34 拝み屋稼業

 ふだを燃やす。

 灰を盃に入れる。

 少し目を細め、皺くちゃのババアを見つめながら、うなずく。

 ババアが飲み終えたあとに、真言を唱える。

 最後にババアの肩をパンと叩く。

 化粧と香水、ババアの口臭が漂う。

 俺はとっておきの笑顔を作ってやる。

 「さぁ、これで大丈夫。ええ、旦那さんのかつての不倫相手の霊は近寄ってこられません。でも、念のためにお守りを作っておきましょうか」

 多少、値ははるものですが……、ババアの目を見つめる。

 混乱と怯えでコーティングされた瞳には優しい笑顔を浮かべる俺が映っている。

 ババアは金を出すだろう。


 ◆◆◆


 もともとは研究者を志していた。

 信念がいかにして形成されていくかを明らかにしようというのが、俺の研究テーマであった。

 宗教学という学問分野は文学部の中でも、売れ残りやすいところであるということは知っていた。

 虚学と蔑まれ、就職もなく、蔑まれ続けた俺は自分の学んできたことで、実学の方々からお金をいただくことにした。

 カミさまをつくり、富の再分配をおこなうと同時に、俺の学んできたことが役に立つことを証明する。

 偽の拝み屋稼業は、俺の天職だった。


 ◆◆◆


 この仕事は、一度の上がりが大きい。

 だが、収入がない日が続くこともある。

 だから、常に鴨は大歓迎だ。

 今日は中年の夫婦がやってきた。

 夫も妻も仕立ての良さそうな服を来ている。

 しかし、夫はうつむきがちで、妻のほつれた髪は明らかにファッションではない。

 ふたりとも顔色が悪いあたりも最高だ。


 俺は営業用の笑顔を作ると、二人を事務所に迎え入れる。

 俺は挨拶をして名刺を差し出す。相手はあわててポケットをまさぐり、自分の名刺も出した。釣られてやんの。

 休日にいんちき霊能者詣でするのに、名刺もってくるとは、なかなかおめでたいやつだ。

 幸先が良い。

 俺はすばやく名前と会社に目を走らせる。


 もちろん、相談フォーム上で名前と生年月日は記入させてある。

 姓名判断、四柱推命、それらしきことばを書いておくと、怪しまれない。

 それをもとに、ネット上で情報を探す。


 名刺はそれが正しいものであったかの最後の確認である。

 ここで、確認が取れればあとは安全に金を絞れる。

 

 アホどもは自分のキラキラした情報を載せたがる。

 飽きたって、どんぐりをどこに埋めたか忘れるレベルのアホどもだから、大抵は残っている。

 俺はやつらがウェブ上に残した痕跡から推測できることをそれとなく匂わせてやるだけだ。

 そうすれば、アホは勝手に答える。


 「今日は奥様の体調が優れないというご相談でしたね」

 これは事前にフォームに記入されたものだ。

 力なくうなずく二人に向かって、俺は優しく声をかける。

 「お辛かったでしょうね。霊が関わってくると、近代医学でもなんとかならないことがあるものです。私も自分が霊障にあったとき、霊障自体を信じられずに長いこと、苦しみました」

 いくらアホどもとはいえ、体調が悪くて最初に俺のところにくるほどのアホはいない。

 俺みたいな胡散臭いやつのところに来るのは、最後の最後。

 ましてや、名刺に書いてあった通り――俺は元より知っていたことだが――大手製薬会社の研究者なんて立場なら、なおさらだ。よほどのことがない限り、俺のところなんぞに来ない。

 だから、それをしっかりと受け止めて、自分も同じ境遇だったことを示し、共感を得るのが大切だ。

 まぁ、俺は霊障以前に大病もしたことないけどな。

 

