第16話 土曜の夜と日曜の朝

「に、に、に、逃げろおおおッ!!!」


 ジョー先輩が叫ぶ。

 でもそれよりも前に、俺たちはみんな回れ右をして逃げ出していた。


「なんなんだ!? オセロがそんな好戦的な意味を持つなんてどういうことだよ!?」

「私も知らないわよ! ちょっと駿、いつものあんたの根性論でどうにかしなさい!」

「無理だろ。食われるわ!」

「二人ともケンカをしている場合じゃないだろう! ミューピコ君、チュパカブラを取り押さえられないのかい?」


 そうだ! ライオンを恐れもしなかったミューピコなら、なんとかできるかも!

 けれど頼みのミューピコは、俺たちと同じく全力疾走で逃げながら首を横に振る。


「無理なんだよ! 小さな頃にモラケケ――あー、地球語で言うサボテンの針が手に刺さって以来、ああいうトゲトゲしたものは怖いんだよ! あんなやべーやつ勘弁ピコ!」

「ならミューピコちゃん、ワープよ! ワープしてちょだい!」

「ああ、その手があったんだよ!」


 トゲトゲに対する恐怖心ですっかり忘れていたのか、ミューピコは思い出したというようなリアクションをする。そして何かをしようとするも、次第に青ざめた。


「……ないんだよ」

「ない? 何が?」

がないんだよ! どこかに落とした!」

「「「ええ~~~~~~っ!?」」」


 ウソだろ。それじゃあ日本に帰れないじゃないか。いや、それどころか――。

 俺は勇気を振り絞って、少しだけ後ろを見る。そこには……、


「やばいやばいやばい、来てる来てる来てる!」


 ジャングルに生い茂る木々の上を、ジャンプジャンプまたジャンプ。

 まるで緑色の忍者のように、ぴょんぴょんと俺たちに迫る。

 そしてその瞳は、血の様に真っ赤にギラギラと輝いている。獲物を見る目だ。


「それなら……えーっと、これでもないあれでもない……」


 先輩は走りながらも、リュックの中をごそごそと漁る。

 やがて「あった」と取り出したのは、何かが入った袋だった。

 パッケージには大きく、「特選ビーフジャーキー」と書かれている。


「待ちたまえ、チュパカブラ君!」


 ジョー先輩の渾身の一声によってか、チュパカブラの動きが止まった。


「僕たちと君との間には、何か誤解があるようだ」

「誤解……?」

「そう、誤解さ! さあ友好の印として、これを贈ろう」


 そう言って先輩は、袋入りジャーキーをチュパカブラの方へ投げた。

 チュパカブラはそれを拾い、興味深そうに見る。


「さあ、これで君と僕たちは友達だ。手を取り笑おうではないか!」

「これは牛肉を乾燥させてものか……?」

「その通り! ビーフジャーキーと言う。美味しいぞ!」

「牛肉を乾燥させたものを投げつけるというのは……」


 あ、これやばいやつやん。

 直感的にそう判断した先輩を除く俺たち三人は、この時点で後ずさりを始める。


「……俺たちの文化じゃ“徹底抗戦”を意味するんだよォ! なめるなよ人間んんんっ!」


 すでに全力疾走で逃げ始めていた俺の耳には、とりあえずチュパカブラがガチギレしていることだけは伝わってきた。


「んぎゃーっ!?」


 後ろの方から先輩の叫び声がジャングルに響いた。



 ☆☆☆☆☆



「はあはあはあ……」


 いったいどれくらいの時間逃げたのだろう。

 薄暗いジャングルは、時間も方向もわからなくさせてくる。

 というか未だに逃げきれている理由がわからない。


「先輩? 葵? ミューピコ?」


 暗闇に向かって呼びかけてみる。

 みんなとはぐれてしまった。みんなは無事だろうか?

