異世界ラジオ・つくもん ~串焼き屋、みっちゃん~

美袋和仁

第1話 異変 ~前編~


《ガ.....っ、ピューッッ、今宵、三時半.....っ!》


 そこに居る者達、全ての視線が棚の上にあるラジオへ注がれる。彼等は炯眼に眼をすがめ、獰猛に笑った。


 視線の集中放火を受けるのは古ぼけた茶色いトランジスタラジオ。土偶を連想させる愉快なフォルムのそれを一瞥し、人々は鋭利に口角を歪めた。


「了解だ。おいっ、伝言回せっ!」


「「「「応っ!!」」」」


 そこのテーブルに座っていた猛者らが串焼き片手に拳を上げる。


「んもーっ! またなのっ? 勘弁して欲しいわねっ!」


 両手に皿を持って駆け回る少女は、うんざりとした顔でラジオを睨み付けた。


 ここは賑わう歓楽街の片隅。赤い提灯が目印の串焼き屋さん。

 昭和生まれであれば、某ジャリん子を彷彿とさせる店構えな古い串焼き屋に、何故かたむろう若者達。

 店内は、カウンターに椅子十二脚、壁際に四人がけのテーブルが三席。カウンターやテーブルは艶消しされた天然木で、昔懐かしい雰囲気が漂う。

 店のメニューは串焼きオンリー。焼き鳥やホルモンなどは言うにおよばす、昨今流行りなトマトやアスパラ、シシトウetc.の野菜串や、がっつりお肉の和牛串などバラエティーに飛んでいる。

