30 ヤマイの人形
「あら、こんなところに綺麗なお人形。ねぇ、あなた、これは何なのかしらね」
油断だった。
俺だって忘れていた。
でも、ここで育っていれば、当たり前のことで、少なくともあれに近づいたりはしない。
だが、彼女は外からやってきた。
浮かれすぎていて、山歩きの注意をしなかった。
ああ、なんてことだよ、くそっ!
◆◆◆
僕が部室に行くと、
恋愛小説を好んで書く彼女は、いつもそっけない。
どうやら、ホラー小説家を目指す僕のことを苦手としているらしい。
僕としてはお近づきになりたい。
彼女は綺麗な顔をしているし、実家がものすごい僻地の集落というのもポイントが高い。
だって、リアル因習村だろ。やばい奇祭とか、どろどろの人間関係とか、そういうのばっかりなんだろ。面白すぎるだろ。
色々と聞かせてほしいけれど、聞こうとするとすっと逃げていってしまう。
それが、今日は違った。
彼女の方から話しかけてきたのだ。
「田仲くん、夏休み、どうするの?」
予定を聞かれるなんて思ってもみなかった僕は、気まずい沈黙を焦って打ち消そうとする。
「あ、え、いや、まだ予定は決めていないんだ。どこか取材に……あ、一像さんのとこに取材に行っちゃうとか」
僕は何を言っているのだ。
彼女の返事がもう少し遅かったら、僕は自分のことを殴っていただろう。
「……うん、いいよ」
え、良いの?
僕は言葉を発さなかったが、彼女は僕の言いたかったことを理解したらしい。
こくりと可愛らしくうなずくと、形の良い唇から言葉を発した。
「だって、田仲くん、私の実家のことに興味津々だったでしょ……だから、いいよ」
僕はドア横に据えてあるハンガーラックをつかんだ。
何かをつかんでいないと、宙に浮きそうなくらいに僕は舞い上がっている。
「わかってもらえて嬉しいよ。あのさ、僕は君の実家が田舎だってこと、バカにしてるわけじゃないんだ。すごいじゃん、因習村だよ。都会の人間では理解できないようなやばい祭りとかやってたり、前時代的な人間関係とか座敷牢とかありそうじゃん。すごいって。僕が代わりに住みたいぐらいだよ」
彼女が少し沈黙した後に言った。
「私の家に婿にでも入る? そしたら、夢の暮らしが待っているよ」
僕は夢想する。
古い蔵のある家で文机に向かう僕、もちろん、着物だ。
一像がお茶を運んできてくれる。雑誌の取材がくる。
僕は僕の輝かしい未来を幻視する。
ああ、頬がとても熱い。
◆◆◆
「乗り遅れると、ここで野宿だよ」
そう言われて慌てて乗り込んだ列車が単線をごとごとと走る。
揺られてたどり着いたの無人の駅舎でしばらく待つと夕焼けの光を反射させた軽トラックがやってきた。
よく聞き取れないことばを正実が通訳してくれる。
この可愛らしい顔が、奇妙な方言を喋っている姿は、ギャップ萌えとでもいうのだろうか。
これだけで色々とはかどろうというものだ。
「私たちは荷台だよ」
軽トラの荷台に軽やかに登った彼女は、僕に手を差し伸べる。
身を乗り出すようにして手を伸ばす彼女の胸元から目をそらし、同時に心に焼き付け、僕は彼女の手を取る。
ひんやりとした彼女の指が僕の熱を吸い取るような気がした。
「いつまで手を握っているのかしら?」
顔を赤くした正実は最高に可愛らしい。
軽トラが走る。
駅舎が見えなくなる前に路上からアスファルトが消えた。
舗装されていない道を進む軽トラはときに大きく跳ねながら進む。
広葉樹林のトンネルをくぐり抜けると、小さな石像が見える。
軽トラは停まると、運転席から、また聞き取れない言葉が流れてくる。
「これはね、集落の守神さまだよ。中に入る前に挨拶をしないといけないの。荷物は家に運んでおいてくれるって」
飛び降りるときに風に舞う長いスカート、そこから見える細い足を僕は記憶に刻みこむ。風にはもう少し頑張ってほしかった。
古民家、いや、昔話に出てくるような家といったほうがしっくりくる。
そんな家が並ぶ因習村。
「過疎地だけどね、まだまだ、そこそこ人は住んでいるんだよ」
「ねぇ、一像さ……」
正実は僕の唇にふれるかふれないかのところで人差し指をたてる。
「ここはね、みんな同じ苗字なの。苗字で呼ぶと、みんなが振り返っちゃうの。うちの屋号はホンケマエっていうんだけど、それで呼ぶと、今度はうちの家族がみんな振り返っちゃうね……だから……」
名前で呼んでほしいという正実の顔は赤みを帯びているように見えた。
正実の言葉以外は本当に何を言っているのかわからない。
そこに返す正実の言葉もよくわからない。
僕は幻視した未来を少しだけ修正する。
僕たちに子どもができたら、その子は都会で育てた方が良い。
「何言っているのか、よくわからないけど、雰囲気あって良いよね」
「田仲くんもわかるようにならないとだめだよ」
微笑む正実はとても愛らしい。
僕の寝る場所が客間で、正実は別の場所で寝ると聞いた時は、正直なところ心底落胆した。
いや、ここから夜這いの展開があるのかもしれないと自分に言い聞かせたが、それもなく再度落胆した。
まぁ、僕たちのはじめてはもう少しロマンチックな場所でおこなわれるべきだろう。
恋愛小説を書く正実なのだ。
こんな因習村でなんて嫌なのだろう。
◆◆◆
「今日はね、近所を散策しようよ。田仲くんの小説の取材にもなるでしょ?」
朝食の後、正実が言った。
朝の日差しにかすかに透ける白いワンピースがまぶしかった。
