』
涼と一二三の祖父達は、何処か遠くに眼を馳せては、いつもそう言っていた。
馳せた瞳に映るのは一体何なのか。聞きたくとも聞けない神妙な空気。
ここに来て、それと同じ空気が、どんっと重く室内を漂う。
チリチリと肌を炙る緊張感。これを心地好く感じるのは男の性だろうか。敵を求める戦闘狂な本能が男にはあるという。
祖父達はこういった戦場の雰囲気に慣れているみたいで、場にそぐわぬ穏やかな顔をしていた。現実離れした、ほんのりと暖かい笑顔。
まるで日向ぼっこでもしているかのような妙に和気藹々とした雰囲気を見て、ぞくりと身体を震わせる涼。
一二三を見た。一二三も軽く瞠目している。
それを凝視しつつ、何時もの台詞の後に続けられる祖父らの言葉も思い出す二人。
『そうは言っても、人生、退っ引きならない事象が起きるもんだ。そうなった時は命の使い処を間違うな』
《捨て処》ではなく、《使い処》と言う祖父ら。
幼い頃には分からなかった言葉の意味が、今なら分かる気がする。
自分達が死んだら、誰が三咲ちゃんを守るのだ。守りたいモノのために命を捨てるのはいつでも出来る。ならば、その最後の一瞬まで生にとりすがり足掻くべきである。
格好いい死に様なんか、誰も望まない。生きることこそが苦痛の連続だという人もいるだろう。それでも.....
今は、絶対に死んではならない。三咲ちゃんのためにもだ。
正直なところ、この店を離れるのが一番簡単な防衛方法だったと一二三は思う。
三咲の祖父から聞いた話では、三咲ちゃんが此処に住むようになってから異変が続いている。今までは無かったらしい。
でも、確実ではない。
この店で起きたことが他で本当に起こらないのかは分からない。試すことも出来ない。三咲ちゃんの身を囮にするようなモノだ。
そして一二三はチラリと件のラジオを見下ろす。
このラジオ様、他ではウンともスンとも言わないのだ。
ここでは煩いくらい今夜九時と鳴るのに、他の家へ運ぶと無言で、ツンとすまして御上品な骨董品の振りをし、何も語らない。
忌々しいラジオである。
だが、それらから推測出来ることもあった。
化け物来訪は、この店とこのラジオ。そして三咲ちゃんが揃って、初めて起こる事のようだ。
ある意味、僥倖。
ここでなら前以て準備をし、相手を万全の態勢で迎え撃てる。
一度開いてしまった扉が、そう簡単に閉じるわけは無いだろうし、万一、他で開いてしまったら収拾がつかない。それこそ予測不可能で、思わぬ大惨事を引き起すかもしれないと一二三は思っていた。
せっかく場を用意出来るアドバンテージがあるのだ。ここは活用させてもらうべきだろう。
真剣な面差しでスマホを見つめる兄貴分をチラ見しつつ、涼も手にした日本刀を強く握りしめた。
彼は木偶相手以外でコレを振るったのは初めてである。
たとえ化け物だろうが、その肉を裂き、骨を断った鈍い感触は忘れられない。
刃先が食い込み、ごっと両断した時の、重く絡まる歓喜。全身を駆け巡る恐怖や怯えにも似た、不可思議な戦慄。
背筋がぶるりと震え、知らず口角が上がっていく。
ゾクゾクしたアレが、強敵に対する武者震いなのだと自覚したのは事が終わってからだった。
あの一種独特な高揚感。これがアドレナリンとか言う現象なのだろうか。
ちゃっと鍔を鳴らして引き出した抜き身を、涼は静かに見つめる。
あの日、返り血でベタベタだったはずの涼や得物も、亀裂が閉じた途端、何事もなかったかのように綺麗になった。
おかげで師匠から借り受けた刀の手入れに四苦八苦することもなく、安堵した涼だが、そのせいか、前回の戦いの記憶が曖昧だ。
呑まれるな.....
