02 こたつ
「うぅーさみぃー」
タカシが手をこすりあわせながら、便所から戻ってくる。
相変わらずこいつは無駄にでかい。
寒いというわりには、半袖のTシャツ姿で無駄にぱんぱんに膨れ上がった二の腕を見せつけてくる。いくら室内とはいえ、この季節にボロアパートでこの格好で動くのは人間離れしている。
こいつは二足歩行よりもナックルウォークのほうが似合う。
「手ぇ、洗ったのかよ?」
俺の問いかけにタカシは手をこちらに振る。
返答代わりの水滴が飛んでくる。
「きったねぇーなー」
「ションベンじゃないからいいっしょ。いや、実はー」
「やめろ! まじやめろ!」
にやりと笑う無骨な顔をした大男あるいは小柄な大型類人猿の返答を俺は途中でさえぎる。
やつはそのままこたつに入ると、俺の足をつかんだ。
靴下に包まれていない部分がヒヤッとする。
「っ! 冷てっ!」
思わず声が出る。
笑うタカシに俺はピーナツを投げつける。
タカシはピーナツを額で受け止めると、鼻の穴につめて飛ばしてくる。
動物園の猿が自分の糞を投げつけてくるみたいだ。
「ほんと、まじきたねー、ありえねー」
俺も負けじと別のピーナツを投げつける。
猿に対抗するためにはこちらもレベルを落としてやる必要がある。
「ありえねーありえねー、どうして俺たちは男2人で飲んでるんだよ」
ビールをあおりながらタカシは叫ぶ。
放っておくとこのままドラミングをはじめそうだ。
近所迷惑である。
壁が薄いだの静かにしろだのと言っていたわりには、なかなか自由な行動をとるものだ。野生動物の気持ちはなかなか理解しづらい。
なんにせよ、ここはタカシのアパートなのでいちいち突っ込まないことにする。
「なんでってヤノが途中で帰っちまったからだろ」
ヤノというのは、タカシの家で飲もうと言い出した張本人だ。
「そういえば、ションベンしている時にヤノから着信あったなぁ」
タカシがジーンズのポケットにつっこんだスマホを取り出す。
「おまえ、ションベンした手でスマホいじってたのかよ」
「いや、いじってねーから。どうせ、あいつのことだから、お前らボノボになれとかわけわかんねーこというだけだしよ」
俺のツッコミにタカシはスマホをこたつの脇に置いた。
◆◆◆
「ドキッ! 男3人、冬の怪談大会、ボロリもあるよ!」
ヤノはいつものようにハイテンションでズボンのチャックに手をかけながら言った。
ヤノには以前「レッチリっ!」と叫びながら、カラオケボックスで靴下1枚になった前科がある。
もちろん靴下は本来あるべき場所に履かされていないわけで、それはそれは見苦しいものであった。110番通報しようかと思ったくらいである。
いくら深夜とはいえ、コンビニの袋を抱えた帰り道に「レッチリっ!」をやられて、その近辺に万が一公務員の方が居合わせでもしたものなら、職務質問どころでは済まない。
ヤノだけだったら別に捨てていけばよいし、タカシが麻酔銃を撃ち込まれてもまったく問題ないが、自分にとばっちりが飛んでくるのは嫌だ。
タカシも似たようなことを考えていたのだろう。2人で懸命に
「いいじゃねーか、減るもんじゃねーし」
「それは出す側が言うセリフじゃねーよ」
「きたねぇイモ見せつけられると、俺の正気値が減るんだよ」
わいわいと男3人で騒ぎながら、タカシのアパートの前まで来る。
「ちょっと静かにな。うちさ、壁が薄いから」
タカシが言う。
ゴリラはそのいかつい見た目に反して温厚であると言う。タカシにもその血が流れているに違いない。たまに羽目を外すことがあるが、基本的にごついわりに温厚な男だ。
「だから彼女ができたら引っ越すんだ」
タカシの妄言に俺は心のなかでツッコミをいれる。
ただ、これをそのまま言うのは、さすがに少しかわいそうである。
別のツッコミをいれることにした。
「おっ! ここにきて修道院入りフラグ立ててるのか、今から就職活動に思いを馳せるとはさすがだな、タカシ!」
俺のツッコミにタカシは人指し指を口に当てながらも言い返してくる。
「ブラザー、神はあなたも求めておられます」
神の似姿ではないくせになかなか
「無垢なる子どもたちよ!」