 それもそのはず、ここの御客様の殆どが若者なのだ。たまにチラホラ老人もいるが。

 彼等は、異世界防衛機構、《鵲》の隊員達。十年ほど前に設立された機関だった。

 突然、異世界と繋がり、あれよあれよと同盟をむすんで、今に至る。

 多くの異世界からやってくる生き物の中には、質のよろしくないモノもあり、こちらに害意を持つ物がやってくる時、棚のラジオが知らせてくれるのだ。


 通称異世界ラジオ、《つくもん》。異世界の魔力で変化し、自立。さらには異世界警報を自ら発してくれる謎な機械。


 それが言った。今宵、三時と。


 つまり、その時間に異世界と繋がるゲートが、よろしくない客人のいる世界と繋がる。

 《鵲》のメンバー達は慣れたもの。伝令を頼み、まだ時間はあるなと、しばしの遊興を楽しんでいた。

  その片手には串焼き、もう片手には物騒な得物。ギラつく得物が振るわれる度に、何かがドシャっと床に散らばっていく。


 ここは異世界への扉が交わる場所。狭間から飛び出してくる魔物や、あやかしも多い。そのため、腕に覚えのある《鵲》のメンバーしか来店を許可されない。


「今夜はゴブリン三匹と、吸血コウモリ一匹か。ショボいな」


「まあ良いじゃん。これで飲み代浮いたし、ちょいとは小遣い稼ぎにもなったしさ」


 呑みの片手間にモンスターを屠り、意気揚々と彼が向かったのは暖簾がかかったカウンター。

 そこに倒したモンスターを並べて、彼等は声を張り上げた。


「爺さーんっ、換金よろしくーっ!」


「怒鳴らんでも聞こえておるわっ! あーっと? ふん、しょっぱいのぅ」


 奥からドタドタとやってきたのは小さなお年寄り。手足が短く髭もじゃな男は、モノクルを片手に、じっとカウンターのモンスターを凝視する。

 この人物は、異世界側の買い取りドワーフ。


「銀貨二枚ってとこか。ほらよ」


 ちゃりんっと投げて寄越された硬貨を受け取り、若者らは串焼き屋のレジへ向かった。


「じゃ、これで」


「はいな、えーっと三名様、串焼き十八本と生五杯で..... 五千ちょいかな、端数は負けとくね。じゃ、一万五千円のお釣りです。あざっしたぁー♪」


 三人で山分けするとかで、少女が五千円札三枚を差し出すと、それぞれ一枚ずつ手にして笑顔な若者達。

 彼等は店の中で使っていた得物を所定の位置に返し、軽やかに店の暖簾を掻き分けて出ていった。

 ここは異世界側へ向かう人々の両替所もやっているため、あちらのお金でも支払い可能。

 知る人ぞ知る、串焼き屋、《みっちゃん》。看板娘である三咲から付けられた名前だ。


 いつの頃からだろうか。この店に魑魅魍魎たるモンスターが湧くようになり、阿鼻叫喚の嵐に三咲が巻き込まれたのは。


 思わず胡乱な眼差しで、少女は昔を思い出す。




「ぎゃーっっ!」


 ある日彼女は妙なモノを見つけた。それはポッカリと廊下に浮かぶ、ひび割れたような穴。

 不思議そうに近寄った三咲は、その穴の中に見える血走った複数の目玉に悲鳴を上げる。


「うわあぁぁぁんっ、爺っちゃぁぁあんっ!!」


 その亀裂からは、にゅうっと何本もの腕が出てきて、逃げようとする彼女の髪を掴み、謎な亀裂に引きずり込もうとする。

 その窮地を救ってくれたのが、今は亡き祖父である。

 ぎゃーっと泣きわめく孫娘の悲鳴を聞きつけ、何かに髪を掴まれた三咲を見た祖父は、すぐ横の居間に飛び込み、飾られていた思い出の品を持ち出した。


 それは手入れの行き届いた古いサーベル。


「孫に触んなぁっ! こんの、だらずがぁぁあっ!!」


 ひーひー泣きわめく三咲を庇い、大切に保管していたサーベルを抜き、三咲の祖父は孫を掴む腕を叩き斬った。

 元憲兵をしていた彼は、引退後もそのサーベルを大事にしていたのだが、こんな所で役にたとうとは。

 切り落とされた手はグズグズと朽ち果て、そのまま床に染み込んでいく。

 それと同時に割れていた空間も閉じ、何が何だか分からないまま、祖父と孫は強ばった顔を見合わせた。


 その日はそれで終わったのだが、謎の現象は止まらない。




「またぁあーっっっ!!」


 柱の亀裂から覗く不気味な眼球。


「んぎゃーっ!!」


 今日も響く、少女の絶叫。


 最初の事件からというもの、数日おきに空間が割れては不気味な生き物が三咲を襲う。主に夕刻から深夜にかけて。

 ひーひー泣きながら、祖父にへばりつく三咲。


「逢魔が時や、丑三つ時とは言うが、一体何だってんだっ?」


 ガタガタ震える孫を抱き締めつつ、尋常ならざる事態を覚った三咲の祖父は、憲兵時代の仲間にSOSを出した。




「.....って訳で、何故かうちの店に変な化け物が出るんだよ。決まって、三咲がいる時間にな」


 集まってくれた古い知己らは三人。一様に胡散臭げな顔をし、困ったかのように三咲の祖父を見つめる。


「話は分かったが..... 妖怪たぁねぇ。証拠はあるのかい? 源さん」


「すぐに分かるさ。.....ほら、おいでなすった」


 辛辣に眼をすがめる老人。その言葉に固唾を呑み、友人達が後ろを振り返ると.....

