第6話 ショルダーバッグより出でし……
誰も居ない廊下を全力疾走する。良い子のみんなは廊下を走ってはいけないぞ。
「はぁ……はぁ! 遠いい!!」
大学校内は白を基調とした造りになっている。何が言いたいかと言えば、天井と壁と床が白い。つまり、遠近感が狂い講義室までの距離がとても長く感じるのだ。いや、それだけではない。事実、この学園は広大な敷地を有しているため色々と規模が大きい。歩く歩道が欲しいレベルだ。
しかし、よりにもよって何故今日に寝坊をするのだ。今日の一限目は文学の歴史である。その担当教授の常田教授は授業開始時間よりも、十分ほど早く講義室に現れるのだ。そしてチャイムと同時に授業を開始する。時間にとても厳しい教授で有名であり、遅刻者は授業に参加することが出来ない。
そして遅刻した日が、レポートの提出日だった場合は受け取りを拒否されるのだ。その事に対して抗議した先輩が存在したらしいのだが、教授の鋭い睨みを受け直ぐに白旗を上げたそうだ。
授業中に常々教授は、『時間を守れない人間が、社会の中で暮らせると思っているかい?』と微笑むのだ。いや、実際には笑っていない。確かに口は弧を描いているが、目が笑っていないのだ。
そのことから、教授は時間を守らない人間になにか恨みがあるのでは?などと学生の間では囁かれている。『常田』という名前と『時間』を関係づけ、『時だ!教授』という渾名まで存在するぐらいである。彼も『時間』が関係しなければ、とても分かりやすく好きな授業の部類に入る。
そして俺が昨日作成したレポートは、今日この講義で提出予定の課題である。遅刻すれば、レポートを受け取ってもらえない。評価に響くのだ。留年はしないとは思うが、俺は気ままな大学生活を過ごしたい。最低限の提出物はこなしておくべきである。
もしかしたら、これは夢の中かもしれない。実は俺はアニメが始まる前の時間に、うたた寝をしているのではないか?そして夢から覚めれば、アニメに間に合い。次の日の講義にも遅刻することはないのでないか?無事にレポートを提出出来て、昼休みを安心して迎えられるのではないか?
俺は酸欠の苦しさから、夢である可能性を考え始めた。
「ゔっ……うぅ……」
無駄に現実逃避をしながら、目的の大講義室へと辿り着き扉を開けた。大講義室には今日がレポートの提出であることから、大勢の学生が参加している。黒板の上に設置されている時計を確認すると、授業開始一分前であった。常田教授は椅子に座り、本を読んでいる。
「はぁぁ……」
遅刻を回避し無事に、レポートを提出出来ることに安堵する。よく頑張ったな、俺の筋肉達よ。今日は良い温泉の素を入れてやるからな。一人、己の筋肉を労う。
「はよ……。ま、間に合ったぜ……」
俺は呻き声を上げながら、友人達の隣の席に腰を下ろした。
「おはよう、清水。いや……時間には間に合ったが、君は人としてギリギリアウトな顔をしているぞ? 大丈夫か?」
「はよう! 健チャンさ、それフォローになってないから。どうせ、昨日のアニメでテンションが上がって、眠れなくて寝坊したとかだろう?」
俺を苗字で呼ぶ、黒髪短髪に眼鏡の爽やかイケメン男子は剣持健。通称けんけん。ホットケーキミックスの粉を分けてくれた、スーパーのセール大好き男子である。弟姉妹が多く長男気質であるが、無駄を嫌い。言動が些かストレートだ。
そして、その奥から顔を覗かせる金髪男子は山吹八馬。通称やまやまである。ホットケーキミックスが玉になると情報をくれたのが彼だ。流行に敏感であり、料理にもセンスを感じさせる男子だ。お姉さんのマンションに居候しているらしく、掃除洗濯はプロ並みに上手い。節約だと言って持参する弁当のレベルは、とても男子大学生の出来とは思えないぐらい凄いのだ。
二人共、東京に出てきてから出会った友人だ。とても気の良い友人だと思う。だが……。
「山吹……。俺の前でアニメの話をするな……」
「……え? 何? テレビが壊れて観ることが出来なかったとか?」
「…………」
今の俺にアニメの話しは、地雷である。自分でも驚くほど低い声が出た。そして目敏い山吹は、俺が不機嫌な理由を言い当てた。俺は言葉を詰まらせた。
「当たりのようだな」
「うわぁ……可愛いそう……」
「壊れてない」
何も反論出来ずにいると、剣持が頷いた。そして同情するかのように、顔を顰める山吹。二人の前では、俺が某アニメを好きだと伝えてある。揶揄されることはない。寧ろ快く聞いてくれる存在であり有り難い。だが俺は素直になれず、不貞腐れた態度で真実を告げた。
「……? だが、見逃したのだろう?」
「壊れた以外で見逃す理由なくない?」
「……実は……」
不思議そうに二人は首を傾げた。ホットケーキを焼いたら疲れて寝てしまったと、素直に告げようとした。すると授業開始のチャイムが鳴った。時間切れである。
「はい、皆さん。おはようございます。本日は先週出したレポートの提出日ですね。授業後に提出をしてください。それでは、本日の授業を始めましょう」
チャイムが鳴り終わると、常田教授は教壇に立ち挨拶を口にした。笑顔ではあるが、レポートのことがあるから口調に圧を感じる。大丈夫だ。俺はレポートとちゃんと作成したのだ。自信を持て。一人自分にエールを送る。
しかし今朝は慌ただしく家を出た。レポートを鞄に入れた記憶があるが、もしかすると俺が作り出した幻影かもしれない。教科書とノートを出す際に、レポートの存在を確認しておこう。確認を取れれば、安心して授業に集中することが出来る筈である。
俺はショルダーバッグを開けた。
「きゅい!」
「…………え…………」
バッグの中には毛玉が居た。
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