俺たちの前で手を広げるヤノにタカシと俺の逆水平チョップがきれいにきまる。
「なんでや?」
抗議の声をあげるヤノに追い打ちをかけるように「うるせーぞ!」という声がアパートの1室からあがる。
俺たちは「すみませーん」と謝り、サビのういた階段をのぼる。
カンカンという音がするが、これくらいは許してほしい。
◆◆◆
「今日はさー、とっておきのがあるんだよ」
ヤノが缶酎ハイのタブを開けながら言う。
「お前のとっておきはやっすいからなー」
タカシのツッコミに俺は発泡酒の缶を掲げて同意を示す。
「とっておきもなにも、普通はこんな時期に男だけで怪談大会とかやらないから」
怪談大会は飲むための理由にすぎない。
俺たちは極めて健全なモラトリアム学生である。健全なモラトリアム学生は不健全な行動に勤しまねばならない。
「ボロリもあるよ」
立ち上がろうとするヤノにこたつの上にあった輪ゴムを飛ばす。
輪ゴムが中腰のヤノの股間にクリーンヒットする。
大した衝撃もないだろうが、ヤノは大げさに痛がってみせる。
「で、じゃあ、とっておきとやらの怪談から話してみろよ。つまんない話で最後にズボンおろしたら、チンゲ燃やすからな」
タカシがカチカチと100円ライターを鳴らして言う。
こいつは今でも昔ながらのタバコを吸う。
そもそもタバコを吸う理由が(本人は決して認めようとしないが)文豪たちの真似だ。
本人は太宰治や芥川龍之介をきどっているが、本人の体格のせいで、その真似は無理そうだ。
まぁ、もう少し小柄であったとしても顔が顔である以上、やつに真似ができるのは本屋に
なんにせよどうあがいても無意味な真似にこだわっている以上、加熱式タバコは死んでも吸わないはずだ。
今も大事そうにピースの缶の匂いを嗅いでいる。
その様は何か大事なものを抱えた実験室のゴリラのようである。
そんなことをやっているから彼女ができないのだと心の中でツッコミをいれる。
口に出して言わないのは、言ったら最後、俺に彼女ができない理由をとうとうと述べられることになるからだ。
それを聞くぐらいならば、つまらない怪談でわいわいやっていたほうが良い。
ヤノが缶酎ハイをぐびりと飲むと話し始める。
「怪異とかけて高級レストランのGとときます。
その心は、どちらも気が付かないだけですぐそこにいる。
おい、やめろって。ピーナツ投げるなって。
えっ
しかし、幽霊が身近にいるのは確かなわけです。
このようなボロアパートにだって、ほら、そこに幽霊がいるわけです。
もちろん、この手の部屋に棲まう幽霊の話では事故物件ばかりがクローズアップされますが、そうとは限りません。そもそも、そこかしこに怪異の住まう異界への入り口は開かれているわけです。
たとえば、何もないエレベーターが異界への入口となっていたり、ベッドの下に何かが潜んでいたり。
そして、私たちが何気なく足を突っ込んでいるこのこたつだって……。
あ、ちょっとまって……」
ヤノがスマホを取り出す。
画面を見つめると、せわしなく画面をなぞり始める。
何かの返信をしているようだ。
「ごめん、アヤノさんから呼び出し」
アヤノさんというのは俺たちの先輩であり、ヤノの彼女である。
幼稚なこの男は母性本能をくすぐるのか、年上の彼女がいるのだ。
「おい、言い出しっぺのくせにお前が抜けるのかよ」
タカシが文句をいうのに合わせて俺はピーナツを投げつける。
「怪異より げに恐ろしきは
「0点、はやくふられろ」
「文学部追放、はやくふられろ」
俺たちは唯一の彼女持ちヤノに
「おい、はじめた話をオチくらいまで言っていけよ」
「怪談のオチを言わずに帰っていった彼をその後見たものはいないのでした……」
「んなわけないって」
笑いながら答えるヤノにタカシが「死亡フラグ!」と叫んでいる。
もう酔いがまわってきているらしい。
だから、安くて甘くて強い酒はやめとけって言ったのに……。
「アヤノさん、ここに呼べばいいだろ」
「こんなイカ臭い部屋に彼女呼べるわけ無いだろ。ベッドの下の怪異を封じる
ヤノも彼女のことになると引かない。
「今度、お前のコレクションから、1つ奉納しろよ」
