09 わらしさま
「今年の夏合宿は座敷わらしに会える旅館で」
渉外の佐藤さんが目をきらきらさせながら提案した。
体育会と異なり練習試合や交流戦があるわけではない文化系サークルにおいて渉外は合宿係だ。他大との交流があったという古代ならばともかく今は合宿係なのだ。
その合宿係が目を輝かせているならば、それに異を唱えることなんてありえない。要は楽しく過ごせれば良いわけだし。そもそもこのサークルは四名の小所帯だし、奇跡的に空いていたから既に押さえちゃったとか言ってるし。
こうしてわたしたちK女子大学常民文化研究会の夏合宿の行き先が決まった。
◆◆◆
全員の顔があまり晴れ晴れとしていないのは、その旅館からあまり良い印象を受けなかったからである。
なんとなくギスギスした感じがする。仲居さんや番頭さんの態度は決して良いものではなかった。
施設も手入れが行き届いているとは言い難い。
それでも繁盛している。やはり座敷わらしがいるからこそかもしれない。
「座敷わらしというのは一種の時限爆弾みたいなものでもあるよね」
たくさん付箋をはった『遠野物語』片手に部長の田中さんが肩をすくめる。
座敷わらしについて書かれた部分を説明してくれる。
いなくなったあとに何か悪いことが起こるという話はやはりあるみたいだ。
「自分の財産がいつなくなるのかと考えたら、ものすごいストレスかも」
わたしの言葉にみんながうなずいたところに渉外の佐藤さんが沈んだ顔で戻ってきた。
「ごめんなさい。なんか私たちが泊まる部屋が水浸しになったとかで、今、別の部屋を用意してくれているみたい」
泊まれないわけではないのだから、そこまでしょげる必要もないんじゃないかな。
「わらし様の部屋ですから、あれこれいじらないでくださいませ」
仲居さんは不機嫌そうに言い放つと部屋に入らずにさっさと戻っていった。
今朝、どれだけ嫌なことがあったのだろう。そう想像してしまう仏頂面だった。
◆◆◆
「わらし様の部屋」は殺風景であった。
ただ風を通していないのか、かび臭かった。
格子がはめられた窓の内側には鍵がない。
「部屋というか座敷牢よね」
部長の田中さんの言葉にわたしは思わずうなずいてしまう。
わたしたちは佐藤さんが謝りだしたのをみて、あわてて取り繕う。
「先輩、ごめんなさい。この部屋だったら、座敷わらしに会える可能性高そうだから、むしろ得したって思います」
「そうそう、出られない部屋に座敷わらしがいるってことは、今もこの部屋に座敷わらしがいるってことでしょう。もしかしたら、本当に会えるんじゃないかな」
「別に掛け軸の裏に御札がびっしりとかではないのだから大丈夫ですって!」
そう言いながら、同級生の香菜ちゃんが掛け軸をめくって見せる。
もちろん御札が貼ってあるなんてことはなかった。
ただ湿気のせいか、カビがびっしりとはえた壁は腐食している。叩いたら穴があきそうだ。
だまってしまった香菜ちゃんを佐藤さんがフォローし返す。
「そりゃ、別の部屋も水浸しになるわけよね。ごめんね。帰りに奮発してなにかおごるわ」
わたしたちは歓声とともに口々におごってほしいものをあげた。
温泉は可もなく不可もなく、人は多かった。
食事は美味しくないし、冷めてた。修学旅行を思い出すねと言いそうになった。そんなこと言ったら、佐藤さんが泣いちゃうと思って、口からでかけた言葉を飲み込んだ。
立地もそれほど良くないし、どうしてこの旅館がここまで流行るのか不思議であった。
「わらし様の力、半端ないねー」
わたしたちはそんなことを言って笑った。
布団はやはりかび臭かったし、部屋の湿気を吸って心なしかじっとりしていた。
毎年の合宿はもう少し遅くまで色々な話をするのだけれど、今年はどういうわけかみんな眠くて仕方がなかった。
「もうお開きにしよっか」という部長の言葉でわたしたちは床についた。
ふと目が覚める。
ケバだった畳を擦る音がした。
暗闇の中で目をこらすと、ぼうっとした黄色い光がこちらに近づいてくる。
ずずずという音はにじり寄るそれが発する音であった。
黄色い目を光らせた童子は布団の下までくると、冷たく濡れそぼった手でわたしの足首をつかんだ。
悲鳴をあげようとしたが口からは空気が漏れるだけで音が出ない。
童子は恐怖で固まるわたしをじっと見つめると、床の間の掛け軸を指さした。
何が伝えたいのかよくわからない。
固まっているわたしの上に童子がにじりよってくる。
どうやら立つことができないということはわかった。
黄色い目を大きく開き、もう一度床の間を指差すと、大きく叫んだ。
叫び声は聞こえなかった。
そこで目が覚めたからである。
夢だった。
そう気がついたわたしはほっとするのもつかの間……。部屋の隅からこちらを見つめる黄色い目に気がつき、わたしは悲鳴をあげた。
今度はしっかりと悲鳴が出たはずだ。
隣で寝ていた香菜ちゃんの悲鳴も聞こえた。
この部屋にいる五人全員が同時に叫んでいた。
黄色い目は消えていた。
田中さんが電気をつけた。
「ねぇ、黄色い目……」
それだけで十分だった。
わたしたちはお互いに抱き合うことで悲鳴をあげようとする胸を無理やり抑えつけた。
わたしたちは震えながらお互いに今見た夢について話し合った。
皆、同じ夢であった。
「あの裏になにかがあるのよね」
掛け軸をめくる。
寝る前にめくったときは気が付かなかったが、よくよく見ると腐食した壁には引っかき傷がいくつもあった。
佐藤さんがおっかなびっくり叩くと壁にぼこっと穴が空いた。
空洞になっている中には藁人形が詰められていた。
不思議なことにその藁人形は腐り落ちていなかった。
わたしは思い切って不自然にきれいな藁人形を手にとって見る。
息を呑む。
藁人形の足には釘が打ち込まれた上、念入りに折られていたからである。
「これじゃ歩けないのもわかるよね」
誰かがつぶやいた。
せめて釘を抜いてあげよう。
そう思って、釘を引き抜く。
これでいいのかわからないが、不自然な方向に折り曲げられた足も丁寧に伸ばしてやる。
「これで大丈夫かな?」
返事はなかったが、じとっとした湿気は和らぎ、誰かに見られている感覚がふっと消えた。もう夢を見ることはなく、わたしたちは朝を迎えることができた。
翌朝、仏頂面の番頭さんにチェックアウトを告げた。
外で一度振り返る。わたしたちが泊まった部屋は表からは見えないようにつくられている。
「さっ、帰ろ」
田中さんの言葉でわたしたちはあるき始めた。
どたどたどたと走り回る音と悲鳴が聞こえた。
今度は振り返らずに足早にバス停へと向かった。
◆◆◆
帰って数日後のことだった。
旅館が全焼した。
泊まっていた客は奇跡的に全員無事だった。
でも、不思議なことに働いている人々は全員亡くなったそうである。
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