19 金をふやすまじない

 鉄男は貧しかった。

 高校を卒業して、勤めた会社は1年で倒産した。

 この会社、いい加減なもので、雇用保険に加入していなかった。

 もともとの給料も安いもので、腰を落ち着けて就職活動をしなおす暇すら鉄男には与えられなかった。わずかな貯金はまたたくまに尽きた。

 生きていくために日払いの仕事を始めた。気がつくと彼は三十路を前にして、アルバイト先とすえた臭いのするアパートの往復しかすることがなくなっていた。

 スーパーの駐車場で誘導棒を振り、売れ残って痛みかけた食材を買って帰る。休日の前日に開ける缶詰と安い酒が唯一の贅沢だった。

 このアパートを訪れるのは、母だけである。金がなくなったときにせびりにくる。それがなければ、食生活くらいはもう少しまともになっていただろう。

 安売りスーパーの食材すらまともに買うことができない生活は、底なし沼のようにゆっくりと彼を地獄に引きずり込みつづけている。


 ◆◆◆


 アルバイト先の同僚に真砂まさごという男がいた。

 鉄男と同じく貧相でおどおどした男だった。惨めな境遇も似通ったもので、休憩時間に水筒に入れた麦茶を飲みながら、雑談などに興じた。

 お互いにろくな友人がいない二人はそれなりに仲が良かった。鉄男の数少ない友人といっても良い男だった。


 この真砂がある日、突然キレた。

 特売日でひっきりなしに入ってくる車を真砂は無視した。客の困惑が怒りに変わろうかとするあたりで真砂は誘導棒を肩に担ぐと、ずかずかと店内に入っていった。

 怒号のあと、手ぶらの真砂はすがすがしい顔で出てきた。

 「今度、肉でも食いに行こうぜ」

 真砂はさわやかに言ってから、タクシーに乗り込んだ。あらかじめ呼んであったらしい。


 鉄男が後で聞いたところによると、真砂は品出しをしていた店長に「普通に暮らせるだけの給料も出せないのか」と言い放ったそうだ。

 そのまま誘導棒を店の床に叩きつけ、「一生、鎖につながれてろ!」と叫んで悠々と出ていく真砂に誰も何も言えなかったという。


 ◆◆◆


 一月ほどして真砂から電話があった。

 酒でも飲もうと言われた鉄男は、財布の中と冷蔵庫を確認した。

 五枚入っていた千円札のうち、二枚抜く。抜いた二枚は貯金箱代わりの空き缶にねじこんだ。

 三千円で釣りが出ないようなところに入りそうになったら、酒とつまみを買って公園で飲もうというつもりだった。

 早めに出ると、待ち合わせ場所まで歩く。駐輪場の代金がもったいないから、自転車は通勤以外では使わない。

 

 待ち合わせ場所で立ち尽くす鉄男に声をかけたのは、スポーツカーに乗った男だった。

 それだけでも不思議なことであるのに、さらに不思議なのは、目をこらしてみると、それが真砂であったことだ。

 「乗れよ」

 鉄男は言われるがままに乗った。エンジン音で周りを威嚇するかのように走るスポーツカーの中で真砂はひたすら、愛車の自慢をしていた。

 スポーツカーは高級ホテルの車回しに入った。

 窓を開けた真砂が何かいうと、ホテルの従業員は深々と礼をした。

 

 「最近、ここ気に入ってるんだ」

 鉄男はおずおずと財布の中の千円札の枚数を告げる。真砂が笑って答えた。

 「俺のおごりに決まってんだろ」


 安くてすぐ酔える缶チューハイ専門の鉄男には、高級ワインのありがたみがよくわからなかった。

 それでも眼の前の鉄板で焼かれる肉や海鮮のどれもが、これまで食べたことがないくらいに美味いものであろうことは匂いだけでも理解できた。


 「最近は事業をはじめてよぉ」

 真砂はひたすら自慢話を続けた。

 鉄男は、この羽振りの良い友人の機嫌を損ねないように相槌をうちながらも、心の大半は目の前の食事に奪われ続けていた。

 鉄男がすこしはまともに返答できるようになったのは、ホテル内のバーに移動してからのことである。


 「事業の元手はどうやったんです?」

 以前、真砂とどのように話していたのだろうか。

 タメ口だったはずだ。乱暴な口調だったはずだ。しかし、それはもはや思い出すことができない。鉄男はひたすら丁寧に話し続けた。

 「お、それ聞いちゃう?」

 真砂はにやりと笑うと語り始める。


 ◆◆◆


 霊能者、拝み屋、呪術師、どの職名で呼んでも答えてくれる男がいる。

 田中という極めて平凡な名字の男は、人を金持ちにするまじないをかけてくれるのだという。

 鉄男はそれを聞き、失望した。


 「金持ちになれるまじないがあるのならば、自分にかけるだけで良いでしょう? どうして赤の他人にそんなものをかけてやる必要があるんですか?」

 口調こそまだ丁寧であったが、それでも多少辛辣な物言いを真砂にぶつけてしまった。

 「まぁ、よく聞けよ。鉄男ちゃん」

 真砂は意に介さなかったようで、話を続ける。

 「それが人によってはリスクがあるわけなんだ。田中本人はそのリスクを負うよりも、金持ちになった他人から金をもらったほうが得って考えてるわけよ。まぁ、わからんけどな」

