27 廃村で見つけたアレ

 「おい、もう少し丁寧に曲がれよ」

 何度目かのヘアピンカーブに後部座席のヒデがうめく。

 ミラーに映るやつとその彼女の顔は青ざめていた。

 「ただ一人がんばる初心者に酷なこというなや。そもそも、おまえが目的地決めただろ」

 「そうだけどよ……こんなに揺れるとは思わなかったんだよ」

 ヒデがぶつくさとつぶやくのをエミリがなだめる。

 「まぁ、ナビだと、こんな急カーブはこれで最後だから、もうちょっと我慢ね」

 俺の彼女はいい子だ。

 一番最後まで反対したけど、こういうときはちゃんとみんなを気づかってくれる。

 前方が開けた土地になる。

 目的地である「廃村」はそこにあった。

 

 ◆◆◆


 「本当にここで合ってるん? うちは違うと思うけどな」

 ユメがヒデに問いかけている。

 そう問いかけたくなる気持ちは俺にもある。

 あまりにも綺麗すぎるからだ。

 確かに誰にも会っていない。

 集落の外の空き地らしき場所に車を停めてから、人っ子一人見ていない。

 ただ、それは偶然なのではないか。

 家々はどれも手入れが行き届いている。人が住んでいなければ、家というのは案外すぐに朽ち果てるものだ。手入れが行き届いているということは、誰かがつい最近まで、あるいは今でも住んでいるとしか考えられない。


