第7話 毛玉in大講義室


 拝啓、爺ちゃん。

 貴方が送ってくれた暗闇は白い毛玉でした。とっても汚れていましたよ?相手に物を送る際には、綺麗にしてから送って下さい。それから毛玉は毛玉ですが、生きている毛玉なのです。生き物を荷物として送るのはどうかと思います。最後になりますが……その毛玉は何故か、俺のショルダーバッグに入り大学に来ています。早急に引き取りに来て下さい!!今すぐに!!


「……っ……」


 俺は一度バッグの蓋を閉じた。そして心の中で祖父に助けを求めた。だってこの事態を招いたのは、祖父が汚れた毛玉を送り付けたことにあるからだ。テレパシーが使えたら、鬼電して文句を言うレベルである。

 因みに祖父は、携帯電話を持っていない。電化製品と相性が悪いらしい。電化製品との相性が悪いとはどういう意味だと思うだろうが、そのままの意味である。祖父の近くに電化製品を置くと壊れる。煙が出たり燃えたり、最悪爆発するのだ。電化製品は祖父アレルギーなのだろうか?電化製品は祖父が天敵のようである。祖父から電磁波でも出ているのだろうか。

 我が家にはそういう理由があり、祖父や家族が暮らす実家は田舎の中の田舎にある。連絡手段は郵便、伝書鳩か矢文になる。とても不便である。令和の時代に実家は、何をやっているのだと俺は思う。

 勿論、家にはテレビは存在しない。それが実家に帰りたくない理由であったりなかったりする。


「…………」


 それよりも、今はこの状況を打開する事が先決だ。閉じたショルダーバッグを見詰める。今朝の何か柔らかい物を掴んだ気がしたのは、間違いではなかった。この毛玉を掴んで、ショルダーバッグに詰め込んだのだ。俺は……。何ということをしてしまったのだろうか。加えて、今朝の顔に当たって気持ちいい肌触りの正体も毛玉である。自分も使っているボディーソープの香りがしたからだ。決定的である。

 さて、大学の授業は九十分間行われる。しかもこの授業を担当するのは、時間に厳しい常田教授である。『少しだけ早めに終わろう』とか『切りがいいから、今日はここまで』などの妥協はしない。チャイムが鳴り終わるまでが授業である。授業が始まってから三十秒が経過した。残り八十九分三十秒間、毛玉を周囲から隠し通さなければならない。

 まあ、取り敢えずショルダーバッグに詰めておけば安心だろう。幸いバッグの入り口は

 俺が見張っている。出る隙は存在しない。授業終了時間まで、出てこないのを見張れば俺の完全勝利だ。


「……あ……」


 勝利を確信していると、そういえば毛玉の存在に気を取られて教科書やノートを出せていないことに気が付いた。必要な物を一瞬だけ出すなら問題はないだろう。そう思い、ショルダーバッグをもう一度開けた。


「……うそやん……」


 そこに毛玉の姿はなかった。思わず関西弁が出てしまったが、致し方ないだろう。叫ばなかっただけでも自分を褒めてあげたくなる。というかいつの間に、何処に消えたのだ?あの毛玉は。いや、もしかしたら俺が見た幻覚の可能性も否めない。そうだ。物事は明るく捉えるのが良い。あまり悲観的に考えるのは心身ともに良くない。それに毛玉を見たのは一瞬だった。本当に居たかは分からない。鳴き声も聞こえたような気もするが、気のせいだったかもしれない。

 毛玉を幻覚と決めつけた。そして必要な物をバッグから出すと、机の上に並べた。レポートもちゃんとバッグの中に入っており、これで安心をして授業を受けることが出来る。


「……おるやん……」


 気を取り直して前を向くと、二つ前の席に毛玉が居た。他の学生の机の上を歩いている。


 やっぱり幻覚ではなかったのか!!というか何をしているのだ。あの毛玉は!?早く回収をしないと騒ぎになるのではないか?人の頭ぐらいの大きさの毛玉が動いていたら、驚くだろう。そうたら、常田教授は怒るどころではないだろう。授業を妨害されたとして、俺は単位を貰えないかもしれない。

 いや、もしかしたら停学を言い渡される可能性だってある。俺は普通の大学生活を過ごしたいだけなのだ。細やかな学生生活は俺が守る!決意を固めると、毛玉の回収方法を思案する。

 二つ前の席の学生は、知らない女子学生たちだ。そんな彼女たちへ、授業中に見知らぬ俺が近づいたら不審者確定だろう。それこそ騒ぎになる。俺の細やかな大学生活が過ごせなくなる。それは何としても避けたい。

 では、如何するか?毛玉を呼んでみるか?静かな大講義室で『毛玉!』と呼んだら、これも確実に不審者扱いされる。

 あれ?何をしたとしても、俺はどの行動を取っても不審者のレッテル貼られるのではないか?詰んでいる。


「……? 見えていない?」


 俺が思い悩んでいる間にも、毛玉は移動をした。学生たちの教科書やノートを覗き込んでいるが、誰も毛玉の存在を指摘したり驚いたりしない。その様子に一つの仮説が浮かんだ。『周囲の人間には毛玉が見えていない』ということだ。更に言えば鳴き声も聞こえていないようだ。朗報である。


「清水、大丈夫か?」

「……え? 大丈夫だよ」


 不意に横から、小さな声で話しかけられた。けんけんである。彼は何故か訝しげに俺を見ていた。彼は真面目な性格なので、授業中の私語は滅多にない。毛玉の事で挙動不審になっていたのだろう。俺は心配をしてくれた彼に小さく返事をした。けんけんは、納得していない顔だったが再び前を向くとペンを走らせた。

 そうだ。俺も白い毛玉に気を取られている場合ではない。周囲の人間に毛玉の存在を認識されていないことは確実なのだから、騒ぎになることはない。気にせず授業に集中出来る。安心をしてノートを開いた。


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