17 真実への旅

 世界はうごめき、のたうち回る。


 ◆◆◆


 バイト先の先輩は頭が良い。同時にイカれてもいる。

 偏差値の高い大学の大学院で哲学とやらをやっている彼は「真実を追究する」とかいう名目でクスリもやっている。

 俺のようなバイト先のクラブくらいしか就職口がなさそうなボンクラ大学生と違って輝かしい将来もあるだろうに、イカれているとしか言いようがない。

 このイカれた先輩は面倒見が良い人で、気がつけば、俺もクスリに手を出すイカれた大学生である。

 先輩と、その彼女のアミさんと三人で幻覚剤をキメた後に三人でやっているんだから、先輩たちも俺も皆そろってイカれている。


 ◆◆◆


 ある日、先輩はアミさんの腰に手を置いて言った。

 「なぁ、君、最近凄いブツがあるらしいんだよ。それが今度手に入りそうでさ」

 俺はアミさんの肩をなでながら答える。

 「そりゃ、いいっすね。最高にキモチイイんすかね」

 アミさんが俺の太ももを叩いた。何か言いたかったのかもしれないが、どうせ大したことじゃないだろう。

 俺も先輩も無視し、俺たちはケンタウロスのように一斉にいななき、どろどろと身体を溶かした。

 

 凄いブツについて、先輩の口から聞くことはなかった。いなくなってしまったからだ。クラブの店長によると、アパートも引き払ってしまったらしい。

 一ヶ月が過ぎた頃、バイト先にアミさんがやってきた。

 故郷に急に帰ることになったという連絡が先輩からきたそうだ。

 一度訪ねるといった彼女に対し、先輩はすごい剣幕で来るなと言ったのだそうだ。

 それどころか、電話口に急に「姉」が出てきて、「今後は連絡もしないでほしい」などと言ったとか。


 「きっと新しい女ができたのよ」

 俺はそういうアミさんの肩を撫でた。

 もちろん、そのあと、しっかり楽しんださ。


 ◆◆◆


 さらに一月が過ぎた。

 俺はだらだらとクスリをやっていた。

 一人だとつまらないが、かといって先輩もいないのに先輩の彼女に声なんてかけられない。色々やっておいて、今さらと言われるかもしれないが、しっかりとしたセッティングなしでキメたら、バッドトリップになるのはクスリも人間関係も一緒だ。

 ある日、郵便受けに目をやると宅配ピザの広告にトッピングされるように封書が入っていた。

 開けてみると、それは先輩からの手紙だった。


 先輩は実は筆まめだ。

 新しいブツを試すと、その感想を俺に送ってくれる。

 筆まめだが、彼はとても字が汚い。だから、彼の手紙で自筆なのは文末のサインくらいだ。論文みたいなプリントの最後にサインしてあるのだ。

 今回もいつも通り。ただ署名はいつも以上に汚かった。目をつぶって書いたのかと思うくらいにぐちゃぐちゃである。


 中身は簡潔だった。これも普段と違った。普段は論文か報告書かといった具合なのに、ただの手紙だったのだ。

 「凄いブツだったよ。世界の真実を僕は見た。君にも是非試して欲しい。クラブXの近くの路地裏、水曜日の深夜に盲目の売人がいるから。『世界はうごめき、のたうち回る』と言えば譲ってくれる。君もぜひとも試してくれ。真実、真実だ。真実に目を」

 