 「どこかでじっと隠れて見ていたりしてな」

 ヒデが家の一つの垣根から顔をのぞかせる。

 ただでさえ大きな目をひん剥いている姿は気持ちが悪い。

 「やめてよ、怖いから」

 エミリが肩をすくめる。

 調子に乗ったヒデは妙なうめき声をあげたときにユメに頭をひっぱたかれた。

 「まぁ、でも、本当に誰にも会わないな。野良仕事かなんかでみんな出かけてるんかな」

 「縁側にお茶置いたまま?」

 エミリが俺の手を握りしめる。かわいいな、こいつは。

 ただ、俺も正直なところ気味が悪いというか怖くなってきた。

 「ザ・廃村って感じもしないし、こんなきれいな建物だらけじゃ肝試しにもなんねぇよ。さっさと帰ろうぜ」

 ヒデは少し文句をいっていたが、それでも素直に従った。

 帰りのサービスエリアはあいつのおごりだな。

 車に戻ろうとした時、不思議なものに気がついた。

 集落の境目あたりに大きな……アレがおったっていたのだ。ということは横に鎮座しているのはアレなんだろうな。

 「おい、でっけえもんがあるぞ! となりもすげぇな。たしかにこんぐらいでかくないとがばが……」

 指さして笑うヒデは途中でエミリに思い切りスネを蹴り飛ばされた。

 いいぞ、もっとやれ。

 「……こんなの最初からあった?」

 真っ赤な顔でささやくエミリに俺は首をふる。

 こんな目立つものがあったら、誰かが気がつくはずだ。

 別のところに出てしまったわけでもない。愛車はすぐそこにあるからだ。

 ヒデはバカだからべたべたと触っているが、俺はこんなところはうんざりだ。

 「ひんやりしていて、気持ちいいわ!」

 「おい、帰ろうぜ」

 俺はいきりたつそれに抱きつき腰をふっているバカに声をかける。

 バカは振り返る時にバランスを崩し、天に向かって屹立していたアレは音をたてて倒れた。

 「おい、おまえ、いいかげんにしろよ! ちゃんと直しておけよ」

 中折れとかバカなことを言っているヒデにそう告げると、俺は愛車のドアを開けた。

 ヒデは少ししてから、アレをそのままにして車に乗り込んできた。

 「立派すぎて、直せなかったわ。デカすぎも考えものだな」

 ヒデの下卑た笑い声は無視してエンジンをかけた。


 ◆◆◆


 帰って三日後、ユメから電話があった。

 「シンヤくん、あれからヒデと話した? うちが連絡しても出ないし、既読もつかないの」

 課題レポートがいそがしくて、ヒデとは連絡をとっていなかった。

 「既読がつかないのに、変な動画だけは送ってくるの。うちが怖がりだからってからかうのもいいかげんにしてほしいわ。もしかして、シンヤくんもグルだったりする?」

 痛くもない腹を探られた俺は結局、ヒデの部屋に一緒に行くことになってしまった。

 エミリに浮気でも疑われたら嫌なので、彼女にも声をかける。


 待ち合わせ場所でユメはエミリに「動画」を見せている。

 俺はすでにユメから届いたそれを見ていた。

 大変気持ちの悪いものなので、エミリには送らないようにと頼んだのだ。

 それなのに、こいつはそれを見せやがって。

 ひっと悲鳴になる寸前の息をはくエミリの肩を抱きよせる。

 エミリの差し出すスマホの画面の中を黒い人影が徘徊していた。

 決して顔の見えないモヤに包まれたような人影、そいつがヒデの部屋をいざってまわる気味の悪い代物。

 こいつがヒデの悪ふざけだとしたら、今後の付き合いを再考する必要があるくらいに趣味が悪い。

 「ユメちゃん、エミリに変なもの見せないでよ。ヒデの悪ふざけにそこまで乗ってやる必要ないって」

 俺はユメをやんわりと非難する。ただ、やんわりすぎたのだろう。エミリには伝わらない。

 「だって、うち、心配で……」

 こいつもなんでヒデみたいなのと付き合ってるのか。

 口からふうっと息が出た。


 ヒデのアパートの合鍵はユメが持っていた。

 入口横のキッチンにビールやサワーの空き缶が転がる汚いワンルーム。

 その隅にヒデは転がっていた。

 それも首に縄のようなものをくくりつけてだ。

 俺はドアのところでぺたんとすわりこむエミリを置いて、靴をはいたまま、ヒデにかけよる。

 ユメの甲高い悲鳴が妙に間延びして聞こえた。


 ヒデは結局、自殺として処理された。

 あいつが転がっていたところ、ちょうど動画では死角になっていたところには、あいつの首に巻き付いていた縄をかけられるようなとっかかりはなかったはずだ。

 それなのに、誰も侵入した形跡がないということで、事件性なしということになった。

 動画を見せたら、鼻で笑われた後に説教された。

 「さすがにいい年なんだからさ、そういうのやめような」


 ◆◆◆

 

 「なぁ、神田って眠くなる話しかしない教授いたやん? あの人、オカルトの話ばっかしてたから、こういうの詳しいんじゃないかって、うち思うの。でもね、一人では……」

 面倒くさい女だ。

 だいたい、大学の教授が本当にオカルトに傾倒しているとかありえないだろうに。

 ただ、エミリの手前、一人で行ってこいとも言えなかった。

 三人で神田の研究室を訪ね、怪訝な顔で迎えられた。

 ほとんど無人の教室でイビキ相手にむなしく話を続けているらしい神田は最初こそ訝しげな表情をしながらも歓迎してくれた。

 廃村の話をすると、「それはサエノカミの一種だね」と神田はいう。

 「サエノカミ、要塞のサイと書いて、サエと読むんです。別名、道祖神。旅の道標であったり、集落の中に悪いものが入ってこないようする結界的な役割も果たすわけです。君たちの友人はそれを崩してしまったわけだ」

 神田はにこにこと説明をするが、それも途中までだった。

 ヒデの死について話をし、それを解決してくれる人を知らないかと言ったところで神田はあからさまに顔をゆがめた。

 「僕はさ、人類学者でオカルトライターでも霊能者でもないんだよ」

 そりゃ、そうだろうさ。

 オカルトライターくらいに面白い話ができてれば、あんたの講義ももう少し人が集まるだろうよ。

 まぁ、神田は態度こそ腹立たしいが、そこまで悪いやつでもなかったらしい。

 聞えよがしに文句を言いながらも、電話をかけ、その後、応接机を離れた神田はデスクの上に乗ったキーボードをかたかたと叩く。

 「知り合いに宗教家がいるから、話はしておいたよ。それ、連絡先。くれぐれも失礼のないように。あとね、面白半分で廃村だなんだと人々の思いの詰まった場所を踏みにじるのは許されない行為です。だから、しっかりとサエノカミを直して、ちゃんとそこの人に謝ってきなさい」