武器とは魔物だ。それを手にした事による油断。相手を蹂躙出来ると脳内に蔓延る、おぞましい万能感。
武器を手にするという事は、そういった浅ましい感情との戦いなのである。
たとえそれが小さな剃刀であろうと、薄いカッターナイフであろうと、隙をつけば生き物を殺せる。
相手の人生を奪える。終わらせられる。
それと考えて手に取った時に、心へ宿る不気味な悪意。
自ら手にした武器に、人は多くの感情を抱くのだろう。それに呑まれてはならない。
俺は三咲ちゃんを守るために、これを手にしたんだ。決して、化け物達を虐殺するために手にしたんじゃない。
化け物らを倒すのは三咲を守るための手段である。手段が主軸になってはいけない。
そう己を戒めつつも、涼は、しだいに高まる戦いの空気に魅せられ、己の奥底が奮う。
身体の奥からずくりと何かが湧き上がり、舐め回すような愉悦が彼の脳を痺れさせていった。
またもや知らずに上がる涼の口角。その瞳に宿る仄かな光は、狡猾な爬虫類のように縦長な煌めきを放っている。
これが、別世界からの侵略だったという事に気づく者は、誰もいなかった。
「九時だ!」
一二三の叫びと同時に空間が割れる。そこから現れたのは前回最後に出てきた一つ目巨人。
それも三体が、次々ぬうっと出てきた。
「最初っからクライマックスかよっ!!」
「ぶっはっ、笑わせんなっ、力が抜けるっ!」
誰かの絶叫で場の空気が微かに和らぐ。程好く力も抜けて、若者らは鋭い眼差しで巨大な化け物に対峙した。
「配信出来てっか? 映ってる?」
彼等の少し後ろ、庭のあたりで動き回るは配信班。各々手持ちの機材を持ち込み、今回の異変をネットに流そうと頑張っていた。
自分達は頭脳労働専門で勇者にはなれない。だけど、後衛には後衛の戦いようがあると、強者を求めていた涼達に捩じ込んできたのだ。
「待って? .....映ってる、イケるぞ、これっ!」
「よっしゃあっ! じゃ、通報だっ! 呼べっ! 天下の公僕様を!!」
「「「応っ!!」」」
若者らの作戦は、この化け物の存在をネットに流して周知し、警察機関を引っ張り出すこと。
もちろん、不用意に人を呼び込まぬよう場所は明かしていない。無関係な者に被害が出ては大変だ。
しかし生配信でこの惨状を暴露してから通報すれば、警察が確認にくらい来てくれるだろう。そして戦いの専門職を喚んでくれるに違いない。
そう考えて、今回の戦いを準備した。
三咲の祖父も、何度か警察に相談はしている。しかし件の通り、いきなりやってくる異変のうえ、その痕跡は跡形もなく消えてしまう。
いつ起きるか分からない異変に警察が張り付くことも出来ないし、なんの証拠もないのに動けはしないと、冷淡にあしわられていたのだ。
むしろ、ボケ老人の戯言のように思われていたらしい。
だが、そんな警察の反応が普通なのと思う。とても彼等を責められはしない。
夢物語だと一蹴されても仕方のない話だ。空間が割れて化け物が現れるなんて、涼達が聞いても眉唾物だと思う。
源の友人である自分らの爺様から説明を受けなければ、きっと此処に来ていない。
一二三は自嘲気味に一つ目巨人へ刀を振り抜いた。
巨人の指の根本を一閃した刃は、その指を数本落とす。紫色の血飛沫が一二三を濡らし、ボタボタと滴る不気味な液体が床をみるみる染めていく。
途端に上がる耳ざわりな咆哮。その隙をついて、誰かが巨人の手にあった棍棒を奪い取った。
前回の戦いで巨人の動きを知る一二三は、ほんのりと眼に弧を描く。
自分達が死に物狂いで戦っても、怪我を負わせるのが精々な化け物達。現場は阿鼻叫喚だ。彼等に出来ることは相手の攻撃力を削ぐのが精一杯。
でも、それで良い。少しでも戦いを優位に運び、倒せなくても負けない努力をすれば良いのだ。あとは通報を受けた専門家が何とかしてくれるだろう。
こんな無慈悲な戦いに、三咲の祖父は一人挑んでいたのである。
警察も頼れず、小さな孫を抱えて、どれほど辛かったことか。
だが今は違う。多くの者が協力し、何とかしようと抗ってくれている。
この状況をネットに生放配信なのだ。今度こそ警察も動いてくれるだろう。
幾つものコメントが寄せられているようで、思わぬ反響に配信班から雄叫びが聞こえる。
きっと、なんとかなる。
希望に己を奮い起たせ、一二三達は警察の到着を待ちわびた。
これを認識してくれれば、きっと武装した専門職が来てくれると疑いもしなかった。
だが、その期待は無惨にも打ち砕かれる。
「.....来ない」
「はっ?」
一つ目巨人相手に死闘を繰り広げる面々に向かい、配信班の若者らが真っ白な顔で叫んだ。
スマホを掴む手も小刻みに震えている。
「警察、来ないみたい..... ここの老人は妄想癖のある要注意人物だからって」
「こっちもだよ。生配信だって言ってるのに信じてくれない。作り物で世間を騒がせるなって..... どうしよう?」
戦闘中の一二三達の顔が強張り、色を失った。
何でも創作出来る電子世界の悪影響だ。本物そっくりなCGなどが出回る昨今、そういった悪質な悪戯をする者も多い。
元々、日本の特撮の技術は高く、昔、ある和製ホラームービーで、バラバラ死体にされる女性の映像を見た海外の俳優が、「これは本物のスナッフ・フィルムだ!」と大騒ぎしたらしいのは有名な話である。
「マジかぁぁぁっ! くそっ!!」
各々の得物を敵に叩きつけつつ、巨人に致命傷を与えられない面々。
前回は十人以上で、ようやく一匹倒せた相手が、今回は三匹もいるのだ。戦力も分散されるし、防衛一辺倒。
絶体絶命。
「ちくしょうぅぅーっ!!」
ジリジリと追い詰められ、満身創痍な若者達。老骨らが前面に立って、彼等に致命傷となりそうな攻撃を防いでくれていた。
身体能力は若者に劣れど、さすがは元憲兵。実戦慣れした老人達の動きには無駄がなく、一つ目巨人の攻撃の威力を借りて上手くいなしている。
だが、劣勢であることに違いはなかった。祖父達も息があがり、動きが鈍くなっている。
一二三はぞわりと恐怖に肌を粟立てた。彼の背後には三咲のいる仏間があるのだ。絶対に、ここを譲る訳にはいかない。
三匹の悪魔に翻弄される勇者達。そんな彼等は気づかない。
部屋の片隅に蹴飛ばされたラジオが、低く唸りを上げていることを。
《ガガ.....っ、ピィー、.....マ、行ク..... ミサ..... 魔..... .....ニ気ヲツケ.....》
酷いノイズに掻き消されつつ、ラジオから流れる声は、誰にも届かない。
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