第2話 異変 ~後編~


「おいおいおい、これ、質量どうなってんだよ?」


「遠近感もおかしい.....」


 目の前の一つ目巨人は、天井どころが屋根にかかっていても不思議ではない大きさなのに、まるで異なる空間が重なっているかのように壁や天井の制限を受けずに動いていた。

 隆々と振り上げられる棍棒。それが凄まじい勢いで三咲の祖父らに叩きつけられる。

 間違いなく床に激突した凶器。しかし飛び散る瓦礫を余所に、部屋の床は無傷だった。

 カラカラと乾いた音のみが響く室内。


「変だぞ、これっ」


「そういや、あれだけ化け物が暴れまわったのに、部屋の中は散らかってないよな」


 それぞれの疑問が口から呟かれ、ようやく源も気がついた。

 今までも襲われるだけで、家屋や家具に被害を受けたことはない。通常であれば、とうに家中ガタガタになっているはずだろう。

 異形と触れた瞬間、交わる世界。それ以外は、全く干渉していないようだ。


 思考の海に沈んでいた源の耳に唸るような怒号が轟き、巨人の一撃を三人がかりで受け止めた若者らが、脚を震わせながら呟く悪態が聞こえた。


「ちっ、硬ぇっ!!」


 唾棄するような口調を耳にして、三咲の祖父は、はっと我に返る。

 戦闘中だというのに、何を思案に耽っていたのか。


 考えるのは後だ。今は、この忌々しい化け物を倒さなくては。


 そこでまた、古ぼけた茶色いトランジスタラジオが鳴り出した。


《ピューっ、ガ..... 誰カ.....》


 戦闘音に掻き消される機械音。だが、それに反応したのは、必死な人間達ではなく、襲い来る化け物ら。


 奴らはあからさまに怯み、後退る。


 源は、その隙を見逃さない。


「うおあぁぁぁっっ!!」


 雄叫びを上げて、慣れ親しんだサーベルを一閃させる老人。渾身の一撃は、一つ目巨人の腹を深々と切り裂いた。

 その勢いにつられ、次々と斬りかかる周りの仲間達。

 同じ部分を狙って切りつけ、頽おれた化け物の目玉に向かって、複数の刃が眼球に突き刺された。


『ゴアアァァァアッ!』


 ずず.....んっと倒れ伏す一つ目巨人。

 それと同時に、またもや亀裂が閉じていく。


 飛び散った肉片や返り血でベタベタになりながら、三咲の祖父と仲間達は、消えていく異形の亡骸を凍った眼差しで見つめていた。




「これ、一般人の手にあまるだろう?」


「かと言って、誰が信じてくれると? 俺らだって、半信半疑だったじゃん」


「あ~、ね~。確かに」


 奴らの亡骸が消えるにつれ、異形の肉片や返り血も薄れ消え失せる。

 部屋に異常もなく、まるで何事もなかったかのように、しれっと佇む三咲の祖父の店。

 これだから実際に見た者にしか信じてもらえないのだ。

 どうしようもない事態に四面楚歌で、胡乱な顔をする三咲の祖父。


 もはや万策尽きた。


 あのような死闘に、友人やその家族を巻き込む訳にはいかない。

 自分は死んでも良い。どうせ老い先短い身だ。ただ、せめて三咲だけでも.....。なんとかならないモノか。


 あの亀裂は我が家限定で、必ず三咲の傍に現れる。


 何処かに預けるしかないか。手離すのは死ぬほど辛いが、三咲の命には変えられない。


 異常事態が起きるようになったのは、三咲が祖父宅に預けられてからだった。その前には、こんな事があったとは聞かない。三咲にも確認してある。


 奥歯を噛み締める祖父を見上げ、心配そうに顔をしかめる孫娘。


 優しく三咲を撫でる源を一瞥しつつ、一人の若者がドンっとテーブルへ何かを置いた。

 それは闘いの中で、何かを呟いていたトランジスタラジオ。今は沈黙している古ぼけた茶色いラジオを掴み、若者は剣呑な眼差しで口を開いた。