 エミリは深々と頭を下げた。

 「なに、あいつ、むかつくんだけど」

 ユメはどうしようもない女だ。まぁ、ヒデにふさわしいわな。


 紙に書いてもらった住所は雑居ビルの一室だった。

 インターホンを押すと、ぼそぼそとした声が応答する。

 出てきたのは貧相な小男だった。

 よれよれのTシャツと短パン姿で有り難みもなければ、霊力もなさそうだった。

 それでも何も言わずに中に通してくれる。

 事情を話すと、お祓いが必要だと言う。

 強力な霊があなたたちを追ってきている。滑舌が悪く聞き取りづらいことばがぼそぼそと吐き出される。

 小男はぶつぶつと何かを呟きながら、隣室につながる扉を開ける。

 「関係の深い方から一人ずつお祓いをしておかないと……死にますよ」

 決してこちらと目を合わせようとしないこの貧相な男を信用したわけではない。

 ただ、大学の教授の伝手なのだ。

 そこまで怪しいこともないだろう。

 俺はユメに目配せをする。

 ユメはしきりに振り返りながらも、隣室に入っていった。


 ユメが入ってから三〇分が過ぎた。

 物音一つしない。

 「……時間かかるね」

 「それにしても、防音性高いのかな、やけに静かだよね」

 一時間が過ぎたところで、エミリは無言で俺のシャツのすそを引っ張った。

 確かに遅すぎる。

 俺は隣室に続く扉を叩く。

 返事はなく、中からはコリコリという音がかすかにするだけであった。

 もう一度、今度は乱暴に叩く。

 やはり返事がない。

 ドアノブをまわす。

 鍵がかかっている。

 ノブをがちゃがちゃ言わせながら、ドアを蹴る。

 ようやくかちゃりと鍵の開く音がした。

 少しだけ開いた隙間から光はほとんど漏れてこない。

 小男の顔だけがぼうっと浮かび上がる。

 「なにしてるんですか? さすがに時間かかり過ぎじゃないですか? 俺、心配になって……」

 小男は口をすぼめると、何かをこちらに吐き出した。

 俺の頬にべちゃりとしたものがつく。

 怯んで少し身を引いてしまったところで、ドアは再び閉まった。

 俺はべちゃりとしたものがついた頬を指で拭う。

 手に付いていたのは真っ赤な血……転がっていたのは、ラメときれいな石のついた爪と関節ひとつ分……。

 エミリの悲鳴が鼓膜を叩く。

 隣室のドアがゆっくりと開く。

 俺は悲鳴を上げ続ける彼女を抱えるようにして部屋から逃げ出した。

 小男は追ってこなかった。


 雑居ビルを出たところで警察には通報した。

 ものものしい顔をした警察官たちが数名中に入っていき、しばらく経ってから出てきた。

 俺たちが入ったはずの部屋は、ただの整体だった。

 警察官に押さえつけられるようにして頭を下げながら見る中の風景もまったく異なっていた。

 俺たちはパトカーに乗せられ、警察署で日が変わるまで説教をされた。

 「君たちのご友人に不幸があったということは差し引いてもね、やっていいことと悪いことぐらいわかれよ、大人だろうが」

 何がなんだかわからなかった。


 もちろん、俺とエミリは神田の研究室を再びたずねた。

 俺の剣幕に神田は怯えた表情をしながら、電話をかけた。

 視線を下に落としながら、やつは言う。

 「君たち、僕が紹介したところに行ってないじゃないか? こっちは親切心で紹介してやってんのに、何なんだよ?」

 俺は神田の襟首をつかまえる。

 「じゃあ、俺たちはどこに行かされたんだよ」

 やつは俺から目をそらし、いやいやするようなそぶりをしながら口を開いた。

 「おおかた変なとこへの回路をつなげでもしたんだろうよ」

 俺は少し力をゆるめて「変なところ?」と聞き返す。

 神田は俺の手をひきはがすようにすると、一息ついてからソファに腰をかけた。

 「塞の神は結界という話はしたね。これは通常、集落の中に禍が入ってこないようにするものなのだ。しかし、君らが行ったという不思議な廃村自体が異界、すなわち、私たちにとっての結界の外であったとすれば……」

