第3話 ホットケーキ①



「よし! 終わった!!」


 ペンをひたすらに走らせること数十分。最後の一文字を書き終えると、俺は喜びの声を上げた。これで心置きなくアニメを視聴することが出来る。そう思いながら、ソファーテーブルの上を片付ける。すると膝の上の存在を思い出した。

 視線を下げると、白い毛玉は気持ち良さそうに寝息を立てていた。毛玉も睡眠を必要とするとは驚きだ。だが初対面の人間相手に、此処まで気を抜くのは如何なものかと思う。しかし、毛玉は毛玉である。人間との価値観は違い、神経が太いようだ。


「あ……お腹空いたな……」


 レポートを仕上げた安心から、空腹感に気付いた。スマホで時刻を確認すると、十五時を過ぎていた。この毛玉で大幅に時間を消費してしまった。夕食までは時間がある。何か食べよう、毛玉をソファーに置きキッチンへと入った。


「……なんもないな……」


 冷蔵庫の中身を確認したが、碌な食材が残っていなかった。大学生男子の一人暮らしなんてこんなものだろう。今日のアニメが楽しみ過ぎて、買い出しを忘れたとかそんな理由ではない。取り敢えず、奇跡的に存在する食材をまな板の上に並べる。


「卵が一つに、牛乳が半分……ホットケーキミックスと蜂蜜か……」


 どれも賞味期限は大丈夫だが、量が中途半端である。


 因みにホットケーキミックスと蜂蜜は未開封品だ。これらは大学生の友人である、スーパーのセール大好き男子から戦利品のお裾分けの品である。有り難いのだが、自炊をすると言っても俺の場合は最低限だ。米を炊いて、魚や肉を焼くぐらいのレベルである。ホットケーキミックスの使い道は知らない。いや、ホットケーキを焼くための粉であることは理解している。だが俺には遠い存在なのだ。

 それから蜂蜜は栄養価が高いため、いざという時の非常食としてストックしておいた。だが、今は空腹感に襲われている。今がその有事の際というのだろうか。俺は琥珀色の瓶を見詰める。


「そうだ……俺にはアニメを観るという崇高な目的がある。しかもそれは、万全の状態でなければならない……」


 空腹感によりアニメに集中することが出来ないなど論外だ。今、我が家にある食材はこれだけだが、この窮地を乗り越えてこそ男だろう。俺は人生初のホットケーキを作るため、気合を入れる。


「えっと……確か……卵とホットケーキミックスの粉を入れて……あと、牛乳を入れて混ぜて……焼けば出来る筈だ……」


 己の幼き頃の記憶を頼りに、ホットケーキを作ることにした。


 ホットケーキミックスの袋の裏には、丁寧に『美味しい!ホットケーキの作り方!』と可愛らしい文字で説明が書かれている。だが、俺は敢えてそれには従わないものとする。

 他にも文明の利器というスマホがあるが、それも使わない。材料の種類や分量を比べた際に、一気にやる気がなくなってしまう可能性があるからだ。

 あれは物心ついた頃だった。兄貴に与えられていた模型の船がカッコ良かった。俺もと両親にねだり、買い与えられたがそれは可愛らしい船の人形だった。兄貴とは年齢も離れていることを考えると、幼児と児童では取り扱う物が異なるのは理解している。安全上の都合だろうと、今になれば理由は分かる。

 しかし、当時の俺は泣きわめいた。その結果、模型が苦手になり作りたいという気持ちは永遠に旅立ってしまった。

 今回も材料表を確認し、必要な物がこれ以外に存在した場合。俺はやる気を失い、蜂蜜を飲むことになる。それは死活問題である。人は生きるために食事を行わなければならない。それを放棄するような自体は絶対に回避するべきである。

 己のことは自分が一番知っているとは言うが、正にそれである。一旦興味を失った物事に再度取り組むといのは、至難の業とも言える。長く語ったが、要は俺が単に飽きっぽい性格であるということだ。そして面倒くさいこと感じた事には、二度と挑戦を試みないうことに集約される。


