35 呪殺の人形

 「おい、コケシ、逃げんな、てめぇ」

 そう言われても逃げるしかない。

 今日は金がないのだ。

 金を渡せば、小突かれる程度ですむけれど、金がなければ……。

 

 この前は、ボウリングやろうぜ、コケシはピン役なと言われて、陸上部の砲丸をぶつけられた。ぶつけられたところにはまだ青黒い痕が残っている。

 小柄で表情に乏しいらしい僕の別称はコケシで、ボーリングピンになったり、コケシと同じ髪型にされたり、裸に剥かれて「展示」されたりしていた。

 僕にできるのは、日々繰り返される絶望から絶望的な逃走をはかることだけである。


 逃走をはかる僕の視界に、アンティークショップのようなものがあらわれた。

 今まで気がつかなかったのが不思議なくらいにいつも通った場所にあったのだ。

 当然、僕はそこに入る。


 ◆◆◆


 中に入ってから、息が上がっていたことに気がつく。

 肩で息をする僕を置物のような店主は黙って見つめている。

 少しだけ、少しだけ休ませてほしい。

 何も買えないけれど、迷惑はかけないから。

 僕は目を伏せ、棚を眺め、客の振る舞いを心がける。

 お金があるときに、ちゃんと買いに来るから。

 だから、ほんの少しの間だけ、ここにいさせてほしい。


 棚には気味の悪い人形が座っていた。

 フランス人形、よくあるのは、綺麗なドレスに身を包んだ女の子の人形だが、これはみすぼらしいボロに身を包んでいた。

 そのうえ、男の子だ。僕のように虐げられた男の子。

 人形がにやりと笑ったような気がした。


 「おや、その人形が気になるかね」

 置物と化していた店主が口を開いた。

 いや、気になるといえば、気になるが、それは気味が悪いということで、欲しいとか興味をもったということではない。

 それになによりも、

 「ごめんなさい。お金の持ち合わせがほとんどないのです」

 こづかいは全て奪われてしまっていた。

 僕が置かれた状況に薄々感づいているらしい両親の財布から抜き取った金もない。

 置物が笑う。人形も笑う。

 「いえいえ、お代は結構です。これは、必要な人のもとに渡るべき代物、呪殺の人形といいます」

 置物は立ち上がると、気味の悪い人形を抱える。

 案外、大きいそれを僕に抱かせようとする。

 どういうわけか、僕と人形の目があうたびに人形が笑うかのような感覚を抱く。

 なんとも気味が悪い。


 「人を呪えば、というやつでしょう? どうせ使うと命が取られるとか、最愛の人の命を差し出すとか、ろくでもないことになるのでしょう?」

 ホラー漫画によくあるパターンだ。

 そんなものは信じていないけれど、気味が悪い。

 それにこんな人形もらっても、置き場所にも困るし、抱えているところを誰かに見られたら、さらにいじめられるだろう。


 「自分の命や最愛の人の命を差し出したいというのなら、話は別ですが、この人形を動かすのに、そのような代償はないのですよ。そこは信じてもらいたい」

 店主は置物であったことが嘘であるかのように饒舌に喋りだす。


 曰く、憎しみの感情とともに、この人形に願うだけでよいこと。

 曰く、呪殺の代償はなにもないこと。

 曰く、二四時間以内に使い手の半径一メートル以内に入ったものしか、呪殺できないこと。

 曰く、発動後、瞬時に効果を発揮するようなものではないこと。だから、緊急回避的に用いることはできないこと。

 曰く、携帯する必要はないこと。そもそも携帯していても、すぐに効果が出るようなものでもないのだから家の押し入れにでも入れておけばよいとのこと。


 気がついたら、僕は大きな人形を抱えて、自宅の前にいた。


 ◆◆◆


 試しに、僕をいじめているグループのリーダー各を「呪殺」してみることにした。

 「死ねよ、死んでほしいんだよ。僕がどれほどの痛みと屈辱に苦しんできたか。本当に死ねよ、みじめったらしく死んでほしいんだよ」

 僕はフランス人形に願った。


 翌日、学校に行くと、やつは平然としていた。

 僕は心底がっかりした。

 いつものようにトイレに連れて行かれる。

 絶望とともにやつを見上げたとき、やつは滑った。

 バランスを崩して倒れこんだ先にはモップが立てかけてあった。

 モップはやつが倒れ込むときの衝撃で揺れ、ちょうどいい角度になり、やつの口に侵入した。

 モップで串刺しになったやつのまわりで僕といじめっ子は同時に悲鳴をあげた。

 あいつらとは仲良くできなかったが、このときだけは、同時に悲鳴を上げることができた。