 そこにはひび割れたかのような亀裂が、メキメキと音をたてて広がっていく。

 そしてぐちゃりと亀裂にかかる複数の手。

 どうみても人間の手ではない。その不気味な手の長い指は節くれだち、鋭い爪がある。しかも緑。めっちゃ濃い緑の手。

 友人達の顔に怯えが走り、ぶわりと全身を粟立たせた。


 え? ちょ、ま.....っ


 思うが早いか、抉じ開けるように開かれた空間から飛び出してくる数匹のコウモリ。

 それらは眼をギョロつかせつつ、部屋の中にいた人間へ無差別に襲いかかってきた。


「うひゃあっ?!」


「うわっ? えええーっ?」


 慌てて各々の横に置いてあったサーベルを握り、応戦に転じる友人ら。

 これを持ってこいと三咲の祖父である源に言われた理由を、ここに来て、ようやく理解する三人。


「本当だったとはっ!」


 昔取った杵柄か、三人は飛び出してくる小鬼や狼、他諸々な異形を、次々と切り伏せた。

 飛び散る肉片、咲き乱れる血花。その色が紫色なことをのぞけば、まるで過去に経験した戦場そのものである。


 この歳になって、再び修羅場を踏もうとは。


「妖怪が出るなんてなぁっ! 長生きしてると、とんでもないモンに出くわすなっ!」


「コウモリっ! コウモリをやれっ! 飛ばれてうぜぇっ!」


 てんやわんやで不気味な異形を撃退する祖父と友人ら。

 そうこうするうちに亀裂が閉じ、辺りは何事もなかったかのように静まり返った。


「.....じっちゃん?」


 静まり返った部屋の奥の襖が開き、恐る恐る顔を出す孫娘。

 三咲を手招きして抱き締めると、祖父は剣呑な眼差しで友人らを見据えた。


「.....増えているんだ」


「は?」


「最初は、手だけだった。他にも目玉だけとか。そして次には全身。さらに複数となり、今じゃコウモリや狼みたいなのまで現れる始末でな」


 そう。あれから何度も起きた異常事態。最初は手が出せる程度でしかなかった小さなひび割れは、しだいに大きくなり、今ではこちらから、あちらが覗ける程になっていた。

 と、言っても、見えるのは血走った無数の双眸。歓迎出来るモノではない。

 出てくる異形も、だんだんと数を増やし、とてもではないが源だけで手に終える事態を越えつつある。

 さらには、倒した異形らは亀裂が閉じると消えてしまい、何の証拠も残らないため、警察にも取り合ってもらえなかった。


 話しながら項垂れる源。言われて友人らも辺りを見渡し、これが立て続けに起きているのかと瞠目する。

 そこには小鬼のような爬虫類っぽい生き物や、狼やコウモリ。よく見ると、蛇や蜘蛛もいた。

 そして、それらの形がしだいに崩れ、グズグズと朽ち溶けていくのを目の当たりにする。

 今さら背筋をゾクッとさせ、友人達は真剣な面持ちで孫娘を抱き締める源を見つめた。


「息子が行方不明になって五年。三咲を守ってやれんのは俺しかいねぇんだ。守ってやらねば、息子にも顔向け出来ん」


 源は悔しげに唇を噛む。


 彼の息子であるにのまえ葉月はつきは、五年前に何の前触れもなく行方不明となった。

 今の日本で、突然の失踪や行方不明は珍しくもない。三咲の父に、そういった理由が見当たらなかったため、当初は犯罪にでも巻き込まれたのではないかと心配されたモノである。

 その父親は、未だに見つかっていない。


 そんな事情があり、三咲の祖父が息子の忘れ形見に執着するのも仕方無し。

 源の息子の妻である三咲の母親も、夫の失踪後、無理がたたって入院中。今の幼女が身を寄せられる場所は祖父の店しかないのである。

 懊悩する三咲の祖父の姿に膝を叩き、朗らかな笑顔で仲間達は助力を約束してくれた。


 この先、何が起きるのかも分からないが、幼い少女を見捨てたとあっては寝覚めが悪い。


 こうして古い友人らの協力の元、集められたのが、件の若者達だった。


 全て、祖父の友人達の血縁者。話を聞いた若い世代がこぞって集まってくれたらしい。




「妖怪退治とか、ロマンじゃん?」


「一応、ネットで調べて、撃退に使えそうなモノ、持ってきました」


「.....師匠公認で刀が振るえるなんて。こんなチャンス、見逃せません」


 .....各々理由はあるようだが、手が多いのは有り難い。

 中にはモノ本なドスや日本刀を持ち込む者もおり、さすがの三咲の祖父も眼を疑う。

 いったい何処から調達したのやら。しかし、己の手に握られたサーベルを力強く掴んで自嘲気味に苦笑した。

 似たような経緯で保存されていたモノもあるのだろう。それに今時、伝さえあれば重火器の購入も出来なくはないと聞く。


 良いか悪いかは分からないが、今の三咲や源には僥倖だった。


 狙われているだろう少女は、知り合いの女性らが守って仏間にいる。前回、友人らが来た時にも幼女は仏間にいた。

 何故だか分からないが、例の亀裂は仏間にだけは現れないのだ。御先祖様が守ってくれているのかもしれない。

 今回はそこに、陰陽道のなんちゃらを持ち込んだ若者が御札なども貼ってくれた。きっと自分達に何かがあっても孫娘を守ってくれるだろう。


 そんなこんなを考えつつ、大勢が待機していると、何処からともなく声が聞こえてくる。


 不気味なノイズを交えた機械音。


「何だ.....?」


「声?」


《ガガっ、ピィー.....っ、今夜、八時.....っ》


 音の発生源を探ると、そこは床の間。仏間と続きの部屋には大きな座卓があり、その真ん中に飾られるように置かれる古ぼけた茶色いトランジスタラジオから謎な声は発せられていた。