 神田は唇のはしをゆがめて続ける。

 「異界から何かが君らを追ってるわけだ。結界を直さない限り、どうしようもないんじゃないかな」

 俺は立ち上がり、エミリの手を引いて外に出た。

 「……俺はオカルトライターじゃねぇんだよ、畜生」

 後ろからは神田の声、前からは騒ぎに集まった野次馬学生の視線を浴びながら、俺たちは足早に文学部棟をあとにする。


 「エミリさ、俺、ちょっとこの前のところまで行ってくるから、ちょっと待っていてくれない?」

 エミリが首を横にふる。

 「……怖い」

 「でも、あそこに行くのも怖くない?」

 「……怖い」

 「だから……」

 「……怖いからそばにいて」

 結局、二人で行くことになる。

 

 霧とヘアピンカーブに苦戦しながら山道を進む。

 カーナビは以前に行ったあたりまでたどり着いたことを示している。

 それなのに、集落はない。

 車を停める。

 エミリと顔を見合わせる。

 二人とも押し黙っているうちにたちこめていた霧がはれた。

 ドアを開けようとする俺のシャツの裾を助手席のエミリがつかむ。

 「行かないで」

 「ちょっとあたりを見てくるだけだから」

 「……置いて行かないで」

 結局、二人で手をつないであたりを散策することになる。

 そして、俺は、おそらくエミリもこの選択をすぐに後悔することになった。

 外に出て五分も経たないうちに再び濃い霧が出てきたからだ。

 エミリの顔すらも定かでなくなるような中、彼女の手だけをしっかりと握りしめ、声をかける。

 ああ、霧が晴れた時に彼女が横にいなかったら、どうしよう。

 俺はエミリの手を握りしめる。彼女の手はひんやりとしている。

 霧が晴れた時にこの手の先がなかったら、どうしよう。

 俺はエミリに他愛のないことばをかけ続ける。

 

 ありがたいことに俺の心配は杞憂に終わった。

 霧が晴れた時、エミリは俺のすぐ横にいた。

 ただし、状況は良くなかった。

 俺たちは、あの集落の只中にいた。

 誰もいない。人影ひとつ見えない。前回と同じだ。

 それなのに、どうして、気配がするのだ。

 誰かが俺たちを見ている。

 誰かが俺たちの側にいる。

 誰かが俺に触ろうとする。

 

 強い力がかかり、握っていたエミリの手が離れていく。

 エミリが転んだ?

 いや、見えない何者かに倒されたのだ。

 俺の足にも何かが無数にまとわりついている。

 エミリが悲鳴をあげる。

 俺は見えない何かを蹴り飛ばし、エミリに手を伸ばす。

 手は届かない。

 エミリが引きずられていく。

 俺の足にたくさんの見えない爪が立てられる。

 俺は叫びながら、暴れ、遠ざかるエミリを見やり……逃げた。

 サエノカミさえ直せばなんとかなる。

 まずサエノカミを直さないと。


 走る。村境まで走り抜ける。

 そこにあったのは、転がるサエノカミ。

 俺は石でできた巨大なナニを立て直す。

 ふっと、追ってくるものたちの気配が消えた。

 恐る恐る集落のほうを眺める。

 そこには鬱蒼と茂る森しかなかった。


 ◆◆◆


 山道を死ぬ思いで下った俺は当然、エミリの捜索願を出した。

 「そろそろいたずらじゃ済まないよ」

 顔見知りになってしまった警官は、嫌味を言いながらも捜索願を受理した。

 

 今のところ、エミリも俺の愛車も見つかっていない。

 ただ、最近、テレビが勝手についていることが多い。

 スマホにもよくわからない動画が頻繁に送られてくる。

 エミリはまだあそこにいる。

 画面の中で血の涙を流しながら助けてと懇願するのだ。

 俺はどうすればよいのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る