 彼はおおち昌弘まさひろ二十二歳。大学卒業後、就職浪人でフリーター中。

 少し長めな癖毛をかきあげ、苦虫を噛み潰したような顔で周りを一瞥する。


「これさ。コードも繋がってないし、電源も入ってないんだよね。なんで動いてたの?」


 骨董品にありそうな独特のフォルム。丁度、大型から小型化される中間の形で、デザインは過去のまま、サイズのみが小さくなったようなトランジスタラジオだ。

 三咲の祖父が物心ついたころには家にあったらしい。


「鳴ってたよな。うん」


 小さく首を傾げる少年はつなし。この中でも最年少の十五歳。高校生以上で協力を求めたのに、何故か紛れ込んでいた強者である。

 受験生のくせに何をしておるんだと御叱りを受けたが、事が事だ。

 しばらくのことと、両親らも渋々認めてくれた。


「八時とか言ってたっけ?」


 うっそりと訝しげに眼をすがめたのはたちばな一二三ひふみ十八歳。現役大学生。

 長い髪を首の後ろで一つ結わきにし、ほつれる前髪が艶かしい。眼鏡を上げる仕草の似合う彼だが、その見かけは良くてジゴロ、悪ければインテリヤクザ。

 子供の窮地と聞き、いの一番に馳せ参じるほど穏やかな子供好きなのに、冷たく鋭利に見える雰囲気から、何故か目が合うと子供に号泣される気の毒な御仁である。


 三人の会話を聞いて、部屋にいる人々の顔が硬質さを増す。目を見張って固まり、誰もがラジオを凝視していた。


「.....それって、化け物らが出てきた時間じゃね?」


「このラジオが奴等の出現時間を伝えてるってのか?」


 固唾を呑む三咲の祖父の前で、再びラジオから声が聞こえる。


《ガガ.....っ、誰カ..... ピィー.....》


 思わず、ぴゃっと仰け反る面々。驚嘆の面持ちで口を引き結び、ラジオの声に耳をすませた。


《クソ.....っ、ピューっ、聞コエナ.....ッタ。ガ.....っ》


「おいっ! アンタ、誰だっ?!」


 若者の一人が思わず叫ぶ。それはこのラジオを持ってきた青年、昌弘だった。


《ガガ.....っ、繋ガ.....ッタ? ピーっ、.....ヅキダ、誰カ.....》


 何度確認してもコードは接続されていないし、電源も入ってはいない。なのに流れるラジオの声。

 絶句し、驚愕を隠せない人々の中で、三咲の祖父のみが一縷の希望を瞳を輝かせた。この懐かしい声を彼が忘れるわけはない。


 .....ヅキダ? 葉月だ?!


「葉月っ! お前、葉月だろうっ?!」


《親父.....っ? .....ガガっ、.....ガ、来ルっ! ピュー.....、.....ダっ! ..........》


 途切れ途切れの言葉が流れ、再びラジオは沈黙する。


 呆然と事態を見つめていた人々は、説明を求めるように三咲の祖父を見つめた。


 それに頷き、彼は語る。


 五年、突然行方不明になった自分の息子の話を。ラジオから聞こえた声は、間違いなく息子のモノだったと。


 経緯を聞いた一二三が、得心顔で呟いた。


「神隠しってヤツかもしれませんね。何処か分からない世界に飛ばされるとか、異形の餌になるとか色々言われてますが」


「でも、三咲ちゃんのお父さんは、今のところ生きてるってことだよな? ラジオから声がするんだし」


「.....あの世とも、この世とも分からん場所だぞ? 本当の生きてるか。.....ひょっとしたら、残留思念ってことも」


 次々と飛び交う不穏な言葉。それを理解出来ないまでも、父親の声を聞いた三咲が、すがるように祖父を見上げる。父親の失踪当時、幼女は三歳。だが彼女は父の声を覚えていた。