 この二人はどちらもSNSに登録している。

 随分前に更新は途絶えているが、それも含めて、大事な手がかりだ。


 「男のかな、いや、女の子かな……ごめんなさい、赤ん坊の性別というのは、どうにもわかりにくいものでして……」

 女のほうがびくりとしてから、「……男の子です、■■■」と消え入りそうな声で答えた。

 二人に子どもはいない。いた形跡もない。

 しかし、過去の写真ではひと目でわかる程度に女の腹は出ていた。

 これが意味するところは……。


 「お子様は、苦しんでいます。この世を見ることができなかったことは、彼らにとって苦しみなのです。お父様、お母様に何かしらの恨みがあるわけではありません。それでも、痛い痛いと泣くとお母様にその痛みが伝わってしまうのです。お腹の中に宿していた子ですから……」

 俺は目を伏せる。懐から手ぬぐいを取り出して、そっと顔を拭う。

 そっと拭うのが肝だ。

 この距離だ。「こっそり涙を拭う」俺の姿は否が応でも目に入るのだ。

 俺は彼らの望む物語を与え、ともに悲しむ。

 一種のセラピストだ。


 「まずは、これで■■■ちゃんの苦しみを少しでも和らげましょう」

 俺はあらかじめ用意してあったコケシを出す。

 モノはしっかりとした民芸品だ。ここらへんであまり安物を出すと、物語は崩れてしまう。

 五〇〇〇円前後で仕入れたコケシを三万円で売る。


 「仏師に頼んで作らせたものに、こちらで祈祷を施してありますゆえに多少、値ははりますが……」

 値ははるというが、大した値段ではない。事前の調査と面談、祈祷に五〇〇〇円のコケシつき、出血大サービスと言っても良い。

 ここで躊躇するようなやつは帰ってもらったほうが良い。

 このコケシは「霊の世界」への入場券みたいなものだ。

 中にアトラクションはたくさんあるし、これから、どんどん高くなるのだ。


 今回も相手は一瞬で食らいついた。

 お買い上げありがとうございます。ようこそ、インチキ霊能ランドへ。


 「供養に時間はかかりますが、まずは一度、ご祈祷をあげさせていただきます」

 俺は護摩を焚き、真言を唱える。

 祈祷のあと、夫が財布を取り出したところで、俺は首をふる。

 今回はコケシ代だけで十分だ。ここで祈祷料までもらうと、その後の実入りが悪くなる可能性が高いからな。

 「必要だから、おこなったまでです。次回以降、お心付けはありがたく受け取りますが、今回はお気持ちだけで勘弁してください。お気持ちだけをありがたくいただきます」

 俺は二人の手を取り、しっかりと握る。

 ああ、こいつ、鼻水たらしやがった。きったねぇなぁ。


 客にはこのまま次回の予約をしてもらう。

 夫婦は来たときと同じく肩を落として帰っていく。

 一回で元気になってもらっては困る。

 そもそも、セラピーというのは、いきなり効くものではないのだ。

 それにネギを背負った鴨はじっくりと堪能しなければならない。


 それなのに、鴨ネギ夫婦からの連絡はなかった。

 こちらから連絡してもつながらなかった。

 何度目かの電話の後、俺はネットで家事のニュースを見かけた。

 住所が夫婦の家のあたりだったので開いてみると、一軒家で火事があって、住人の夫婦が行方不明になっているというものだった。

 住所も一緒、年頃も同じ、三つ目に開いたニュース記事では名前も出ていた。

 もちろん、彼らの名前だった。

 俺は悲しんだ。

 大事な鴨がさばく前に焼け死んでしまったことに。

 これから、じっくりと頂く予定だったのに。


 ◆◆◆

 

