26 ばあちゃんの人形

 母方の実家には、「ばあちゃん」が二人いた。

 俺はとくに疑問にも思わなかった。

 母の実家は旧家である。同じ苗字ばかりで屋号で呼び合うような集落で「本家」と呼ばれているところだった。

 住宅地の小さな一軒家に住んでいた父方の祖父母の家――こちらの「ばあちゃん」は当然一人だ――とは別世界みたいなところで、Tの本家には「ばあちゃん」が二人いるのは別におかしくなかったのだ。

 外孫の俺にとって、空港から山を三つ越えてようやく辿り着く「田舎」は別世界であった。


 ◆◆◆


 「表のばあちゃん」は目鼻立ちがすっきりした人で歳の割には皺もすくなかった。

 反面、「奥のばあちゃん」は皺の合間に目をしまいこんだかのようであり、地味な顔立ちであった。

 どちらも俺をかわいがってくれたが、表のばあちゃんはじいちゃんの世話と本家の切り盛りで忙しく、かまってもらえないことも多かった。

 T集落の子どもたちの中で、俺は年下のほうだった。

 普段から常に同じところで過ごしている「親戚のお兄ちゃん、お姉ちゃん」たちについていけないことも多かった俺は、自然と奥のばあちゃんに遊んでもらうことも多かった。

 奥のおばあちゃんのカビ臭い部屋をおとずれるものは少なく、「オミソ」の俺と寂しい奥のばあちゃんは、よく部屋で遊んだものだった。

 遊んだといっても、カビ臭い部屋でお菓子をもらって食べたり、もらった小遣いで買ったおもちゃで遊ぶくらいだった。

 奥のばあちゃんはこんな俺を皺の間に埋まったただでさえ細い目をさらに細めて見ているのだった。

 皺で表情はわからないが、微笑んでいるらしかった。

 奥のばあちゃんは、血の繋がりもない俺を本当によくかわいがってくれた。


 ◆◆◆


 奥のばあちゃんと俺に血の繋がりがないことを知ったのは、じいちゃんの葬式の後だった。

 棺にすがって号泣する奥のばあちゃんは、通夜振る舞いにも精進落としにも席がなかった。

 彼女は触ってはならないもの、あるいは存在していないもののように扱われていた。

 この場で聞いてはいけないことなのだと察する程度には俺も成長していた。

 本家から家に帰る前、挨拶にいった俺に奥のばあちゃんはすがる。

 「なぁ、亮ちゃん、ばあちゃんはな、亮ちゃんが毎年の夏、話に来てくれるのが楽しみなんよ。来年もお願いだから来てな、お菓子たくさん用意しておくからな、小遣いたんとあげるから、ばあちゃんの部屋に来てな」

 家に戻ってから、奥のばあちゃんが何者なのかを知った。

 じいちゃんのところに嫁いだ奥のばあちゃんは、跡継ぎを生むことができなかった。

 そこに二号さんとして表のばあちゃんが入った。

 跡継ぎを産んだ表のばあちゃんは、そのまま、正妻となった。

 とはいえ、奥のばあちゃんには、もう帰る場所もない。

 じいちゃんも愛情と負い目があったのかもしれない。

 奥のばあちゃんをずっと家に置いていたというわけだ。


 「そういう土地だからね」

 事情を説明してくれた母の表情はあまり明るいものではなかった。

 「亮太が奥のばあちゃんのこと好きだったら、来年の夏休みも訪ねてあげてね」

 俺は母の言葉にしたがった。

 じいちゃんが死んだ翌年の夏休み、表のばあちゃんが亡くなった。

 表のばあちゃんの葬式のとき、奥のばあちゃんは出席も許されなかった。

 「ばあちゃんはな、表のおばあちゃんのこと、好きだったんだよ。あの人はな、口には出さないけど、ばあちゃんのことをちゃんと気にしてくれていた。ああ、ばあちゃん、もう、この家で一人きりだよ。亮ちゃん、来年も来てな。お願いだから来てな」

 ばあちゃんは小さな封筒に入れた小遣いを俺の手に握らせながら、懇願した。

 中学生になっていた俺は、少し面倒だなと思いながらも、それでも毎年来ることを約束した。

 「一人きり」というのは、誇張ではなく、ばあちゃんの部屋はかび臭いだけではなく、別の悪臭もただよいはじめるようになっていた。

 ご飯も「忘れられる」ことがあるようで、奥のばあちゃんは自分の皺に自分が隠れてしまいそうなほどに小さくなっていった。


 翌年、奥のばあちゃんは部屋で一人で人形を作っていた。

 藁で人形を何体も何体も編み続ける。

 「ばあちゃん、どうしたの?」

 

 「ばあちゃんの生まれたあたりではな、お葬式のときにな、人形を棺に一緒に入れてあげるんよ。寂しくないようにって。でもな、ばあちゃんのために人形を作ってくれる人はおらんでな。だから、ばあちゃんは今から人形を作り続けているんよ」

 その話を聞いたときは、とても悲しくなった。

 だが、俺は結局、夏休みが終われば帰ってしまう身だ。自分の家に血の繋がりもない人がいるという経験もない。この集落の人を非難するような資格もないのだ。

 だから、せめて、ばあちゃんの人形作りを手伝うことにした。

 「ああ、亮ちゃんが手伝ってくれると、本当に助かるよ」

 ばあちゃんは、喜んでくれた。

 人形を編みながら、ばあちゃんは言う。

 「亮ちゃん、おかあさんのことは好きかね」

 まぁ、好きっちゃ好きだけど……。

 俺は言葉を濁す。

 ママ大好きと屈託なく言えるような年でもなくなっていた。

 「なぁ、じゃあ、この人形は亮ちゃんにやるよ」

 ばあちゃんは作っていた人形のうちの一つをくれた。

 「亮ちゃんのおかげでたくさんたくさんできたからな」

 俺は捨てるわけにはいかず、ポケットにねじこまれるた小遣い入りの封筒と駄菓子、そして、一体の人形とともに家に帰った。

 あまり気味の良い人形ではなかったが、捨てるわけにもいかず押し入れにいれた。


 俺が帰って、しばらくして、奥のばあちゃんは死んだ。

 「亮太、おまえは奥のばあちゃんが好きだったからな。一応、来るかね」

 電話越しにおじさんが言う。

 俺は母のほうを向いてから、うなずく。

 奥のばあちゃんのことを悲しがってあげられる人はあそこにはいない。


 「そのまま置いといても気味が悪いし、まぁ、本人の希望だ。棺にいれてやろう」

 葬式は本当に簡素であった。

 通夜もなければ、振る舞いもない。

 火葬場にいるのは、おじさん夫婦と母と俺だけだった。

 かさかさにひからびた奥のばあさんがよく燃えたようだった。

 健康であると骨の形がよく残るというが、ばあさんはたくさんの人形とともに灰になってしまった。

 遺灰は、集落の墓の隅に埋められるらしい。

 

 ◆◆◆


 しばらく後のことだ。

 本家のある集落で大きな山火事があった。

 本家のすべてと分家の多くは火に呑み込まれ、姿を消した。

 みんな、燃えてしまった。集落は墓も含めてすべて燃えた。


 俺は大人になった今でもたまに押し入れの藁人形を思い出す。

 あれを燃やしたら、どうなるのだろう、と。

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