「お父ちゃん? 今の、お父ちゃんだよね?」


 そのか細い声を聞き、周囲は、ハッと幼女を見つめる。要らぬ話をしてしまったと気まずげに眼を泳がせる若者達。

 彼等が悪いわけではない。こんな異常事態に巻き込まれたのが不運だっただけ。


 しかし、なんということか。


 床の間に飾っていた古びたラジオが鳴っていたなど、今まで気づきもしなかった。

 立て続けに起きる異常事態で、床の間を開けることも無かったし、そうでなくとも極度の緊張から、周囲に気を回せなかった源には分からなかっただろう。

 たまたま居合わせた若者らが気づいてくれねば、きっと今も息子の声を見つけられなかったに違いない。


 息子は生きているのか、それとも想いが届いただけなのか。


 何も分からないまま、三咲の祖父の友人らや、その子供らが話を進めていく。


「逆を言えば、このラジオで化け物らの動向が分かるってことだろう?」


「だよな。助かるわ」


「毎日、一日中張り付くわけにもいかないしね」


 にっと笑顔を浮かべる若者達。


「知り合いにも声かけてみるよ。こういうの詳しい奴等いるし」


「殺れないことはないと確認出来たから、数を集めよう。配信とかしたら、警察も飛んできて信じてくれるんじゃね?」


「映るか疑問だけど、試してみる価値はあるかな」


 どんどん進んでいく会話の内容に眼を見開き、三咲の祖父らは怪訝そうに若者達を凝視した。

 その訝しげな視線に気付き、思わず彼等は狼狽える。


「さーせんっ、勝手に話進めてっ」


「そうだよ、余所様のお宅なんだからさっ、まずは了解を取らないとっ」


「えーと、そういう訳なんですけど、どうでしょうか? 他にも援軍を求めて事態に当たりませんか? 生配信すれば、警察も動いてくれると思うんですよね。少なくとも、これが現実に起きているかの確認にくらいは来ると思います」


 全く悲愴感の欠片もない若者達。


 むしろ挑戦的にギラつく彼等の双眸に、三咲の祖父は胸が熱くなる。


 老兵は死なず。ただ消え去るのみ。とは、ある有名な軍人の言葉だが、その通りかもしれない。

 自分達のような古い人間には分からない遣り方が今の若者にはあるようだった。

 絶望しかなかった老人に、彼等は手を差しのべてくれている。


 .....任せてみよう。


 鼻の奥がツンとし、三咲の祖父は、御願いしますと若者らに頭を下げた。




『冒険しようぜっ! 求む勇者!! スレ』


 1・勇者志願

 さーてと、祭りの予感だぜ、皆様。


 2・勇者志願

 ここか。おい、身バレ厳禁だぞ、先様の迷惑になんなや?


 3・勇者志願

 わーってるよ、経過報告と情報共有だけだって。


 4・勇者志願

 まあ、事が公になれば必然的にバレるだろうしね。


 5・勇者志願

 そっちはどうよ? こっちは三人確保。腕に覚えのある体育会系。


 6・勇者志願

 こっちはまだ一人。アレを見ちゃうと下手な奴は誘えないしなぁ。ガチ殺れるレベルでないとヤバいべ?


 7・勇者志願

 祭りと聞いてやってきました。ロム専するつもりだったんだけど、なに? 空気がおかしくない?


 8・勇者志願

 涼ーっ! てめぇ、鍵忘れてっぞーっ!!


 9・勇者志願

 うわぁぁぁっ! すまんっ、まさか釣られる奴等がいるとは。


 10・勇者志願

 今さら鍵とかすんなよ、暴動起こすぞ。ロム専その2


 11・勇者志願

 ロム専が口を挟むなっ!


 12・勇者志願

 取りあえず経過報告とやらを聞こうか。ん? ん? ロム専その3


 13・勇者志願

 .....ロム専は一人見たら三百人はいる。もう、手遅れ。


 14・勇者志願

 あ~..... しゃーない。実はな.....


 こうして実名や地名を伏せて、三咲を襲う異常事態がネットに拡散された。

 スレは騒然。詳しい事を知りたがる者や、頭から疑うアンチで沸き返り、手の施しようもなくなる。


 勝手に一人歩きを始めた勇者達。襲いくる異形や、謎のトランジスタラジオを巡り、熱い議論が交わされる毎日だ。


 そして今日もラジオが鳴る。


《.....ミサキ。ガ.....っ、ヲ.....殺セ.....っ》


 憎悪を込めた不穏な呟きは、誰の耳にも届かない。

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