 今時、滅多に御目にかかれない逸品なラジオ。

 耳障りなノイズをがなりたてながら、その機械は今夜八時と繰り返す。


「八時.....? 今は確か」


「七時五十四分」


 スマホ片手に呟く若者。


 ひやりと凍てついた空気が辺りに満ち、居並ぶ者達の神経がザリザリとヤスリで削られるように、ささくれだっていく。

 件の亀裂が現れるのは、決まって午後四時から深夜四時までと聞いた。そのため皆、この時間に集まったのだが。


 何かおかしい。


 誰もが剣呑な眼で周囲を窺っていた。


 と、そこで柱時計が鳴る。ボーン、ボーンと大きな音が響くなか、バリッと宙が裂ける。


「来たぞっ!!」


 叫ぶが早いか、いつもより大きな亀裂からは無数の異形が飛び出して来た。


 それぞれの得物で応戦する人々。


「おらぁ! おまえらかっ、子供を狙ってるとか言う不埒な輩はっ!」


「幼女は天使。それに害なそうなど言語道断」


「ふははっ! 刀の錆びにしてくれるわっ!」


 相変わらず、それぞれのベクトルで叫びながら、九人の若者+昔取った杵柄な老人四人が、出てくる異形を叩き潰す。

 容赦なく切り捨てられ、びしゃっと床に散らばっていく肉片。みるみる血の海に変貌していく室内。

 謎な亀裂の大きさは幅一メートル、高さ二メートルほどのため、飛び出してくる異形も数匹ずつ。

 それを何人かがかりで打ちのめし、三咲の祖父達は危なげなく倒していく。


「へっ、雑魚が! こんなんなら、いくらでも相手にしてやるぜ」


 紫色の返り血を手で拭い、にぃっと嗤う若者達。


 さすが、あらかじめ話を聞いていただけはある。誰もが躊躇なく異形を片付けていた。

 こんな荒唐無稽な話を信じて集まってくれた友人の子供や孫らに、三咲の祖父は心から感謝する。

 辺りに折り重なる多くの異形達。これだけの数を三咲の祖父一人では、とても相手に出来なかっただろう。

 いつもの小鬼に狼、コウモリ。この辺りは想定内。蛇や蜘蛛も。

 比較的安全に倒せたため、一瞬の安堵が部屋の中に漂った。


 しかし、それを嘲笑うかのように、いつもよりも大きな異形が現れる。


 床から屋根まで届きそうな亀裂を掴む不気味な手。大人の頭ほどもありそうなその手は、メリメリと亀裂を広げ、その真っ暗な奥から巨大な目玉を覗かせた。

 ギョロりと蠢く血走った眼。生々しいそれは、油の膜が張ったかのように薄く表面が濁っている。


 ひっ? と驚愕と緊張が三咲の祖父らに走った。

 そして、出てきた新たな異形に、誰もが眼をひん剥いている。


「まさか.....っ?」


「ウソだろ?」


 大きく喉を鳴らして、若者らがその異形を見上げる。


 そこに現れたのは一つ目巨人。身の丈五メートルもあろうかという巨人は、引き裂いた亀裂を背後にしてニタリと嗤い、仁王立ちしていた。

 空間の法則を無視して広がった亀裂。それは天井や屋根をも切り裂いて、背景に溶け込んでいる。


「一つ目入道.....?」


「いや、サイクロプス.....?」


「角っ! 角あるっ! 棍棒持ってるぅぅっ!」


 部屋の中の人々は未知の異形を眼にして、ざわりと肌を粟立てた。

 圧倒的な強者の貫禄。今までの小物とは違う迫力に、誰もが驚愕で顔を歪める。


 ここに想定外の戦いが始まった。

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