 夢を見た。

 焼け死んだ鴨ネギ夫婦が相談に来ている。

 俺は目の前で相談を受けているのに、夫婦の話す内容は聞き取れない。

 だから、相談内容もよくわからないが、夫婦は元気そうだ。

 妻の方は子どもを抱え、元気そうに話している。

 「ほら」

 そこだけ聞き取れた。

 子供の顔が見えそうになる瞬間に目が覚めた。


 奇妙な夢だった。

 しかし、奇妙でない夢などない。

 だから、気にもとめなかった。

 同様の夢が続くことがなければ、すぐに忘れたことだろう。


 寝るたびに、俺は夫婦の相談にのっている。

 毎回、子どもの顔が見える直前で目が覚める。

 さすがに気味が悪くなったが、毎晩の夢はそれでも続いた。


 ある晩、とうとう、おくるみに包まれた子どもの顔が見えた。

 腐って半分崩れ落ちた赤ん坊がそこにいた。

 赤ん坊が崩れかけたまぶたをひらき、妻が目を見開き、夫が立ち上がる。

 俺はなんとか目を覚ますことができた。


 俺は眠るのが恐ろしくなった。

 いつしか、夢の中では夫婦と子どもが追いかけてくるようになった。

 毎晩、俺は追いかけられる。

 毎晩、手が届く前に目を覚ますことができている。

 しかし、あの家族の手は少しずつ近づいている。

 いつしか、俺は捕まるだろう。

 そのとき、俺はどうなってしまうのか。


 俺は本物の拝み屋を探すことにした。

 俺のような偽物だって、いや、俺のような偽物こそ、業界の情報には詳しい。

 ツテをたどり、「同業者」を選り分け、本物を探す。

 公園の砂場で砂金を探したほうがまだマシなのではないかと思えてくる日々、彼らの手が俺に数ミリ近づくたびに、俺の身体から肉が削げ落ちていった。

 そうして、鏡の中の俺が骨に皮をはった不気味なものになったころ、ようやく本物とおぼしき男を見つけることができた。


 ◆◆◆


 「あんたぁ、結構あくどいこと、してきたね」

 開口一番、拝み屋は言い放った。

 そんなことはわかっている。

 だが、俺だけじゃない。

 「同業者」はたくさんいる。

 「そのとおりだ。あんたら、危ない橋を渡りすぎだよ。だから、定期的にぼとりぼとりと下に落ちていくのさ」

 別に俺たちだけじゃないだろう?

 自分だけ得しよう、自分さえ良ければというやつばかりじゃないか。

 「ああ、そうだね。あたしゃ、あくどいことするなとは言ってないさ。あくどいことするなら、ちゃんと危なさを認識しておかないといけねぇってことだよ。ほら、あれだ、カタカナでいうとリスクヘッジってやつ」

 こんなことが起こるなんて思わなかったんだ。

 霊やカミなんて人間の思い込みの産物だろう。

 「カミさんで商売するってぇのは、危ないもんだからねぇ。あたしも気をつけなきゃいけないねぇ、ほら、もうそこに」

 助けてくれよ。なんとかしてくれよ。金なら払う。

 「と、言われても、手遅れのものはどうしようもない。あんたは踏み越えちゃいけないところに知らずに入っていったんだよ」

 

 拝み屋がほらと俺の背後を指差す。

 そこには腐った赤子を抱いた夫婦がたたずんでいた。


 「生まれてくることのできなかったこの子に聞いたんです」

 「私の身体が弱かったために、■■■は生まれる前に死んでしまったのって」

 「賽の河原で苦しんでいるのかって」

 「私たちが助けに行くから」

 「僕たちが死んで助けに行くから」

 赤子の崩れかけたまぶたが開く。

 濁った目がこちらを見つめる。

 「よくも父さん、母さんを殺したな」

 

 すがりつく妻を突き飛ばす。

 つかみかかってくる夫を蹴飛ばそうとしたときに、妻が足にしがみつく。

 転んだ俺の横で、赤ん坊の顔がどろりと崩れた。


 子守唄が聞こえる。

 子守唄が真っ黒な穴の中から聞こえる。

 

 俺もあそこに行くのか。

 ああ……。

 せめて、俺も悪霊にでもならせろよ。この世のすべてを呪いつくしてやるからよ。

 俺は暗い穴に引きずり込まれていく足とそこにすがりつく一家を見つめながらつぶやく。


 ◆◆◆


 「いえいえ、お代は結構です。別件であれの始末を頼まれていましたからね。あれ、なんていいましたっけ、カタカナでギブアンドテイクってやつですよ」

 拝み屋が黒い穴に向かって頭を下げる中、穴は閉じていく。

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