僕は気づかれないように気をつけながらも、山路を先導してくれる彼女の後ろ姿を堪能する。
「どう? 田仲くんの創作意欲をかきたてるものはありそう?」
正実が振り返る。
僕はあわてて目をそらす。
「どうだろうね。ただの山路ではなく、何か怪しげなものでも置かれていればねぇ」
「たとえば、ああいうやつでいいのかな?」
彼女が指さした先には、木の根元で半分くちかけた人形が置いてある。
正実は近寄ろうとする僕を細い腕でとどめて、人形に唾をはきかける。
清楚で穏やかな印象を与える彼女の豹変した姿に僕は驚く。
でも、振り返った彼女はいつもどおりに戻っていた。
「こうしないとついてこられちゃうからね。田仲くんがこんなところで病気になったら嫌だからね」
人形に唾を吐きかけろと言う彼女にしたがう。
塗装の一部剥がれた人形の顔を僕の唾が流れていく。
「なんなの、これ?」
僕はどきどきして、メモ帳を取り出す。
やっぱ、まじで因習村じゃん。
最高だよ。
「ヤマイの人形って言ってね……」
正実の話は、面白かった。
陽光に透ける彼女の服のことを少しの間忘れるくらいに。
◆◆◆
ここらあたりにはね、悪いものがいて、それが人を病気にするって言われているの。
病気になった人は、病気というか悪いものをを人形に移して、それを山に戻すの。
捨てられた人形には、悪いものが宿りっぱなしで、それは寂しくて仕方がないんだって。
寂しくて仕方がないから、人形は山の中でもいつのまにか人目につくところに移動している。
しっかりと拒否しないと、再び人間のところに戻ってこようとする。
だからね、きっちり拒否しないといけないの。
勘違いしないように拒否しないといけないの。
◆◆◆
「それでさ、病気って具体的にどんな風になるんだい?」
やせ衰えていくのか、精神的に変調するのか。
どちらでも面白い。いいネタになる。もっと知りたい。
「知りたい? じゃあ、行こうか?」
正実が僕の手を取る。
「でも、ちょっと刺激が強いかも」
田仲くんは異性の裸を見たことがあるという正実の言葉は幻聴なのだろうか。
僕は夢と現の合間を縫うようにして山を下りる。
連れてこられたのは正実の実家の背後にある大きな屋敷だった。
敷地内の目立たぬところには離れがあった。
「ホンケのおにいちゃんところにはね、最近、外から若いひとが嫁いできたんだよ。だから、ここは新婚さんの愛の巣ってわけ」
正実が笑顔で説明する。
僕は僕たちが目の前にある離れで新婚生活を思い浮かべる。
ただ、それにしては、ちょっと狭いな。
それに薄暗い。
奥の部屋で誰かが咳き込んだ。
正実がふすまをあけると、そこには一人の若い女性が伏していた。
「お姉さん、お見舞いにきました」
正実が僕にもわかる言葉で女性に話しかけた。
聞き取り不能な方言でないということは、この人が外から嫁いできた人らしい。
線が細く、色白な綺麗な人だ。
やつれていなければ、皆が、やつれていても大抵の男は振り向くだろう美人であった。
女性は正実に礼を言うと、僕に挨拶をした。
「お姉さんは、大きな声を出すの大変だから、もう少し近くに座ってあげて」
僕は言われるがままに、彼女のかたわらに座る。
白い両手が僕の手をつかみ、僕は礼を言われる。
こんな因習村に嫁いでしまって寂しかったんだろうか。
どきどきしながらも、とりとめのないことを考えていた僕の手を彼女は自分の浴衣の中に持っていこうとする。
その瞬間、とりとめのない考えはどこかに飛び散り、心臓がばくばくと音をたてはじめた。
「お姉さん」の火照った白い肌、すべすべしていて、とてもいい匂いが僕のところに漂ってくる。
どういう展開なのだろう。
僕は自分のパソコンに隠し持っている動画を思いだす。
助けを求めようとしたのではない。
喜びを顔に出さないようにしながら、僕は正実のほうを振り返る。
正実は僕たちを見ても、にこやかなままだ。
「田仲くんが嫌でなければ、彼女の言う通りにしてあげて」
彼女はそう言うと、僕の手のひらに自分の手のひらを添えて、背中の方にすべらせていく。
僕は視界のはしにちらつく「お姉さん」の胸元を、背中にあたる正実の胸の感触を心に刻む。
やっぱり、因習村だよ。
「お姉さん」は身を少しよじらせて背中を向ける。
正実の意思に操られた手が「お姉さん」の浴衣を脱がしていく。
途中から、正実は手を離したが、僕の手はもう止まらなかった。
白い背中が少しずつスローモーションでひろがっていく。
白い背中の真ん中にある小さな顔がこちらを向いてにやりと笑った……。
「これはね、賢くて、一度人形で騙されると、もう二度と人形には移ってくれない。別のほんものの人間に移してやらないとならなくなるの」
正実はもう笑っていない。
「ちゃんと拒否しないといけないって言ったよね」
正実の言葉に僕はうなずくことしかできない。
僕は動くことができなかった。
何かが僕の背中で僕には聞き取れない言葉をささやき続けている。
「君とそれ、似ているよね。私の故郷を因習村とか小馬鹿にして消費して。あなたのこと、心底、嫌いなのに、いつも気持ち悪くからんできて。ほんと、おかしいよね。そんなので好かれるとかどうして思えるの? あなたなんて大嫌い。あなたにはそれがお似合いよ」
正実の唾が僕の頬を濡らした。
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