「先ずは混ぜるか……混ぜるには……」


 記憶を頼りに作る工程を思い出すと、ボウルの存在を思い出した。材料を混ぜ合わせるのに、欠かせない役割を持っていた筈だ。シンクの下の収納スペースを漁る。


「うわぁ……新品未開封だ……」


 透明フィルムに覆われた、ステンレス製のボウルを発見した。包装を外すと、ボウルを洗剤で洗う。

 これは上京する際に母親から渡された調理器具の一つだ。特に使うこともなく約二年間、新品未開封のままで眠っていたのだ。母親が知れば、雷が落ちる騒ぎではないだろう。しかし、こうして二年の歳月を経て活躍の場が出来たことを喜ぶべきだ。

 決して、もっと早くに出番があっただろうなどとは思ってはいけない。人にはそれぞれのペースと成長速度が存在するのだ。俺は今日、初めてボウルを使うレベルに達した。只それだけのことだ。


「じゃあ……材料を入れるか……」


 ボウルを布巾で拭くと、まな板の横に置いた。材料を入れる段階になったが、何から入れて良いもの思案する。食材を入れる順番によっては、玉になったり上手く溶けなかったりするらしい。この情報は流行に敏感であり、料理にもセンスを感じさせる大学生の友人からである。腹に入れば同じだろうと考える俺とは、別の星の生物かもしれない。

 色々と考えたが、全部入れて掻き混ぜれば良いだろう。雑な結論に達した。きっとセンスの良い友人が聞けば、顔を青くすることだろう。だが、残念ながらこの場には俺しか居ない。食べるのも俺だけだ。俺の好きにさせてもらおう。

 ホットケーキミックスの袋を無造作に開けると、ボウルの中に入れた。続いて卵を割り、投入。それから牛乳を入れる。


「……あれ? 掻き混ぜるのって……何を使うんだ?」


 牛乳を入れ終えると、この後に使う道具を分からなくなり手が止まった。何度も言っているが、俺の料理レベルは底辺だ。菓子作りの調理器具名も知らない。

 朧げな記憶では、確か混ぜるに適した器具があった気がする。きっと母親からの調理器具一式には名も知らぬ、その調理器具が存在するのだろう。だが、再び調理器具を探す気にはなれない。洗うのも面倒だ。俺は腹が空いているのだ。そんな余裕はない。

 邪道かもしれないが。俺は菜箸を握ると、粉がこぼれないようにしながら搔き混ぜた。


「よし! あとは……焼けば良いか」


 搔き混ぜ終えると、ある程度の粘りと表明に艶があるクリーム色の液体が完成した。この段階では上手く行っているのか、はたまた絶望の道を突き進んでいるのかは分からない。だが入れた材料を考えると、失敗する物が出来上がるとも思えない。論より証拠だ。俺はコンロにフライパイを置いた。


「油は……必要か」


 焼くにあたり、フライパンに油を敷くか如何か一瞬考える。何時もは魚や肉を焼くだけだが、油は使用している。焦げ防止の為だ。粘り気のある液体ならば、焦げることが予想される。念の為にと、油をフライパンに垂らした。それから、コンロのつまみを捻った。


「お玉よし、フライ返しよし」


 フライパンが温まるのを待つ間に、次に使う調理器具を準備する。次の工程はホットケーキの生地となる、クリーム状の液体を掬うことだ。そして片面が焼けば、反対側を焼くためにひっくり返す。それに使うのが、お玉と、フライ返しである。これらは普段使う事がある為、直ぐに取り出す事が出来た。

「ん? こんなものかな?」


 程よくフライパンが温まるのを確認すると、お玉で生地を掬った。ゆっくりとフライパンに垂らすと、同時に焼ける音が鳴った。人生初のホットケーキ作りである。果たしてこの音は正解なのだろうか、答えが分かないまま生地を焼く。


「……あ、うわぁ……」


 香ばしい香りが立ち上り、フライ返しを生地の下に入れるとひっくり返した。するとフライパンの縁に引っ掛かり歪な形になってしまった。それに加えて、焼いていた面は黒く焦げていた。焼き過ぎてしまったようだ。


「仕方がない。もう一回だな……」


 成功には失敗はつきものである。更に言えば、これは失敗ではない。成功への過程である。フライ返しを使い、成功への過程の産物をまな板の上に乗せた。そして、次の生地を掬うと再びフライパンに垂らした。


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