 「リスク?」

 「そう、リスク。大事なものを金にかえるんだよ」

 真砂が声をひそめる。

 質屋のような話ではなく、真砂のいう「大事なもの」は人のことだった。

 「家族、家族でなくとも大事に思っている、たとえば恋人は金になる」

 「売るってことですか?」

 「違うということもできるし、そのとおりだということもできる」

 差し出された人間は死ぬらしい。

 その死を契機に依頼者のところに大金が転がり込んでくるのだという。

 「まぁ、俺も天涯孤独の身となってしまったわけだけどよ。天国で親父も笑っているだろうよ。こんな形で役に立たなければ、天国にも行けないような男だったしな」

 真砂が笑った。


 ◆◆◆


 田中という平凡な名前の男、まじないを生業とする男は見てくれも名前のごとくありふれていた。

 おかしな格好をしているのでもなく、何かしらのオーラを放っているわけでもなかった。

 雑居ビルの一室、鉄男は今でも心を決めかねていた。

 母子家庭に育ち、恋人もいない鉄男が差し出せるのは母しかいない。

 決して良い母ではないと鉄男は思う。

 母がはやく働いてこれまでかかった金を返せなど騒がなければ、鉄男は大学に進学していたかもしれない。

 せめてもの意趣返しに家を出たが、結局、母に恩着せがましく金をせびられているのだ。

 (それでも、母は母だ)

 鉄男は自問自答する。


 煮えきらない態度の鉄男に田中が抑揚のない口調で告げる。

 「別の方法もあるんですよ。あんまりおすすめしないんですけどね」

 別の方法があるならば、先にそれを言えと鉄男は思ったものだが、それも一瞬だった。

 田中のいう別の方法は、自分の寿命を差し出すというものだった。

 日付が変わったときに雄鶏を田中のつくった柵の中に離し、トウモロコシの粒を与える。

 夜明けまでに雄鶏が食べたトウモロコシの粒の数が生きていられる年数となり、その間は金に不自由することなく生きられるのだという。


 鶏なんてのは常に餌をついばんでいるではないか。

 鉄男は今二九歳、三〇粒も食べてくれれば、老いを感じるまで好き放題生きることができる。

 どうせ今の食生活では長生きできないだろう。それならば、太く短く生きれば良い。

 母を差し出すのと違って罪の意識も感じずにすむ。

 一度決めると、気持ちが楽になった。

 鉄男は晴れ晴れとした気持ちで田中に自分の選択を告げた。


 ◆◆◆


 空が白んできても、雄鶏はトウモロコシに目もくれなかった。

 一粒も食べてくれなければ、その日のうちに死ぬ。そう田中は言った。

 鉄男は涙声で雄鶏に懇願した。

 雄鶏は一声鳴くと、三粒食べた。

 「もっと食べてくれ! 頼む」

 懇願する鉄男にそっぽを向いて、けたたましく鳴いた。

 「日の出ですよ」

 田中が無表情で告げ、鉄男の寿命は三年ということになった。


 ◆◆◆


 帰り際にものはためしと買ってみたスクラッチくじがはじまりだった。

 一億という金を手にした鉄男はすぐさま仕事をやめた。手元に大金が転がり込んでくるということは、自分に残された時間は多くないということでもあった。誘導棒を担いでいる時間の余裕はないのだ。

 一億を元手に投資を始めると、驚くくらいに増えていった。

 金には困らなくなった。

 

 鉄男は欲望の限りを尽くすことにした。

 世界を旅して周り、高級な料理と酒に舌鼓をうち、見た目麗しい女性をはべらせた。

 母にも望む通りのものを与えた。

 豪邸を与え、何でも買えるカードを与えた。

 母は喜んでくれた。

 せびった金額以上のものを常に与えてくれるのだ。それは喜ぶだろう。

 どれほど要求がエスカレートしようと、鉄男は母の要求以上に与え続けた。

 鉄男にひどく当たり続けた母も丸くなった。

 今では二人で茶飲み話に興じることすらある。


 ある日のことである。

 鉄男は母の家の庭で茶を飲んでいた。

 使用人の淹れた茶の香りを楽しんだ後に、母に告げた。

 「実は僕はもう長くないんだ」

 母の顔が青ざめた。

 彼女が恐れるのは子の喪失か、それとも打ち出の小槌の喪失か。

 どちらでも同じことか。鉄男の鼻からふっと息が漏れた。

 たくさんの金を残してやることは可能だが、これまでのように無尽蔵に与え続ける自分はいなくなってしまう。

 たがの外れきった金銭感覚もそろそろ修正しておいてもらわないといけない。

 鉄男は田中のことを話し始めた。

 話し終わった後、母は鉄男を強く抱きしめてくれた。

 鉄男は満足だった。母が自分のために悲しんでくれるだけで嬉しかった。

 それからまもなくして鉄男は死んだ。


 ◆◆◆


 「あの子もどうせ死んじゃうならね、有効活用しないとね。生きているときも親孝行、死んでからも親孝行。孝行息子の鉄男くんってね」

 田中は女の言葉を聞くと、報酬を受け取る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る