ベッドの下になんか隠さないと喚くタカシの口に缶酎ハイを流し込んで黙らせて、ヤノに言う。
「まかせとけよ、SMスナイパー」
そう言いながらヤノは再びスマートフォンに目をやって
「おい、なんかよくわからんけど、誰かと一緒にいるなら、そいつらも連れてこいってさ」
「おいおい、合コンかよ?」
「な、わけねーだろ。このエロメガネブタ。いや、アヤノさん、霊感強いって言ってたからさ」
「ぁあ? んだよ、怪談話からのドッキリでもやるつもりか? 俺んちを怪談の舞台にすんじゃねーよ」
「そうだそうだ。ここはな、ゴリラの保護区だ!」
「誰がゴリラだ。このエロメガネ。髪茶髪にする前にやせろや」
俺たちはお互いを
「人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られてなんとやらだからな」
俺たちの言葉とピーナツに見送られながらヤノはふらふらと部屋を出ていった。
◆◆◆
「便所」
俺はタカシに告げる。
やつは酔っ払ったのか、後ろに倒れ込んでいる。
聞いていないかもしれない。
まぁ、聞いていようがいまいがどうでも良い。
俺はこたつから出ようとする。
いきなり冷たい手が俺の足をつかむ。
すごい力で俺はひっぱられる。
「タカシ、やめろって!」
答えはない。
ありえないけれど、万が一にでも……。
「やめろって言ってんだろ!」
俺の言葉にもタカシの返答はない。
足首にすごい力が加わる。
俺は身を
それでも手は離れない。
掴まれていない方の足で蹴りつける。
それでもびくともしない。
混乱しながらも俺はこたつから逃げ出そうとする。
突然、俺の手をつかんでいた力が緩んだ。
俺はこたつから逃げ出す。
こたつの上の発泡酒の缶が倒れて俺のズボンを濡らした。
「うは! びびってんの!」
タカシががばっと起き上がって俺を指さして笑う。
「びびってねーよ」
悪趣味なやつだ。
「いい加減にしろよ!」
俺は立ち上がる。
「ちびった? ねぇ、ちびった?」
発泡酒で濡れた俺の股間を指差してタカシが笑う。
俺はタカシの言葉を無視して、便所に向かう。
「ドライヤー使っていいからな」
俺はトイレでズボンとトランクスのシミをたしかめる。
酔っ払っていたとはいえ、びびったことがたいへん腹立たしかった。
ドライヤーなんか使った日には、酒を飲むたびにネタにされるに違いない。
俺はトイレットペーパーでシミを何度も叩いた。
ビールと少量の尿がつくりあげたシミが消えるのには少し時間がかかった。
トイレから戻ってくると、タカシは消えていた。
コンビニにでも行ったのか。
あるいはまたむかつくドッキリネタでもしかけているのか。
「おい、何度も同じネタつかいまわすんじゃねーよ。つまんねぇんだよ」
俺の言葉に反応する者はいなかった。
どこに隠れているんだろう?
それとも本当にコンビニにでも行ったのか?
ぞくっとした。
タカシの部屋――もちろん俺の部屋も同じだ――のトイレは安アパートのトイレの例に漏れずとても寒い。
そのようなところでズボンとトランクスを脱いで叩いていたのだ。
それは体も冷えるだろう。
こたつに入ろうと腰をおろす。
再びぞくっとした。
でも、これは寒さではない。
何かとても嫌な気配を感じた。
タカシが座っていたあたりの畳が妙にささくれているのに気がつく。
普段は何気なく足をつっこむこたつ布団がとても嫌なものに見えた。
恐る恐る布団をめくる。
目があう。
こたつの赤い光の中でニヤッと笑う赤い目。
赤い光の中でも真っ白い見たこともない顔。タカシとは似ても似つかぬ輪郭の白い顔。
こたつ布団をぱっとおろす。
赤い目の持ち主はこたつ布団から出てこなかった。
俺は何も見なかったことにしてタカシのアパートを出る。
俺は何も見ていない。
スマホが振動する。
取り出してみると、ヤノからの着信が何件もあったことがまとめて通知されていた。
うん、俺は何も見ていない。
そろそろ春だ。
俺の部屋ののこたつは捨てよう。
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