 いつもは、僕を見て、やつら全員が笑っていたが、今回はボス猿の串刺しをみながら、一緒に悲鳴をあげたのだ。

 奇妙な一体感だった。


 ボス猿は死んだ。

 事情聴取のあと、僕といじめっ子、騒ぎを聞いて中をのぞきこんだ数名の生徒と駆けつけた教師は自宅で待機することになったということは、後に聞いたことだ。

 僕は自宅で布団を被りながら、いじめグループを一人ひとり呪っていった。

 僕が学校に復帰したときには、いじめグループのある者は電車に轢かれ、ある者は階段で足を踏み外し、ある者は立て続けに起こる仲間の死に何かを見出し、自ら身を投げたあとだった。

 「お前も辛くなったときはいつでもカウンセリングを受けるように」

 そのことばを神妙な顔をつくって聞きながら、僕は心のなかで小躍りしていた。

 帰宅すると、フランス人形が笑顔で僕を迎えてくれた。


 ◆◆◆


 僕は少しずつ、をすることにした。

 いじめグループの周辺にいたやつらを呪い殺していく。

 僕が辱められる姿を笑っていたやつを呪い殺していく。

 少しずつ、教室から人が減っていった。

 呪っていないやつも多少休んだが、彼らが帰ってきたときには、素晴らしい教室になっているだろう。

 僕は掃除を続けた。

 僕は綺麗好きなんだ。


 掃除といえば、世の中にはゴミが多い。

 ゴミ拾いは美徳だろう。

 だから、僕は外でも積極的にゴミを始末することにした。

 手元のスマホに夢中で前を見ないだけでも許しがたい。そのうえ、ぶつかってきて、舌打ちまでするなんて……これはゴミだ。

 電車で降りる乗客を待たずに乗り込もうとするやつ、これもゴミだ。

 背中のリュックをふりまわすやつ、ゴミとしかいいようがない。

 僕は綺麗好きなんだ。


 休日は公園に足を伸ばした。

 立入禁止のところに入って、釣りをしているやつらは片付けないといけない。

 自転車で歩行者の横を走り抜けていくやつは片付けてしかるべきだ。

 横断歩道で手を挙げる小学生の前でアクセルをふむやつら、歩行者優先というルールは教習所では習わないのだろうか。こんなゴミも、横断歩道でぎりぎりまで近づいてやれば、片付けられる。


 こづかいを奪われることがなくなった僕は、好きなことにお金をかけられるようになった。

 好きだったアイドルの握手会というのにも行ってみた。

 疲れているのはわかる。

 でも、僕はお金を払って、ここに来ているんだ。

 そんな対応のために、休日に電車に乗ってやってきたんじゃない。

 好きだったものが色褪せてしまうと、それはゴミでしかない。


 どこでも掃除をする。

 学校は人が減って、とても綺麗になった。

 もちろん、掃除当番をサボるやつも片付けておいた。

 ちゃんと授業をしない教師も片付けないといけない。

 僕を急に指すやつも、教育者失格だ。

 教育というのは伸ばすためにおこなうのだろう。

 僕にあたふたさせるために指名するようなやつはゴミでしかないんだ。


 校内である日、ぶつかった先輩が、土下座しかねない勢いで僕に謝ってきた。

 「どうしたんですか。おかしくないですか。別にごめんの一言でいいでしょう?」

 僕の言葉に先輩は地面に擦り付ける。

 「いや、そんなものじゃすまない。本当に俺が悪かった。頼むから、見逃してくれ」

 「見逃すもなにも、僕みたいな人畜無害の人間をどうして恐れるのですか」

 頭を擦り付ける先輩を見つめる後ろから「呪いの人形」というささやき声がした。

 僕はきっと振り返る。

 廊下にいた人間が一斉に目をそらす。

 僕はゆっくりと振り返ると、先輩に尋ねる。

 「すみません。呪いの人形というのは、何を指していっているんですか」

 先輩が涙目になって、説明する。

 ゴミだゴミ。

 僕は振り返ると、目をそらした一団のところに走っていく。

 悲鳴があがった。


 ◆◆◆


 気がつけば、僕のまわりからは人がいなくなっていた。

 僕のことをコケシと笑うやつはもういない。

 両親はすでに二人とも鬼籍に入っていた。

 ゴミみたいなことをするから、いけないのだ。

 僕の視線はメデューサのそれのように恐れられ、避けられた。

 僕に見つめられても動じず、見返してくるのは、部屋にあるフランス人形だけだ。

 

 僕は綺麗好きだ。

 ゴミはあってはならない。

 「僕を殺せ」

 フランス人形がにっと笑った気がした。

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