29 ダルい

 多分、四軒目だったと思う。

 揺れる視界の片隅に薄汚れた黒い塊が入ってきた。

 酒で馬鹿になっている鼻でなければ、嗅覚でとらえることができたであろう。

 空き缶を詰めた袋を傍らに置いて座るそれに俺はけつまずいた。

 衝撃でそれが大事に抱えていたサンドイッチは地面に転がった。

 たいして具も入っていないであろう。

 俺の足型がついても、地面に毒々しい黄色い卵サラダが申し訳程度にはみでるくらいだった。

 俺が悪いことくらいわかっている。

 それでも、なんの生産性もないそれに謝るなんてできなかった。

 「どうせ、ゴミかなんか漁ってるんだろ。ちょっと汚れたって食えるだろ」

 酒のせいか、黙っているのに訴えかけてくるそれの視線のせいか。

 俺は周りが振り向くような大声を相手に投げかけてから、歩き去った。

 後ろからつかみかかってくるかとおもったが、何もなく、すすり泣きだけが聞こえた。


 ◆◆◆


 翌週、それに再会したときの俺は素面だった。

 身体をまるめて、道端に転がっていた。

 それは俺を憶えていたらしい。

 今度は声をかけてきた。

 「ひもじいんだ。ごめん、ほんの少しでいいから、食べ物か、それを買う小銭をください」

 何をいっていやがる。

 そのままくたばってろ、空き缶集めで働いているつもりかもしれないが、それ資源の抜き取りだからな。

 役に立たないものに席とかないから。

 俺はすがるように差し伸べられる手をすっと避ける。

 今日は素面だからな。

 臭い手で俺を触ろうとするなよ。


 しばらくして、同じところを通りかかったとき、俺はそこに供えられている花を見つけた。

 花の傍らにはワンカップと味噌汁、おにぎりも置かれていた。

 

 死んだのか。

 でも、それはいつでも、どこでもあること。

 ただの自己責任ってやつだ。


 そもそも、供えものなんかするやつもおかしいだろ。

 だったら、死ぬ前に餌付けしておけよ。

 俺に対するあてつけかよ。

 無性に腹がたった俺は、花束を蹴飛ばした。

 こんなところに、コンビニのおにぎりとか置いたら、腐るだろ。

 だったら、土に還してやるよ。

 かかとを中心に置いて、全体重をかける。

 フィルムの糊がはがれて、海苔がはじけ散る。コメと具は細い隙間からニキビの膿のように出た。

 かかとをふりあげて、カップの味噌汁をふみつぶす。ぐしゃりと嫌な音をたてて、粉と乾燥した具が風に舞う。

 汚いったらありゃしない。

 俺は植え込みの端に、諸々のゴミを蹴り込むと、ブロックに靴のかかとをこすりつけた。


 翌日も俺はゴミを植え込みに蹴り込んだ。

 翌々日も蹴り込む。

 四日目、蹴り飛ばしてから、植え込みの土に握り飯のコメをかかとですりこみ、唾を吐いたところで、膝がかくっと折れ曲がった。

 急に目の前から光が消えていく。

 街なかの音が遠くに聞こえる。

 身体中の力が抜ける。

 だるい、いや、だるいだけではない。

 とてつもなく、腹が減っていた。

 腹の奥が空腹で痛む。

 動くことすらできない。

 霞む目の前にあるのは、たまごサンド。

 俺は必死で手を伸ばす。


 俺の手が届く寸前でたまごサンドが無惨につぶれる。

 穴の空いた靴、ガムテープで補修したが、補修しきれていない靴。

 隙間から厚手の敗れた靴下が見える靴が、たまごサンドを潰す。

 俺はなんとか眼球だけを動かす。

 俺を見つめるそれの冷たい視線。

 

 土まじりのたまごサンド、土混じりの握り飯。

 俺はそれでもそいつを口に放り込もうとする。

 哄笑がきこえる。


 ◆◆◆


 【大学生死亡。栄養失調か】


 ■日未明、S区●●の路上で、20代男性が倒れているのを通行人が通報。男性は病院に救急搬送されたが、搬送先で死亡が確認された。

 S署によると、男性は都内の大学に通う21歳の男性。目立った外傷はなく、死因は栄養失調とみられる。

 ただ、無理なダイエットなどをしているようにはみえなかったと知人は証言しており、詳細は不明である。

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