20 寝ずの番

 母方の祖父が亡くなった。

 具合が悪いという話は聞いていたので覚悟はしていた。

 それでも、心に大きな穴が空いた気がした。祖父の優しい笑顔はもう見られない。

 悲しいというよりも、あるべきものがない違和感とでも言うのだろうか。


 通夜の前、喪主を務める伯父に呼び止められた。

 今晩、寺の本堂で寝ずの番をしろというのだ。

 それはかまわなかった。

 しかし、詳細を聞いた時は動揺した。この地方では、寝ずの番は一人きりでおこなうことになっているというのだ。そのような大役を、初孫とはいえ、外孫に過ぎない自分がやっていいのだろうか。

 それでも、祖父の遺言だと言われて、心を決めた。

 「線香を絶やすんじゃないぞ」

 片手をあげて伯父の注意に答えた。


 ◆◆◆


 本堂はひんやりとしていた。

 暑さも和らいできた頃合いだったし、遺体の保存に用いられるドライアイスもこの涼しさに一役買っているのかもしれなかった。

 俺は線香を立てながら、通夜の後の振る舞いで小さな声で語られていた話を思い出す。


 祖父は、この地では大きな会社を経営していた。同時に政治家でもあり、地方の名士と言うやつだった。

 ひそひそと語られるのは地方の名士の裏の顔、祖父は財力と権力を使って、孫、すなわち、俺のイトコの悪さをもみ消したり、会社への告発を握り潰したりとやりたい放題だったというのだ。

 休みごとに遊びに行く俺にはとても優しい祖父、外では妖怪や鬼、守銭奴とひどい呼ばれようだったらしい。

 「人様の生き血をすすって一〇〇まで生きた男もさすがに年貢の納め時かね」

 「三途の川の渡し舟もファーストクラスかね。いや、それとも溜め込んだ金で舟が沈むかね」

 事情も出席者の顔もよくわからない俺は訂正もできずに隅でタバコを吸っていた。煙が妙に目にしみた。


 ◆◆◆


 本堂で一人タバコをふかしていると、何かの気配がした。

 「親父は名士だったからな。後からでも誰かが来るかもしれん。線香を立てて、もてなせ」

 伯父はわかっていて、あのような注意をしたのだろうか。

 夜中に本堂にやってくる者たちは異形だった。


 「通夜ニハ間ニ合イマセンデ。ソレデモ社長ノ御顔ヲ拝見シタクテ」

 首が異様に長い男がやってきた。

 長い首を彩る赤いネックレスのような跡、縄かなにかで締め付けたような跡。

 俺は悲鳴を出すこともできずにただただ黙っていた。

 「社長ハコチラニイラシタハズナノニ霧シカ見エマセンナ。アア口惜シイ口惜シイ」

 男は長い首をぐにゃりぐにゃりと動かしながら、うらめしそうにあたりをねめまわす。そして、本堂の入り口のほうに声をかけた。

 ざわめきとともに無数の影がうごめき、首の伸びた男とともに去っていった。


 祖父は何をしでかしたのだ……。

 あくどいことをしたのだろうが、詳細はわからなかった。

 同じく詳細こそわからないが、線香を炊いていれば、祖父も俺も無事らしい。

 線香を切らしてはいけない。  

 線香が短くなってきたので、新しい線香を灯す。

 やけに線香が燃え尽きるのがはやい。


 「社長ガ亡クナラレタト伺イマシテ」 

 シュウシュウという音とともに現れたのは中年の男女、二人の間には小さな男の子がいる。

 喪服に身を包んだ三人。全員が暗い紫色の肌をしている。男が喋るたびに排気ガスの臭いが本堂に充満した。

 「ネェ、ツマンナイヨ。コイツダケデモヒッパッテ殺ソウヨ」

 子どもの濁った目が俺を見つめる。

 女が俺に顔を近づけてくる。ガス臭い吐息が俺の顔にまとわりつく。

 「アアダメ、コノ邪魔クサイ線香ノセイデ」

 「線香サエナケレバ、クビリ殺シテヤルモノヲ」

 三人は揃って、悔シイ悔シイと言いながら帰っていく。

 俺は新しい線香を灯す。

 

 排気ガスの臭いは相変わらず充満している。

 せめて臭いだけでも感じないようにと口呼吸と息止めを交互におこなっていたら、ひどく疲れた。

 はやく朝になって欲しい。

 震える手でまた新しい線香に火を灯す。

 線香の燃え尽きるスピードは前にもましてはやくなっていた。


 カラカラという音となにかを引きずるような音が混ざり合う。

 本堂に現れたのは骸骨だった。

 普通の骸骨と違うのは木の根がそこら中に絡みついていることだ。

 肋骨をへし折るようにして巻き付いた根は上は眼窩を通り、下は両足をしばりつけていた。そのせいで、骸骨は歩くことができない。

 骸骨はかろうじて動かせる腕で体と根っこを引きずりながら、こちらに進んでくる。


 「社長ヲオ迎エニ地ノ底ヨリ参リマシタ」

 ああ、祖父はどこまで罪を犯したのだろうか。

 俺にはあんなに優しかったのに。

 震える手で線香を灯そうとする俺の前で突然骸骨はスピードをあげる。

 木の根をはやした眼窩が俺をまなざす。

 俺が取り落としたライターは短くなった線香に当たると、それを灰の山に埋めた。立ち上る煙が消え、本堂に湿った土の臭いが充満した。

 表情をつくる肉もない白骨なのに、眼窩は笑ったように見えた。


 「ミエタ! ミエタ! ミエタ! アア! アアア! アアアア! 今コソ! 今コソ我ラノ苦シミヲ! 我ラノ恨ミヲ! 罪ニフサワシイ罰ヲ!」

 骸骨に無数の影が歓びの声をあげた。

 気がつくと首の長い男も、紫色の顔をした一家もいた。

 彼らが哄笑するなか、悲鳴が聞こえた。

 それはたしかに祖父の声だった。


 ◆◆◆


 気がついたら朝だった。俺は縊り殺されることもなく生きていた。

 祖父の遺体もそのまま棺の中にあった。

 遺体に一切の損傷はなかった。ただし、穏やかだった顔には苦悶の表情が浮かんでいた。


 俺は生前贈与分、そして遺書で指定されたものも含めて遺産の一切を寄付することにした。

 母にもそれを強く勧めた。

 自分の父の行動を俺よりははるかに知っていたのだろう。素直に俺に従った。

 あのような者たちが毎夜毎夜現れるなど、まっぴらごめんだ。


 会社と遺産の大半を引き継いだ伯父はほどなくして首を吊った。伯父の通夜の晩、伯母は精神に変調をきたした。

 伯父の死とほぼ同時に会社の不正が告発された。

 任意で事情聴取を受けていたイトコは姿を消した。彼は後に海岸に姿をあらわした。一年の時を経てから青白くふくれて戻ってきた。

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