 切手シートにも飽きた頃合いだった。

 俺は先輩の言う通りの時刻にクラブX近くの路地裏に向かう。


 盲目の女性が売人をやっているなんてのは、わけがわからない。

 俺のようなジャンキーがわけがわからないんだ。

 警察はもっとわけがわからないのだろう。深夜パトロール中の警察官も彼女には目もくれない。

 女性は俺の目の前で嘔吐した。


 「世界はうごめき、のたうち回る」

 俺の言葉に売人はすがるように抱きつき、俺の顔をやさしく撫でるとクスリを譲ってくれた。

 信じられないくらい安さに俺は思わず大丈夫かと聞いてしまったものだ。

 「ああ、大丈夫よ。真実への旅をなさい。よい旅を」

 彼女は固く目を閉じたまま、俺の手を握った。


 ブツは粉末だった。

 売人の説明によると、粘膜にすり込むと良いらしい。

 粉末を二つに分ける。

 片方を歯茎にすり込む。残りは鼻の奥に放り込んで揉む。


 意識は鮮明だった。

 それなのに視界がゆがむ。

 机が、粉の散った紙包みが、指がすべてが鮮明に見える。

 どこまでも鮮明に見える。

 解像度がどこまでも上がる。

 木目がはっきりと見える。粉の一粒一粒がはっきりと見える。毛穴がはっきりと見える。

 すべてが溶けていく。すべてがうごめく。すべてがのたうち回る。

 机は無数のウジ虫の集合体だ。粉末の一粒一粒はすべてのたうち回るウジ虫だ。俺の毛穴をウジ虫が出たり入ったりしている。

 いや、違う。俺の指が、俺の腕が、俺の身体がすべてウジ虫だ。

 壁も窓も、窓の外で走る小学生たちもすべてがウジ虫を練りかためたものだ。つねにのたうち回っている。


 世界の真実はウジ虫だ。

 俺の目がウジ虫となってうごめく。

 知りたくない世界の真実。見たくない真実。

 ウジ虫はうごめき、はじけ、つぶし合いながらのたうち回る。

 ウジ虫たちは、真実を皆に伝えよと、俺に言う。

 どうしようもなく気持ちが悪い。

 俺は嘔吐する。

 びちゃびちゃと吐き出されたウジが畳の上ではねまわる。


 見たくない。見たくない。見るとあいつらは俺に命令をする。見たくない。ウジたちと目を合わせたくない。


 ああ目を潰してしまいたい。

 のたうち回る視神経を引き抜いてやりたい。

 俺は、その衝動にあらがいながら、目をつぶる。


 水道をひねる。

 銀色のウジ虫でできたシンクに透明なウジ虫がどばどばと出ては流れていく。


 俺は先輩の手紙を探した。

 のたうち回る文字をなんとか解読して、そのまま外に飛び出した。


 先輩の実家は特急で三時間ほどのところであった。

 必要なとき以外はきつく目をつぶり、住所に向かう。


 誰かにぶつかった。

 「すみません」

 謝る声は先輩のものだった。

 目を開けると、先輩と一人の女性の輪郭らしきものの中にウジ虫がうごめいていた。


 「先輩っ!」

 俺の言葉に先輩はこちらを見る。

 先輩も隣の女性もきつく目を閉じていた。


 「何なんですか、あれ?」

 「なにもかにも、世界の真実さ」

 先輩がたんたんと述べる。隣の女性が眼尻から静かにウジ虫をたらしだした。


 「目、えぐっちゃってもね、最近は浮かんでくるんだ。僕はずっと気持ち悪い。僕はずっと苦しい。僕はずっと痛い。でもね、誰かに真実を伝えるとね、少し気持ち悪さが和らぐんだよ。苦しさが、痛みが和らぐんだよ。ウジどものご褒美なのかもな。ありがとうな」

 先輩の言葉に俺は唾を吐いた。

 口から飛び散ったウジ虫がのたうち回る。

 先輩の横にいた女性が突然カンカンと音をならす踏切に向かって走り出した。

 よくわからない言葉を叫びながら、彼女は四散し、そこら中にウジ虫を撒き散らした。

 ウジ虫とウジ虫がはじけ、混ざり、うごめきのたうち回る。


 俺は吐き気をこらえながら家路につく。

 真実を、世界の真実を伝えないと心も身体ももたない。


 ◆◆◆


 とりあえず、アミさんには報告しよう。

 彼女を心配を解かないと。

 彼女と真実の世界を共有しないと。

 三人で裸で汗を流した仲なのに、彼女を仲間外れにするとは先輩も意地が悪い。


 俺は両手で前を探りながら歩く。

 目の奥のウジ虫はもう引き出してしまった。

 それなのに世界はのたうち動き回っている。真実の世界を伝えよとのたうち回っている。

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