32 窃視
男には誰にも言えない趣味があった。
無防備な異性の姿を見たいというもの、いわゆるのぞき趣味というやつだ。
何がきっかけだったか。
中学生のとき、同級生が着替えている場面をたまたま見てしまったあたりだろう。
男の視線に気がつかずに、裸体をさらす彼女たちを見たときに、男は生まれて初めての性的興奮を自覚させられた。
スマートフォンさえあれば……男は目の前で繰り広げられている素晴らしい光景を保存する欲望にかられた。
親にねだると、学年一桁の順位を取ったらと条件をつけられた。
男の席次は、どちらかといえば、下から数えたほうが楽な位置にあった。親としては、体よく拒絶の意思を示しながら、万が一という期待もしていたのかもしれない。男は万が一の期待に応えた。知識欲ではなく、性欲のためにひたすら勉学に励み、報奨を勝ち取ったのである。
この報奨は容易に剥奪されかねないものであったから、男はたゆまず勉学に励んだ。
彼のコレクションは知り合いに見られたら、何もかも終わりとなる代物だ。
社会的に終わるものだし、なによりも、自分の姿を隠したまま、無防備な相手の姿を眺めるという欲望の根幹が崩れ去ってしまうのだ。
男はそれを何より恐れ、コレクション隠匿の手口を探った。
ただ、コレクション自体は誇りたいものである。
ウェブ空間を彷徨ううちに、男はクラウド上にコレクションを隠匿し、同時にいくつかの匿名掲示板で同好の士と交流を持つようになった。
男は窃視という欲望のための努力を惜しむことはなく、それゆえにコレクションは膨大な数になっていった。
バレたら社会的に終わりなのは当たり前だ。しかし、それよりも問題なのは情欲的にも終わりだということである。自分の姿を隠したまま、相手を見つめることが彼の欲望なのだ。ゆえに男は努力を続け、社会的にもまずまずの成功をおさめた。
◆◆◆
男はストーリーを重視する。
無防備だからこそ見せる姿、そこに出てくる自然な姿、隠している姿、他者との交わりは、彼女たちの日常生活があってこそ成立する。
それゆえ、彼は密かに見つめる相手を徹底的に調べていく。
それは彼にとって、とても大事なことであったが、続けていくうちにルーチンワークのようになってしまった。大事なことであっても、これでは喜びも心から漏れ出してしまう。そのようなときに彼は一つのことを思いついた。
この無防備な姿を本人に見せつけたら、どうなるのだろう。
自分がどこからか密かに見られていることを知ったときに、彼女はどのような表情を見せるだろう。
最初のうちは、妄想の中で楽しむだけであった。
しかし、男の欲望には限度がなかった。
だから、実行した。
そのころ、彼が見つめていたのは近所の女子大生だった。
上京してきた彼女は、おとなしそうな見た目ながらも二年目にして、告白され、たまに部屋に男がくるようになり、ぎこちなく身体を合わせるようになっていったところだった。
彼女の生活パターンを男は完璧に把握していたから、彼女以外が手に取ることがないようなタイミングでポストに封筒を投函し、彼女がその中を見つめる様子を堪能した。
期待以上の表情に男はたいそう満足したが、しばらくして彼女が姿を消したのは少し残念だった。
引っ越してしまったのだろうか。
「どちらにせよ、いつか引っ越していくのだ。その前に〈収穫〉できたことを良しとしようではないか」
男は一連の流れを同好の士だけ集うウェブサイト上で展示をおこなった。
性欲だけではなく自己承認欲求も満たされ、男は絶頂に達した。
◆◆◆
その後も男は念入りに獲物を選び、丁寧に見つめ、丹念に記録を取り、収穫し続けた。
ある日、男が巡回している同好の士のコミュニティ上に、何枚かの写真がアップロードされた。
どこかで見覚えがあるが、男を満足させるような被写体がない一連の写真を男は丹念に見続けた。
それはどこかにお宝が眠っていると思ったからであり、同時にこれが何かを知りたいと思ったからだ。
お宝を見つけることはできなかったし、何かを知ることもできなかったが、どこで撮ったものかは、ほどなくしてわかった。
見覚えのある風景が並んだ写真が男の家の近辺で撮影されたものであったのだ。
このような写真がネット上の巡回先のどこでも見られるようになった頃、男が不気味に思うようになったのは当然だ。
意味不明な風景写真ではなく、皆が撮った力作を披露する場であることを、男は主張した。
当然、男の主張はコミュニティの賛意を得て、意味不明な写真のアップロード者には警告が送られた。
アップロード者は警告に対して、ことばで反応はしなかった。
しかし、彼あるいは彼女が警告を理解していることは、その後、アップロードされた写真で皆知り得ることができた。
誰かの個室の写真、窃視者たちが切望するプライベート空間が映し出されたからだ。
窃視者たちは歓喜のことばでアップロード者を褒め称え、続きを望んだ。
男もいつもはその流れに乗る。
今回はできなかった。
そのプライベート空間が今、自分が座っているこの場所だったからだ。
男はこの卑劣な行為をやめさせたいと思った。しかし、どのようなことばを紡げばよいのかわからない。
手がいつになく汗ばみ、その汗がキーボードを湿らせはじめる中、写真は次々とアップロードされていく。
すべてが自分の部屋だ。
あの玄関も、あの椅子も、あの机も、あのカレンダーも何もかも見覚えがある。
写真の中で薄暗く光るモニタとキーボードは男が今現在見ているモニタと触っているキーボードなのだ。
動画が投稿される、写真が投稿される。
男がだらしくなく寝ている姿を写したjpgファイル。
男が鼻をほじるgifファイル。
男がモニタを前にうめくmp4ファイル。
男は混乱した。密かに他者を盗み見るのは、自分の特権であるのに、盗み見る自分が密かに窃視されているのだ。その事実は男の欲望を打ち砕き、また、当然のことながら、男を恐怖と混乱の渦に蹴り落とした。
とりあえずPCを切ろう。
この先、何が起こるかわからないが、とりあえずは電源を落とそう。
男はシャットダウンを試みるが、PCは反応しない。
男の意思に反して、ただ、ひたすら男が隠してきた姿、誰にも見られたくないプライベートな姿をダウンロードしつづける。
男がキーボードをむなしく叩く中、持ち主を無視したPCはスライドショーをはじめた。
飯を食っている。モニタに向かっている。トイレに入っている。自慰行為にふけっている。いびきをかいて寝ている。
カップラーメンにお湯をそそいでいる。お気に入りの作品を整理している。髭をそっている。アイロンをかけている。風呂場で髪を洗っている。
スライドショーは風呂場の場面でストップした。
風呂場で髪を洗っている男の前には鏡があった。
鏡はかすかに曇りながらも撮影者を映し出している。
風呂場の天井からロープでぶらさがっている女。
青黒い顔、飛び出た目のせいで、かつての可憐さはかけらもないが、あのときの面影をかすかに残した女。
男がかつて〈収穫〉と称して、盗み撮った姿を送りつけた女。
突然姿を消したあの女。
◆◆◆
ここから逃げなくてはいけない。
男の口から呼気がもれた。
呼気がひゅーひゅーという音から悲鳴にかわったとき、男はようやく動けるようになった。
モニタに何かがかすかに映っている。
ゆらりゆらりとゆれるそれが何か、見つめるのは嫌だ。
それでも、振り向けば、それが何かわかってしまうだろう。
振り向きたくない。それでも部屋から出るためには振り向かねばならない。
男が振り向いたとき、そこにいるのは……、
当然、天井からぶらさがった女。
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