 すると近くの林からガサゴソと音がした。


「私はここにいるわよ……」


 現れたのはスマホをライト代わりにしている葵だった。


「葵、無事だったのか!」

「なんとかね……。ミューピコちゃんが追手を迷わせる機械を使ってくれていなかったら危なかったわ」


 なるほど。それで俺たちはまだ無事なのか。


「そのミューピコは?」

「わからない、はぐれちゃったわ」


 と、その時――。


「ピコ~~~っ!?」


 そんな叫び声がジャングルに響いた。


「今のは……」

「ああ、ミューピコの声だ」


 ミューピコもチュパカブラの餌食になったというのか……。


「くっ……」

「ミューピコちゃんならきっと大丈夫よ。先輩は……星になったのね。惜しい人を亡くしたわ。さてと、ミューピコちゃんは心配だけど、行動しましょう。お星さまになった先輩もきっとそれを望んでいるわ」


 いや、扱いの差。


「日本領事館に行かないとね。なにせ私たちって、密入国だし」

「そういえばそうか……ん? ――葵!」


 俺はとっさに葵を突き飛ばす。

 転がった葵が、一瞬抗議の目を向けてくるけど、すぐに状況を理解したみたいだ。


「チュパカブラ……!」


 濃緑色で背中にトゲ。口からは鋭い牙が何本も飛び出している凶悪なフォルム。UМAチュパカブラがそこにいた。


「くそ、俺が時間を稼ぐ! その間に葵は逃げろ!」

「駿!」

「うおおおっ! 全力全開っ!」


 はっきり言って怖い。

 けれど俺は葵を逃がすために、チュパカブラに向かって突撃する。しかし――。


「うわっ!?」


 チュパカブラが腕を払うと、俺は凄まじい力で吹き飛ばされた。

 そして木に激突。いたたた……。


「きゃあ! 来ないで!」


 ジリジリと、まるで恐怖心をあおるようにチュパカブラは葵に近づく。


「あ、そうだ! アニメが好きって言ったわよね? なら私を助けて――」

「アニメを見ると……」

「アニメを見ると?」

「登場人物が美味しそうだなって思えるから好き」


 ――グルメ番組感覚!?


「きゃあああっ!?」


 葵はまさしく絶体絶命だ。

 何かないか。俺はそう思って周囲を探す。そして見つけた――。


「やい!」


 振り向くチュパカブラ。その顔面が赤く染まる。

 俺が投げたトマトがぶつかったのだ。

 俺が見つけたのは先輩が背負っていたリュック。

 その中から無造作に取り出したのがそれだった。


「赤い野菜を投げつけるのは我々の文化では……」

「我々の文化では……?」

「“私はピッチングに自信があります”の意味だ」

「その通りだ! かかって来いこの野郎!」


 勝算なんてない。けれどチュパカブラはこっちに向かってくる。

 俺がこれだけ体を張っておとりになってんだから、葵には逃げてほしい。けれど葵はいつものドライさはどこへやら、ただ泣きそうな目で俺を見守るだけだ。


「はは、ベジタリアンじゃなかったみたいだな……」

「お肉大好き」


 やべえ。今度は俺が絶体絶命だ。

 だけどただ食われるだけといういさぎよさはもちあわせていない。だから俺は再び先輩のリュックに手を突っ込み、なにかもわからず引き抜き掲げた。


「…………!」


 ……来ない? おそるおそる目を開けてみると、なぜか飛びかかる体勢でストップしているチュパカブラ。


 俺は自分が掲げているものをよく確認する。

 それは――キュウリだった。


「細長い緑色の物を天に向かって掲げる……。濃緑は我々の文化でジャングルを表す。そして――」

「そして……?」

「そして、その動作は“落ち着いて話し合いましょう。平和大事って大事”」


 うん、平和って大事。

 こうしてジャングルでの地獄の鬼ごっこは幕を閉じた。

 鬼と言うかチュパカブラだけどね。



 ☆☆☆☆☆



「うおおおっ! 駿く~ん!」

「助かったんだよ~!」


 結果から言うと、先輩とミューピコは無事だった。どうやら保存食にしようと思って、とりあえず捕まえただけだったらしい。

 ミューピコの端末は、誤解の解けたチュパカブラさんがおわびに探してきてくれた。逃げ始めた最初の場所に落ちていたようだ。


「いやあ、挑発されているのかと思って、頭に血が上っちゃって……。文化の違いって難しいですね」

「あはは、そうですね……」


 日が暮れ始めるころ、今度こそ冷静に話し合えた俺たちは、当初の予定通り『チュパカブラとオセロをしてみた』という動画を無事に撮り終えることに成功した。


「でも先輩、なんでトマトやらキュウリやら入ってたんですか?」

「それはチュパカブラが実はベジタリアンの可能性を考えていてだね」


 違うみたいですよ。まあその準備のおかげで助かったんですけどね。


「さあ、日本に戻るんだよ。今日は……」


 ――今日は、地球最後の日になるかもしれない日だ。

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